2012年4月29日日曜日

米軍再編見直し 日米共同文書 講和条約発効60年


日経)米軍再編見直し 日米共同文書の要旨
・沖縄海兵隊の海外移転
・日米の費用負担
・嘉手納以南の段階返還
・普天間基地

<各紙社説>
・米軍再編見直し 
朝日)在日米軍再編―施設返還を早く確実に(4/29)
読売)海兵隊移転合意 米軍基地返還を着実に進めよ(4/28)
日経)米軍再編をアジア安定にどう生かすか(4/29)
 産経)米軍再編見直し 同盟の抑止力強化進めよ(4/28)
沖縄タイムス)[日米共同文書]負担軽減の本気度疑う(4/29)
赤旗)「再編」見直し合意 「普天間」の無条件撤去は急務(4/28)

・講和条約発効60年
毎日)孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年(4/28)
東京)講和条約発効60年 終わらぬ「アメリカ世」(4/28)
沖縄タイムス)[講和条約発効60年]基地政策の惰性改めよ(4/28)
琉球)対日講和発効60年/人権蹂躙を繰り返すな 許されぬ米軍長期駐留(4/28)
赤旗)サ条約・安保60年 その是非を根本から問うとき(4/29)



日経新聞 2012/4/28付
(米軍再編見直し 日米共同文書の要旨)沖縄海兵隊の海外移転
2006年5月1日の「再編の実施のための日米ロードマップ」に示された計画を調整する。第3海兵遠征軍(3MEF)の要員の沖縄からグアムへの移転、米軍嘉手納基地以南の土地の返還を米軍普天間基地の代替施設に関する進展から切り離す。再編のロードマップの基本的な目標を変更するものではない。
同盟の抑止力は動的防衛力の発展、南西諸島を含む地域における防衛態勢の強化といった日本の取り組みによって強化される。適時かつ効果的な共同訓練、共同の警戒監視・偵察活動、施設の共同使用を含む2国間の動的防衛協力が抑止力を強化することに留意した。
沖縄およびグアムにおける米海兵隊の部隊構成を調整する。米国は海兵空陸任務部隊(MAGTF)を沖縄、グアムおよびハワイに置くことを計画、ローテーションによるプレゼンスをオーストラリアに構築する。これらの措置が日本の防衛、アジア太平洋地域全体の平和および安定に寄与することを確認。
約9千人の米海兵隊の要員が家族と共に沖縄から日本国外に移転する。沖縄の米海兵隊の兵力は第3海兵遠征軍司令部、第1海兵航空団司令部、第3海兵後方支援群司令部、第31海兵遠征部隊および海兵隊太平洋基地の基地維持要員の他、必要な航空、陸上および支援部隊から構成される。
沖縄における米海兵隊の最終的なプレゼンスを再編のロードマップに示された水準に従ったものとする。グアムの米海兵隊の兵力の定員は約5千人になる。
米政府は日本政府に(1)ローテーションによる米海兵隊のプレゼンスをオーストラリアに構築しつつある(2)ハワイにおける運用能力の強化のために米海兵隊の他の要員を同地に移転する――と報告した。米政府は西太平洋地域で現在の軍事的プレゼンスを維持し、軍事的な能力を強化する。
沖縄における米軍のプレゼンスの長期的な持続可能性を強化するため、適切な受け入れ施設が利用可能となる際、沖縄からの米海兵隊部隊の移転が実現する。可能な限り早急に完了させる。
ハワイ・豪にも分散
現在、沖縄に駐留する米海兵隊の定員約1万9000人のうち、約9000人の隊員とその家族が国外に移転する。沖縄には約1万人が残る。
グアムには約4000人が移る予定だ。ほかにはハワイを中心に移転し、米本土、オーストラリアにも分散移転する。海兵隊の司令部機能を持つ即応部隊(MAGTF)を沖縄のほか、グアム、ハワイに設置し、オーストラリアにもローテーションさせることを決めた。アジア太平洋地域で日米協力を強化し、中国をけん制する狙いがある。

日経新聞 2012/4/28付
(米軍再編見直し 日米共同文書の要旨)日米の費用負担
海兵隊要員のグアムへの移転に係る米国政府による暫定的な費用見積もりは、米国の2012会計年度で86億ドルである。グアムにおける機動的な米海兵隊のプレゼンスの構築を促進するため、また前述の部隊構成を考慮して、両政府は日本の財政的コミットメントが、09年のグアム協定の第1条に規定された直接的な資金の提供となることを再確認した。
両政府は日本による他の形態での財政支援は利用しないことを確認した。訓練場の整備のための日本からの貢献がある場合、前述のコミットメントの一部となる。残りの費用およびあり得べき追加的な費用は、米国政府が負担する。09年のグアム協定の下で日本政府から米政府に既に移転された資金は、日本による資金提供の一部となる。両政府は、2国間で費用内訳を完成させる。両政府は09年のグアム協定に鑑みて取るべきさらなる措置についても協議する。これらのイニシアチブの計画上および技術上の詳細に関して引き続き双方において立法府と協議することの重要性に留意した。
両政府は、戦略的な拠点としてグアムを発展させ、米軍のプレゼンスの地元への影響を軽減するため、2国間の動的防衛協力を促進する新たな取り組みを探求する。両政府はグアムおよび米自治領・北マリアナ諸島における自衛隊および米軍が共同使用する施設としての訓練場の整備につき協力することを検討する。両政府は12年末までにこの点に関する具体的な協力分野を特定する。
総額、86億ドルに減る
海兵隊のグアム移転の費用総額は2009年協定の102.7億ドルから86億ドルに減る。日本側の財政支出の上限は09年協定(約28億ドル)を維持する。これは物価上昇や為替レートの変動などを反映させると現在の約31億ドルに相当する。米自治領・テニアンでの自衛隊と米軍の共同訓練関連費なども含むため、日本政府は実質減額と説明する。
09年協定で日本が負担することになっていた米軍の家族住宅建設費用などの融資、約33億ドルも不要になった。逆に米側の財政支出は増える。

