2012年7月1日日曜日

オスプレイ通告 防衛相は「パシリ」だ よりによって宮森小米軍機墜落事故のあった日に通告とは


米政府は、オスプレイを沖縄の米軍普天間飛行場に配備する計画を日本政府に正式に通告した。
森本敏防衛相は30日に沖縄を訪問し、1日午前、仲井真弘多知事と県庁で会談した。
知事は、防衛相に配備拒否を重ねて伝えた。

各紙社説も、産経を除き「政府は米国の代弁者か」「配備強行は許されない」「民意無視の強行許されぬ」と批判。
森本防衛相は米国の「使い走り」だ。それも、「パシリ」に近い。
よりによって米軍機が墜落し児童らが死傷した忌わしい事故のあった日に通行するとは・・・。

沖縄タイムスは批判する。

「森本敏防衛相は、6月30日が沖縄にとってどんな日か、知っていたのだろうか。
自国民の不安や懸念をそっちのけに、防衛大臣が米国の「使い走り」をするようでは、世も末だ。
53年前の1959年6月30日、石川市(当時)の宮森小学校に米軍のF100戦闘機が墜落した。パイロットは墜落直前に脱出して助かったが、児童ら17人(後に後遺症で1人)が死亡、210人が負傷した。この事故は、今でも沖縄の人々の記憶に深く刻まれている。
宮森小では29日、追悼集会が開かれ、児童や遺族らが花や千羽鶴を手向け、黙とうをささげたばかりだ。
よりによって米政府は、追悼集会のあったその日に、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場への配備を通告した。
よりによって森本防衛相は墜落事故のあった30日に来県し、宜野湾市の佐喜真淳市長にオスプレイの受け入れを要請した。
おぞましい話である。政府は「CH46ヘリからMV22オスプレイへの通常の機種変更」だと説明するが、ことはそんな単純なものではない。
沖縄のすべての自治体議会がオスプレイ配備に反対し、決議や意見書を可決した。
米国でも日本本土でも受け入れられないことがなぜ、沖縄だったら許されるのか。」

琉球新報も批判する。

「森本敏防衛相は米側の正式通告(接受国通報)を受け、早速それを沖縄県に伝達するため、30日に来県する。
オスプレイは県内各地を飛ぶ予定だ。県民は頭上に、いつ墜落するか分からないものを絶えず抱えることになる。この切実な不安を受け止めず、むしろ恐怖を強制するとは、いったいどこの国の大臣なのだろう。
30日は宮森小学校米軍ジェット機墜落事故から53周年の当日である。森本氏はそれを承知で来県するのだろうか。
そもそも普天間問題は、1995年に大田昌秀知事(当時)が返還を求めたのが出発点である。その理由として挙げたのが、飛行場周辺に19もの小・中・高校・大学が存在し、宮森の悲劇を繰り返しかねない、というものだった。
よりにもよってその原点の日に来県し、墜落の不安を強いるとは何事か。県民の戦後の苦難に向き合う気持ちなどみじんもないということであろう。
自国内でありながら、土地(基地)や空の使い方について政府が口出しできない状態は、上海など戦前の租借地を想起させる。まさに植民地にほかならない。
森本氏が一国の大臣であるなら、米国の使い走りのごとく、配備先を行脚するより先にやることがあろう。むしろ、このような日米関係でよいのか、国会で正面から議論すべきではないか。」

<各紙社説>
毎日新聞)オスプレイ通告 配備強行は許されない(6/30)
産経新聞)オスプレイ 安全データに耳傾けたい(7/1)
東京新聞)オスプレイ配備計画 政府は沖縄をだますな(6/26)
東奥日報)配備強行は許されない/オスプレイ(6/30)
新潟日報)オスプレイ配備 地元の理解得られるのか(6/30)
信濃毎日新聞)オスプレイ 配備の強行はだめだ(6/30)
京都新聞)オスプレイ  配備強行は許されない(6/30)
山陽新聞)オスプレイ配備 民意無視の強行許されぬ(6/29)
中国新聞)オスプレイ配備計画 政府は米国の代弁者か(6/30)
沖縄タイムス)[県民大会開催へ]配備反対の声広げよう(6/29)
沖縄タイムス)[オスプレイ配備通報]防衛相は「使い走り」か(7/1)
琉球新報)オスプレイ配備通告/欠陥機受忍の義務はない 国会で日米関係議論を(6/30)
赤旗)欠陥機オスプレイ 国民の不安に応え配備中止を(6/29)