2009年12月6日日曜日

なんで? ビラ配ったら犯罪なのか!

どうもわからん。
最高裁が、ビラ配りを有罪とする判決を下した。
政党だろうと、商業だろうとマンションなんかにビラ配れば、警察に逮捕される。
ビラの中には紙くずにしかならない(人によって違うが)ものもあるだろう。
しかし、一枚のビラが人の命を救う、苦境や孤独から抜け出すきっかけになることもある。
はっきり言って、表現の自由や自由な政治活動に対する蹂躙だ。
「物言えぬ国」への道・・・・・司法の自殺行為とでも言える無知な判決。
この国の行く末を憂う。



朝日新聞 2009年12月1日(火)付
社説:ビラ配り有罪―合点いかぬ最高裁判決
 「チラシ・パンフレット等広告の投函(とうかん)は固く禁じます」。こんな張り紙のあるマンションの共用部分に入り、政治的なビラを配ることが、これほど罰せられなければならないのだろうか。
 そうした行為が摘発され、起訴された裁判で、またも最高裁が有罪の結論を出した。
 住居侵入罪で罰金5万円の刑が確定するのは、62歳の住職荒川庸生さんだ。5年前、東京都葛飾区のオートロックのないマンションに玄関から入り、各戸のドアポストに共産党の区議団だよりなどを入れて回った。住民に見とがめられ通報、逮捕された。
 一審は「こうした行為が住居侵入罪になることは社会通念になっていない」と無罪を言い渡した。二審の東京高裁が逆転有罪としたため、荒川さんは「憲法が保障する表現の自由に反する」と上告した。
 これに対し、最高裁は「表現の自由といえども、その手段が他人の権利を不当に害するものは許されない。管理組合の管理権だけでなく、私生活の平穏も侵害するのだから、罪に問われても違憲とはならない」と退けた。

 宅配ピザなど、商用チラシの同じような配布は珍しくない。判決は政治ビラに的を絞った強引な摘発を追認したといわれても仕方がない。
 表現の自由は政治的立場の違いを超えて、民主主義の根幹である。警察や検察の取り締まりは、極めて抑制的であるべきだ。
 ところが、荒川さんは23日間も拘束された。自衛隊の官舎で「イラクへの自衛隊派遣反対」のビラを配って、昨年有罪が確定した人にいたっては、逮捕から2カ月余りも拘束された。
 見知らぬ人が集合住宅の共用部分に勝手に出入りすることに抵抗感を覚える人は少なくない。犯罪の不安もある。だからといって、ビラを配っている人を逮捕して刑事罰を求めるというのは乱暴すぎる。たいていは住民と話し合えば解決する問題だろう。
 罪が成立するかの判断にあたって最高裁は、(1)荒川さんがマンション管理組合の意思に反して入った(2)玄関ドアを開けて7階から3階までの廊下に立ち入った、という点を重視した。
 ビラを配る側からすると、住民や管理人に承諾を得る機会がないとき、玄関の近くにある集合ポストにビラを入れることさえ、逮捕の対象になるのだろうか。こうした疑問への答えは判決からは見いだせない。
 強引な捜査とあいまいな司法判断は、自由な政治活動が萎縮(いしゅく)する、息苦しい社会を招きかねない。
 基本的人権にかかわる重要テーマについて最高裁は、小法廷でなく大法廷で、民主主義の大原則と社会環境の変化の双方に応える明確な憲法判断を示すべきだった。
毎日新聞 2009年12月3日 東京朝刊
社説:ビラ配布有罪 違和感が残る判決だ
 集合マンション内に入り、外階段を使って各住宅のドアポストに共産党のビラを配る行為は刑事責任を問われるべきか。東京都葛飾区であった事件で、最高裁は住居侵入罪の成立を認め、被告の僧侶を有罪とした。憲法で保障された「表現の自由」と、居住者の「生活の平穏」がてんびんにかけられた裁判だった。
 経緯はこうである。僧侶は5年前、ある7階建てマンションに入った。玄関ホールにチラシ投函(とうかん)を禁じる管理組合の張り紙があった。時間は午後2時すぎだ。7階から順に3階まで配ったが住民に見とがめられ、通報を受けた警察に逮捕された。起訴後も含め、拘置は23日間に及んだ。
 最高裁は、僧侶の行為を「私的生活を営む者の私生活の平穏を侵害するものといわざるを得ない」と評価した。違和感の残る判断ではないだろうか。
 もちろん、見ず知らずの人が日常的に出入りする集合型の住宅で、住民が不審者の侵入に敏感になるのは当然だろう。また、最高裁の指摘するように「表現の自由」は絶対無制限に保障されるものではない。配布する側も可能な限り了解を取るなど一定の配慮はすべきである。
 だが、人が集まればさまざまな権利の衝突があり、ある程度の不快さは受忍せざるを得ない場合もある。通常のビラ配布もその一つではないか。僧侶は非常識な時間帯に配ったわけではない。住民ともめたのは逮捕時が初めてだったという。長期間拘束したり起訴するほどの違法性があったのか。警察の対応を含め、疑問を持たざるを得ない。
 最高裁は昨年4月、自衛隊イラク派遣反対のビラを配るため、東京都立川市の防衛庁(当時)官舎に立ち入り住居侵入罪に問われた市民団体のメンバー3人についても、ほぼ同様の理由で有罪とした。その流れに沿った判断だろう。
 だが、この考え方に立てば、ビラ配りを禁じる集合住宅に立ち入るだけで犯罪とされ、いつでも摘発され得ることになる。配布を拒否する住民の意思表示はどこまで必要か。戸別配布でなく、集合ポストでも違法なのか。せめて、丁寧に基準なり判断を示すべきではなかったか。
 商業ビラも日常的に配られる中、摘発されたのは政治ビラだ。政治活動の自由は、さまざまな権利の中で優先度が高いというのが憲法上の考え方だ。憲法の番人はその点についても判断を示さなかった。
 商業用も含め、ビラの配布は、ごくありふれた表現行為である。形式的で堅苦しい対応で萎縮(いしゅく)するのは、社会全体にとってマイナスだ。当事者が穏便に解決していくのが望ましい姿ではなかろうか。