日経新聞 2012/4/28付
(米軍再編見直し 日米共同文書の要旨)嘉手納以南の段階返還
以下の6つの施設・区域の全面的または部分的な返還について、再編のロードマップから変更はない。
○キャンプ桑江(キャンプ・レスター)=全面返還
○キャンプ瑞慶覧(キャンプ・フォスター)=部分返還および残りの施設とインフラの可能な限りの統合
○普天間基地=全面返還
○牧港補給地区(キャンプ・キンザー)=全面返還
○那覇港湾施設=全面返還(浦添に建設される新たな施設―追加的な集積場を含む―に移設)
○陸軍貯油施設第1桑江タンクファーム=全面返還
米国は海兵隊の兵力が沖縄などから移転して、施設が使用可能になるのに伴い土地を返還する。必要に応じて地元と調整する。前述の施設・区域の土地は可能になり次第返還される。日米特別行動委員会(SACO)の移設・返還計画は再評価が必要となる可能性がある。
沖縄の米軍による影響をできる限り早期に軽減するため、両政府は米軍により使用されている以下の区域が返還可能となることを確認した。
〈必要な手続きの完了後に速やかに返還〉
○キャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区
○牧港補給地区の北側進入路
○牧港補給地区の第5ゲート付近の区域
○キャンプ瑞慶覧の施設技術部地区内の倉庫地区の一部(他の場所での代替の倉庫の提供後)
〈沖縄において代替施設が提供され次第返還〉
○キャンプ桑江
○キャンプ瑞慶覧のロウワー・プラザ住宅地区、喜舎場住宅地区の一部およびインダストリアル・コリドー
○牧港補給地区の倉庫地区の大半を含む部分
○那覇港湾施設
○陸軍貯油施設第1桑江タンクファーム
〈米海兵隊の兵力が沖縄から日本国外に移転するのに伴い返還〉
○キャンプ瑞慶覧の追加的な部分
○牧港補給地区の残余の部分
移設に係る措置の順序を含む沖縄に残る施設・区域に関する統合計画を、キャンプ瑞慶覧の最終的な在り方を決定することに特に焦点を当てつつ、12年末までに共同で作成する。
返還時期 明示せず
沖縄県の嘉手納以南の施設・区域は今後、普天間基地の返還や在沖縄米海兵隊のグアム移転の進展とは切り離し、段階的に先行返還することになった。従来は普天間移設やグアム移転と一体だったため、進展の見通しが立たなかった。
返還の具体的な時期は明記していない。先行返還の対象11区域のうち、大半は「県内に代替施設が提供され次第、返還可能となる」としている。代替施設の建設地を探す地元との交渉は日本政府が進めるが、簡単な作業ではない。

日経新聞 2012/4/28付
(米軍再編見直し 日米共同文書の要旨)普天間基地
運用上有効であり、政治的に実現可能であり、財政的に負担可能であって、戦略的に妥当であるとの基準を満たす方法で、普天間基地の移設に向けて引き続き取り組むことを決意する。
キャンプ・シュワブ辺野古崎地区およびこれに隣接する水域に建設することが計画されている普天間基地の代替施設が引き続き、これまでに特定された唯一の有効な解決策であるとの認識を再確認した。
同盟の能力を維持しつつ、普天間基地の固定化を避けるため、代替施設に係る課題をできる限り速やかに解決する。
両政府は普天間基地の代替施設が完全に運用可能となるまでの安全な任務能力の保持、環境の保全等の目的のための必要な補修事業について、個々の案件に応じ、また、在日米軍駐留経費負担を含め、既存の2国間の取り決めに従って、相互に貢献するとのコミットメントを表明した。
個別の補修事業に関する2国間の協議は、再編案に関する協議のためのものとは別のチャネルを通じて行われ、初期の補修事業は12年末までに特定される。
普天間基地の代替施設の環境影響評価プロセスの進展、グアムへの航空機訓練移転計画の拡充、航空自衛隊航空総隊司令部の米軍横田基地への移転、陸上自衛隊中央即応集団司令部の米軍キャンプ座間への移転の進展を含む、11年6月以降の再編案に関する多くの重要な進展に留意した。
補修費、日本も負担
普天間基地の移設先については、名護市辺野古を「これまでに特定された唯一の有効な解決策」とした。嘉手納基地への統合を主張するウェッブ米上院議員(民主党)らに配慮して「これまでに特定された」という前提条件を追加し、ほかの選択肢に含みを持たせたといえるが、実現の可能性は低いとの見方が多い。
代替施設ができるまでは、普天間基地の「安全な任務能力の保持、環境保全」のための補修を日米が担うことを確認。規模や工期は年末までに決める。


朝日新聞 2012年4月29日(日)付
社説:在日米軍再編―施設返還を早く確実に
沖縄の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設と、海兵隊のグアム移転や嘉手納基地より南の米軍施設の返還を切り離して考える。
この新しい方針に基づく、日米両政府の「在日米軍再編見直しの中間報告」には評価できる点と、できない点がある。
懸案だった米軍施設の統合、土地の返還、さらには海兵隊の国外移転への道筋が示されたことは一歩前進であり、進展を期待する。
一方で、普天間の辺野古移設を相変わらず「唯一の有効な解決策」としたのはいただけない。「見直し」に含みを持たせるような表現も加えたとはいえ、展望は開けていない。
まず土地の返還に関しては、報告は普天間を除く嘉手納以南の五つの米軍施設を分割し、すみやかに▽代替施設の提供後▽海兵隊の国外移転後の3段階での実施を明記した。年内に具体的な計画を決めるという。
96年の普天間返還合意の際にも、訓練場や軍港など11施設、約5千ヘクタールの返還を決めたが、実現しているのは1割未満にすぎない。今度こそ一刻も早く実現させ、沖縄の負担軽減を確実に進めなければならない。
海兵隊の移転では、海外へ出るのは約9千人で、そのうち約4千人がグアムに行く。
グアムへの人数は06年の日米合意より減るのに、米政府はいったん日本政府に移転費用の増額を求めてきた。結局、元々の最大負担額28億ドルで折り合ったが、一部を新たに米領北マリアナ諸島での日米共同訓練場の整備にあてることにした。
いままでにはなかった取り組みであり、自衛隊の島嶼(とうしょ)部防衛の訓練をより効率的におこなう狙いがある。
だが、西太平洋での米軍との連携強化は、中国などを刺激する側面があり、さまざまな目配りも求められる。
普天間問題には、首をかしげざるを得ない。新しい方針への転換は、辺野古案を白紙に戻す好機だったはずだ。
嘉手納への統合を唱える米議員の要望もあり、「唯一の有効な解決策」の前に「これまでに特定された」をつけたが、政府が本気で検討する気配はない。
一方で報告には、普天間の補修工事を「日米が相互に貢献」して進めることを明記した。
これでは、米軍が普天間を使い続ける「固定化」の疑念が膨らむばかりだ。
そうではないというなら、日米両政府は30日に予定される首脳会談を機に、新たな移設先の検討に本腰を入れるべきだ。


(2012年4月28日01時02分  読売新聞)
海兵隊移転合意 米軍基地返還を着実に進めよ(4月28日付・読売社説)
米軍の抑止力維持と沖縄の負担軽減が両立できて、費用負担も軽減される。
日本にとって、満足できる合意である。
これに基づき、海兵隊の移転と米軍施設の返還を着実に進めることが肝要だ。
外務、防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)が、在日米軍再編見直しに関する共同文書を発表した。
在沖縄海兵隊9000人が海外移転し、うち4000人はグアム、残りはハワイ、豪州、米本土に移る。沖縄に残るのは1万人だ。
海兵隊を沖縄から西太平洋全体に分散移転し、グアムに新たな拠点を設ける。これが、中国の軍事的台頭に対抗するための米軍の新戦略だ。アジア太平洋全体の平和と安全に資すると言える。
第3海兵遠征軍司令部や主力戦闘部隊の第31海兵遠征部隊は、沖縄に残る。米軍の抑止力が維持されることは、日本の「南西防衛」強化の観点からも評価できる。
北マリアナ諸島のテニアンなどに自衛隊と米軍の共同訓練場を整備する合意は、防衛協力を深化するうえで重要な意味を持つ。
日米の費用負担見直しでは、日本の財政支出は2006年の合意金額に物価上昇分を含めた31億ドル(約2510億円)とする一方で、出資・融資の約33億ドルはゼロとした。実質的な負担減である。
在日米軍駐留経費など資金負担を巡っては、常に激しい日米交渉となるが、今回、双方が納得できる形で決着したのは良かった。
沖縄県南部のキャンプ瑞慶覧など米軍5施設は、13地区に分割し、「速やかに」「代替施設が提供され次第」「海兵隊の国外移転後」の3段階で返還される。
返還できる土地から順次、極力早く返還するとの合意は、目に見える形での地元負担の軽減につながる。高く評価できよう。
米軍施設跡地を有効利用し、沖縄振興につなげることが重要だ。地元が積極的に案を出し、政府が側面支援するのが望ましい。
忘れてならないのは、普天間飛行場の移設だ。普天間の固定化を避ける近道はやはり、日米が「唯一の有効な解決策」と再確認した辺野古移設である。政府と沖縄県は、辺野古移設についてより真剣に協議しなければならない。
今回、米政府の根回し不足で米上院軍事委員会が異論を唱え、共同文書発表が2日遅れたのは、残念だ。日米双方がそれぞれの国内問題を抱えている。その一つ一つを克服していくことで、同盟関係はより強固になるだろう。