東京新聞 2009年12月1日
【社説】ビラ配布有罪 表現の自由が縮こまる
 政党ビラを配布し、住居侵入罪に問われた僧侶に有罪が確定する。いわゆる左翼や政府批判の言論が取り締まりを受けている印象がぬぐえない。モノを言う自由が縮こまらないか懸念する。
 確かに僧侶は二〇〇四年、無断でマンション内に立ち入った。東京都葛飾区にあるマンションの玄関ホールには、チラシやビラ配布のために立ち入ることを禁じた張り紙があった。
 問題は表現の自由との兼ね合いであろう。僧侶が配っていたのは、共産党の都議会報告や区議団だよりなどだった。一審は「ビラ配布のため短時間立ち入る行為を処罰する社会通念は確立されていない」とし、無罪判決だった。
 二審は罰金五万円の有罪へと逆転した。最高裁も「思想を発表する手段であっても、他人の権利を不要に害することは許されない」とし、僧侶の上告を棄却した。
 生活の平穏を願う住民の気持ちは理解できるし、尊重されねばならない。防犯などへの意識が高まる中で、部外者が無制限にマンション内に立ち入ることは許されないのは当然だろう。
 それにしても、だ。この僧侶は住民の一一〇番通報で逮捕されてから、二十三日間も身柄を拘束されていた。しかも、僧侶によれば、ビラ配布は四十年以上も続けていたが、これまで苦情を言われたことはなかったという。それほど悪質な犯罪なのか、疑問を覚える人もいるだろう。
 宅配食品や不動産など、商業ビラがポストに投函(とうかん)されているのは日常的だ。これら生活に有用な商業ビラの配布も犯罪にあたるのか。そんな疑問もよぎる。
 さらにこの事件は、議会報告というビラの内容を考えると、言論の自由に影を落としてもいよう。これまで、「イラク派遣反対」のビラ配布で市民団体の有罪が確定しているし、社会保険庁や厚生労働省の職員が共産党機関紙を配布したとして、国家公務員法違反で有罪判決が言い渡されている。
 まるで、「左翼」と呼ばれる人々らが、警察当局に“狙い撃ち”されている印象さえある。この問題について、日弁連は人権擁護大会で「市民の表現の自由の保障に対する重大な危機」と指摘した。国連の国際人権規約委員会からも「懸念」が表明されている。これを重視したい。 ビラは言論の一手段だ。“微罪”でも有罪が積み重なると、モノを言うのも息苦しくなる。

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