日経新聞 2012/4/29付
社説:米軍再編をアジア安定にどう生かすか
アジア太平洋の安全保障は、米軍の存在に頼っている。その米軍が大がかりな再編を手がける。これを地域の安定につなげるため、日本が果たすべき役割は大きい。
日米合意によると、沖縄に駐留している約1万9000人の米海兵隊のうち、約9000人をグアムやハワイ、オーストラリアに分散させる。グアムには約4000人が移るという。
これにより米軍基地の沖縄への返還も加速する。沖縄の負担の軽減という観点からも、日本がグアムへの移転経費で応分の貢献に応じるのは妥当だろう。
ただ、再編案には課題も残る。機動力にすぐれた海兵隊は危機にすばやく対処する役割を担う。沖縄にいる海兵隊の規模がほぼ半分に減ることで、北東アジアでの米軍の抑止力が弱まらないか心配だ。日本は米側と協力し、そうした事態を防がなければならない。
では、どうすればよいか。その答えは今回、海兵隊が再編に乗り出す理由の中にひそんでいる。
米軍の狙いは台頭する中国軍に対抗することだ。このため、海兵隊の拠点を各地に分散させ、それらをつないで網状の安保体制をアジア太平洋につくろうとしている。このほうが、中国軍の攻撃を受けづらくなるとの読みもある。
日本に求められるのは自前の防衛力を強め、米軍の対中戦略を側面から支えていく努力である。その際、急務になるのが、手薄な南西諸島の守りを固めることだ。
南西諸島は、中国軍が太平洋に出ていく際の航路でもある。日本がこの防衛を整えれば、米軍も中国軍の膨張に対応しやすくなる。
日米合意では、日本の政府開発援助(ODA)の安保分野への活用もかかげた。アジア各国が海洋の警備能力を高められるよう、人材の育成や訓練にODAを使うのも選択肢だろう。
米軍普天間基地は現行案に基づき、沖縄県名護市辺野古への移設をめざす方針を確認した。だが、実現性に懐疑的な米議員に待ったをかけられ、合意の発表が2日間、遅れる騒ぎになった。このため、合意文書は他の選択肢にも含みを持たせる表現に改められた。
移設をさらに遅らせれば、米議会などの見直し論はさらに勢いづきかねない。そうなれば、現行案は白紙となり、結局、普天間の固定化を招く恐れがある。そんな最悪の結末を避けるため、今こそ移設を急がなければならない。


産経新聞 2012.4.28 03:26 (1/2ページ)[主張]
【主張】米軍再編見直し 同盟の抑止力強化進めよ
外務・防衛閣僚級の日米安全保障協議委員会(2プラス2)による在日米軍再編見直しの中間報告がまとまり、30日にワシントンで開かれる野田佳彦首相とオバマ米大統領の首脳会談の準備がようやく整った。
中間報告には在沖縄部隊を含む米海兵隊の広域分散配備や、グアム、北マリアナ諸島の日米共同訓練場整備などが新たに盛り込まれた。中国の急速な軍事的台頭に対抗し、日米同盟全体の抑止力を強化する措置として評価したい。
半面、米軍普天間飛行場移設問題はさらに停滞が懸念され、普天間固定化や日本直近の守りが手薄になる恐れもある。首相は移設推進も含め、首脳会談では同盟強化のための実効性ある方策を実現するよう努力してもらいたい。
中間報告で特筆すべきは、米海兵隊を沖縄だけでなくグアム、ハワイ、豪州などへ分散するほか、日米の「動的防衛協力」を促進するために日米共同演習を拡大する措置が盛り込まれたことだ。
北マリアナのテニアン島などの米軍基地に自衛隊を駐留させ、共同訓練や上陸演習を行う方向で年内に具体的計画を詰める。新たな共同訓練場整備は、常駐化に近い形でアジア太平洋で日米が共同防衛をめざす方向へ近づける意義がある。これを集団的自衛権行使へとつなげる努力が肝要だ。
一方、普天間移設と切り離したことで沖縄本島南部の米軍基地・施設の段階的返還が加速される。野田政権はこれを地元への説得材料に生かし、普天間移設の推進へ結びつけるよう求めたい。
再編見直し協議は、2006年の合意を最新の戦略情勢に合わせて調整する機会となったが、もとは鳩山由紀夫、菅直人両政権下で普天間問題を迷走させたことが原因だ。それが米議会の対日不信を生み、中間報告の発表が土壇場で遅れる一因になったといえる。
首相の公式訪米による首脳会談は自民党政権時代以来3年2カ月も絶えていた。このこと自体、民主党政権下で日米同盟がいかに空洞化の危機にさらされてきたかを象徴していよう。
野田首相はそうした前、元2代首相の無責任さについても深く反省する必要がある。オバマ氏との会談では、日米首脳同士の信頼関係を速やかに修復するとともに、同盟の強化と充実へ向け具体的な成果を挙げてもらいたい。

沖縄タイムス 2012年4月29日 09時52分
社説:[日米共同文書]負担軽減の本気度疑う
在日米軍再編見直しをめぐる日米共同文書発表を受け、県内は疑念と無力感に包まれている。
普天間問題は、辺野古移設を「これまでに特定された唯一の有効な解決策」と表記。嘉手納統合を提唱する米上院軍事委員会のレビン委員長らへの配慮から「これまでに特定された」との下りが土壇場で追記された。とはいえ、辺野古以外の具体策の検討は進んでいない。軸足が定まらないまま、その場しのぎの「外交的な作文」が仕上がったにすぎない。
共同文書は「政治的に実現可能」な基準を満たす方法で普天間移設に取り組むとしている。これは沖縄の政治や世論状況を指す。にもかかわらず、県外移設を求める沖縄の意向が全く反映されていない合意は明らかな矛盾である。
誰のための「見直し」なのか。アジア太平洋地域の米海兵隊のローテーション配備を急ぐ「米側の都合」に起因しているのは明白だ。今月末の日米首脳会談で、同盟の深化を演出したい両政府の思惑を優先したのが実情だろう。
共同文書には、普天間飛行場の補修に日米で取り組むことも盛り込まれた。住民の生命・財産を危険にさらし続ける基地を維持するために血税を注ぐ。この不条理と向き合うのは県民には耐え難い。
普天間問題に関わる日米合意は1996年の返還発表以降、何度も塗り替えられてきた。過去の教訓から学ぶべきは、実行不能な策に固執する愚かさだろう。日米は普天間の危険性への切実感に乏しい、と断じざるを得ない。
玄葉光一郎外相は日米の見直し協議に先立つ2月、「地元の要望に応え、負担軽減を先行する」と強調した。共同文書の内容から「負担軽減の先行」を実感する県民がどれだけいるだろうか。
返還対象の大半は「県内に機能移転後」または「海兵隊移転後」の条件が付く。「速やかに返還」とされた施設は全体のごく一部である。跡利用に神経をとがらせる県内自治体は「細切れで返還されても据え置きになるだけで空理空論だ」との冷めた見方が主だ。官僚の「机上の合意」がいかに実利と乖離(かいり)しているかはりょう然としている。
だいいち、ほとんどが過去に返還合意されたものの焼き直しで新味を欠く。県内移設条件付きのため進展してこなかった状況が改善されるわけでもない。返還時期も明記されず、負担軽減の本気度を疑う内容だ。これを「成果」と誇るのは筋違いも甚だしい。
嘉手納基地より南の米軍施設の「先行返還」で得点を稼ぎ、普天間飛行場の辺野古移設に向け、県の軟化を促す。これが官僚の描く筋書きだった。米交渉の読みの甘さ、県民世論とのピントのずれは救い難い。逆の見方をすれば、政府は辺野古移設を進めるまともな手だてを持ち合わせていないことの証しでもある。
共同文書は「2国間の動的防衛協力の促進」に向け、日米の共同訓練場をグアム以外に米自治領の北マリアナ諸島に整備する方針も掲げた。米軍と一体化する自衛隊の沖縄進出の動向に注視が必要だ。


しんぶん赤旗 2012年4月28日(土)
主張:「再編」見直し合意 「普天間」の無条件撤去は急務
日米両政府が2006年に合意した在日米軍「再編」計画を見直した新しい共同文書を、当初の予定より2日遅れで発表しました。
米軍「再編」計画の見直しは、沖縄での新基地建設計画が沖縄県民のたたかいで行き詰まったことが大きな背景です。共同文書の発表が遅れたのも、新基地以外の案が示されていないことに米議会が反発したためです。破綻した新基地建設計画にしがみつくのではなく、普天間基地を即時閉鎖・無条件で返還させることこそ県民・国民の願いに応える道です。
新基地の見通し立たず
米軍「再編」計画の見直しは、これまで普天間基地を撤去し名護市辺野古に新基地を建設するのと「ワンパッケージ」(一括)で沖縄の米海兵隊の一部をグアムに移すとしていたのを切り離し、新基地建設を待たず海兵隊を移動させるというのが柱です。アメリカの戦略にもとづく勝手な変更ですが、その背景には新基地建設の見通しが立たず、アメリカ議会からは軍事費の削減も迫られているという事情があります。米議会関係者などからは新基地建設はあきらめ、普天間基地は嘉手納基地に統合するなどの案が出されています。
共同文書が辺野古での新基地建設計画に固執しつつ、「これまでに特定された唯一の有効な解決策である」などと表現をおさえたのも、新基地建設に反対する県民の意思や米議会などの反応を無視できなかったからです。もちろん、普天間基地の存続だけでなく県内で普天間基地をたらい回しにすることに反対だというのが県民のゆるぎのない意思であり、たとえ共同文書が嘉手納基地への統合などに含みをもたせても、受け入れるところなどあるはずがありません。
普天間基地の即時閉鎖・無条件返還を要求するどころか、米軍「再編」でアメリカの言い分に従うことしか知らない日本政府の態度は、どこまでも卑屈です。
新基地建設と切り離した米海兵隊のグアムへの移転は当初の半分以下になる見込みですが、それでも日本側の28億ドルに上る経費負担は「削減」さえ要求しないありさまです。しかも自衛隊が米軍と共同訓練するという名目でグアム、北マリアナの訓練場整備の負担もします。政府は米軍のために国民の血税を使う異常を正すべきです。
県内「移設」が実現するまで8年間で200億円を投入して行う普天間基地の「補修事業」の費用の一部まで、日本政府は共同文書で負担すると約束しました。普天間基地の事実上の「固定化」に手を貸す日本政府の態度は、県民の願いを裏切り、反発を強めるだけです。
軍事同盟解消こそ
共同文書が、06年合意で約束した嘉手納基地以南の基地の返還を、装いを新たに持ち出しても、県民の願いにそむいた事実は消せません。基地の重圧を県民に押し付けるのをやめ、普天間基地の即時閉鎖・撤去を求める県民の願いに応えることこそ政府の務めです。
共同文書が米軍「再編」により「日米同盟の抑止力を強化する」とのべていることは重大です。アメリカの軍事戦略に沿った軍事同盟強化は、平和を守るどころか地域と世界の緊張を高めることになります。基地のない平和な沖縄・日本の実現のために安保条約の廃棄、軍事同盟の解消が不可欠です。



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毎日新聞 2012年04月28日 02時30分
社説:孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年
30年で1世代というから、60年だと2世代になる。敗戦で尾羽(おは)打ち枯らした日本が独立を取り戻したのは60年前の1952年4月28日だ。この日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効し、日本は国際社会に復帰した。そして今日、3世代目の第一歩を踏み出す。
講和と安保は、戦後日本の「国のかたち」を決めた。領土の放棄、西側の仲間入り、東京裁判の受諾。その一方、沖縄を米国統治に委ねたのもこの日である。沖縄は本土に復帰し、来月で40年を迎えるが、今も基地問題の重圧に苦しむ。正の部分も負の部分も含め、戦後日本の歴史はこの日から始まったのだ。
◇排他的ではない国に
ともあれ戦争の廃虚の中から立ち上がった日本は、わずか2世代で平和で豊かな国になった。先人たちの努力に頭が下がる思いだ。
その日本がいま、大きな曲がり角に立たされている。政治のゆらぎ、経済の低迷、人口減による少子化・高齢社会。原発事故処理や今後のエネルギー社会の見直しなど、かつては想定しなかった難題も山積している。なのに先行きが見えない。国が制度疲労を起こしている。
60年もたてば、国家のシステムにさまざまなほころびが生じるのは当然である。であるなら、必要なのは新しい「国のかたち」のあり方をみんなで考えることだろう。この社説シリーズで、私たちはいくつかの前向きな提言をしてみたい。
そのためにも、まず60年前の原点にもう一度立ち返ってみよう。なぜ私たちは、あのような無謀な戦争をしてしまったのか。再び国を破滅に導かないためどうしたらいいのか。戦争から講和、復興へと続く歴史を振り返ることで、そうした問いへの手がかりが浮かんでくる。
一つ目は、資源に乏しく、海に囲まれた通商国家として生きていかなければならない日本は、国際的孤立を再び招いてはならない、ということだ。戦前の日本は国際連盟脱退など唯我独尊の軍国主義で世界から孤立し、戦争で滅びた。開かれた国益を国際協調主義で守っていくことにしか、日本の未来はない。
国際協調を阻害するのは、各国の狭いナショナリズムである。愛国心はむろん大事だが、排他的なナショナリズムは、摩擦と対立しか生まない。協調すれば得られる利益がことごとく失われ、結果的に日本も世界も損をすることになる。
憲法の前文は「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と記している。世界とつながっていることが、日本の国益になる。これはどの国にもあてはまる真理である。そうした機運をもっと世界に広げたい。
二つ目は、米国、中国と長期的で安定的な関係を維持できるかどうかが、日本の将来の安全保障を決定的に左右するということだ。
日米中の距離は、歴史的に米中関係の変化によって左右されてきた。「日米関係は米中関係である」と言われるように、米中関係抜きの日米関係も、日中関係もない。
太平洋をはさむ日米の絆は、日本だけでなく地域全体の安定の礎である。また、中国の成長なくして日本の成長は見込めないのだ。
◇日米中の戦略対話を
中国をアジア太平洋の開放的なネットワークに取り込み、乱より和こそ利だと日中両国が常に確認しあうことが、小さな摩擦を大ごとにしない知恵というものだろう。
対立をもたらすのは互いの疑心暗鬼と誤解である。その意味で、玄葉光一郎外相が提起した日米中の戦略対話は良いアイデアだ。日米中の首脳定期対話が実現すれば、地域の安定に大きなプラスになる。沖縄の米軍基地問題を、そうした枠組みの中で協議することもできる。
三つ目は、世界秩序の変革期における政治的リーダーシップの重要性だ。講和と安保に調印したのは「戦後を作った政治家」と呼ばれる吉田茂元首相である。政治指導者が国際情勢認識を誤り、明確なビジョンと判断力を持たなかったら、日本の戦後の繁栄と安定はなかったかもしれない。そして何より、国民が総力を挙げて国の再生に汗を流そうとはならなかったかもしれない。
今は60年前に匹敵するような、時代の転換期である。民主党も自民党も、内向きの政争にうつつを抜かしている余裕はないはずだ。
講和条約発効の52年、のちに米国務長官となるジョン・フォスター・ダレス氏は、フォーリン・アフェアーズ誌への寄稿論文で、日本をアジア太平洋の集団安全保障体制に組み込むにあたってこう書いた。「米国はそれを日本に強要しているのではない。我々は日本の参加にドアをあけているだけであり、選択の自由は日本そのものの手にある」
まさに選択の自由は私たちの手にある。世界から孤立せず、日米同盟を基軸に、中国との絆を強め、地域の安定を図る。それが私たちの繁栄の基盤だという確信を、与えられたものではなく、自ら選びとったものとして羅針盤に据えたい。


東京新聞 2012年4月28日
【社説】講和条約発効60年 終わらぬ「アメリカ世」
日本が敗戦後の占領から独立を回復して六十年。日米安保条約で米軍は駐留を続け、沖縄には広大な基地が残る。独立国とは、を今なお問い掛けている。
今から六十年前の一九五二年四月二十八日。前年九月に結んだサンフランシスコ平和条約(講和条約)と日米安全保障条約が発効して、日本は再び独立を果たした。占領期間は六年八カ月あまり。
当日朝に発行された中部日本新聞(現中日新聞)は一面に、横山大観画伯が雲間にそびえる山頂を描いた「雲ひらく」を、当時珍しかった多色刷りで大きく掲載し、独立の喜びを表現している。
◆成功国家の一つに
同時に新生日本が歩むであろう道の険しさも指摘している。われらが先輩の筆による社説は「祖国独立の前途」と題してこう記す。
「喜びは喜びとして、どうして祖国の再建を達成するかに考えおよぶと、その前途の決して容易でないことがしみじみと感じられる。わが国独立の前途には、対外的にも対内的にもたんたんたる大道が開けているわけではない」
独立後の道のりは平たんではなかったが、一時は国内総生産(GDP)世界第二位となる経済成長を遂げた。粗悪品だった日本製は今や良質の代名詞だ。国民皆保険制度を導入し、平均寿命は男女総合で世界一位に。
先の大戦の反省から武力による威嚇、行使を放棄した日本国憲法の下、平和国家の看板を掲げる。
日本は戦後、最も成功した国家の一つに挙げられてもよい。
それを成し遂げられたのは、先人の努力、日本人持ち前の勤勉さ、器用さはもちろんだが、西側陣営の一員として日米安保条約の下、経済活動に専心できたことと無縁ではなかろう。
アジア・太平洋地域の局地的な紛争も、戦火が日本に直接及ぶことはなかった。
◆切り離された沖縄
日本本土にとって平和と繁栄を享受する転機となった講和条約の発効は沖縄には新たな苦難の始まりだった。この条約で沖縄は本土から切り離され、米軍による統治「アメリカ世(ゆ)」が続いたからだ。
沖縄では四月二十八日を「屈辱の日」と呼ぶという。米軍統治の苛烈さを想起させる。
琉球政府の上部組織である米国民政府などのトップには米陸軍の軍人が就いた。沖縄に住む人たちの人権は脅かされ続け、住民自治は著しく制限された。
米軍は沖縄占領とともに基地を拡大し、土地収用に抵抗する住民には「銃剣とブルドーザー」による強制収用で応じた。
皮肉なことに、沖縄での基地拡大の一因が、五五年、東京都砂川町(現立川市)で起きた米軍立川基地の拡張に反対する砂川闘争など、本土での反米反基地闘争だ。
岐阜、山梨両県に駐留していた米海兵隊は五六年、沖縄に移駐した。安保条約発効から改定される六〇年ごろまでに、本土の米軍基地は四分の一にまで減り、逆に沖縄では約二倍に増えた、という。
住民が抵抗する本土から抵抗できない沖縄に。日々の騒音や相次ぐ事故、米兵による犯罪など基地負担の押し付けにほかならない。
七二年の沖縄の日本復帰後も、基地負担の重圧に沖縄が苦しむ状況は変わっていない。在日米軍基地の約74%は今なお沖縄県内に集中している。基地を押し付けたが故に、沖縄県民以外の多くの日本人がこの現実を忘れてしまっているのではないか。
日米安保条約が日本を含むアジア・太平洋地域の平和と安定に不可欠で、日本国民が条約存続を選択するのなら、日本に提供義務のある米軍基地の負担は、国民ができる限り等しく負うべきだろう。
しかし、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先をめぐり「北海道から鹿児島までヤマトで探してもらいたい」と訴える仲井真弘多沖縄県知事の切実な声に、政府も国民もどれだけ真剣に耳を傾けてきたというのか。
きのう発表された日米外務、防衛担当閣僚による共同文書は、名護市辺野古への県内移設が「これまでに特定された唯一の有効な解決策」と現行案を堅持した。
海兵隊基地は沖縄から動かせないという思考停止に、日米ともに陥っているのか、それとも日本側が米側に国外・県外移設を言い出せないでいるのか。
◆祖国復帰したが…
佐藤栄作首相は六五年、戦後の首相として初めて沖縄を訪問した際、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後は終わったとは言えない」と語った。
祖国復帰は実現した。しかし、異民族支配の象徴だった米軍基地が今なお沖縄県民の生活を威圧する限り沖縄での「アメリカ世」は終わらない。同胞である日本政府がそれを変えられないのなら、本土においても同様である。


沖縄タイムス 2012年4月28日 09時55分
社説:[講和条約発効60年]基地政策の惰性改めよ
サンフランシスコ平和条約(対日講和条約)は1952年4月28日、発効した。敗戦国日本が主権を回復し、国際社会に復帰した日である。
全国の多くの学校で朝礼が開かれ、学校長が講和発効の意義を説いた。講和発効にちなんで祝典歌「日本のあさあけ」を歌い、万歳を三唱した学校もあったという。
「日本のあさあけ」は、吉田茂内閣の依頼で歌人の斎藤茂吉が作詞し、「海ゆかば」を作曲した信時潔が曲をつけたものだ。
当時の吉田茂内閣は、平和条約を「寛大な講和」だと評価し、祝賀ムードを演出したが、講和条約には負の側面も多かった。「北緯29度線以南の南西諸島」の施政権が米国に委ねられたのである。
53年、奄美諸島の日本復帰が実現し、与論と沖縄の間の「北緯27度線」が新たな国境になった。
塩屋小学校の2年生が66年に作文を書いている。
「うみに、せんがひかれて、日本のうみ、おきなわのうみと、わかれているというが、ほんとうかな。ほんとうにせんがみえるかな。うみのうえで、あくしゅして、早く日本にかえるようにするそうです」
あれから60年。鹿児島県与論町と国頭村の人々が28日、27度線周辺の海上に集い、かつての海上集会を再現する。
沖縄の復帰は40年前に実現したが、サンフランシスコ体制の下で築かれた沖縄の基地群と自由使用という運用形態は、依然として清算されていない。
4月28日に海上集会を再現することは、現在の問題を考える上でも、大きな意義がある。
復帰前、米国は司法、立法、行政のあらゆる権限をもっていた。
琉球上訴裁判所で係争中の事件の裁判権を米国民政府裁判所に移送したり、選挙で選ばれた瀬長亀次郎那覇市長を反米だとの理由で布令を改正して追放したり。米国に都合の悪い状況が発生すると、米国民政府は権限行使をちゅうちょしなかった。
事件事故の米兵加害者が軍法会議で無罪になったケースも多い。
68年の主席公選が実現するまで、沖縄の人たちは、選挙で自分たちの主席(今の県知事)を選ぶことさえできなかった。
詩人の山之口貘が嘆いたように、米国統治下の沖縄は「日本みたいで/そうでもないみたいな/あめりかみたいで/そうでもないみたいな/つかみどころのない島」だった(詩「正月と島」より)。
講和条約に調印する前の1940年代後半までは、沖縄の将来について、「独立」や「国連の信託統治」を主張する人々も多かった。
沖縄戦直後の多様な政治的主張が「復帰」に収れんしていくのは、講和条約調印が現実の政治日程にのぼったころからだ。条約発効直後の52年11月、立法院は早くも「琉球の即時母国復帰請願」を決議している。
講和後、沖縄の民意が急速に変化したのはなぜだろうか。(1)日常的に「自治」「人権」が脅かされ、(2)沖縄の国際的地位もウチナーンチュの法的位置づけも不安定で、日本人なのか琉球住民なのか、つかみどころがなく、(3)基地建設のための土地接収が相次ぐなど、住民の財産権まで脅かされ、(4)米兵の事件事故も多発するようになった―からである。
72年5月15日の日本復帰は、沖縄にとって、米国統治に終止符を打つ大きな「世替わり」だった。だが、苦難の歴史に終止符が打たれたわけではない。
2010年5月、鳩山由紀夫首相が来県し、米軍普天間飛行場に隣接する普天間第二小学校体育館で住民との対話集会が開かれた。同校教諭の訴えは、今、早急に解決すべき問題が何なのかを明確に示している。
「騒音による昨年度の授業の中断は実に50時間。それだけの時間を七百人余の子どもたちは奪われているのです」
50年代、60年代に騒音に悩まされる日々を送った子どもたちの、その子や孫の世代が、今なお米軍の騒音に脅かされ続けているのである。
この現実をこれ以上放置することは許されない。

琉球新報 2012年4月28日            
社説:対日講和発効60年/人権蹂躙を繰り返すな 許されぬ米軍長期駐留
60年前と一体、何が変わったのか。日米両政府が27日に発表した在日米軍再編見直しの共同文書にこんな印象を抱く県民が多いのではないだろうか。
米軍普天間飛行場の移設先について名護市辺野古が「これまでに特定された唯一の有効な解決策である」と結論づけた。知事をはじめ県内世論の大多数が県内移設に反対しているにもかかわらず、県土の利用方法を日米が県民の頭越しに勝手に決めたのだ。
連綿と続く「屈辱」
60年前のきょう4月28日は対日講和条約(サンフランシスコ平和条約)が発効された日。敗戦国の日本が完全に主権を回復し、連合国の占領状態から独立を果たした。一方でこの日を境に沖縄、奄美を含む南西諸島が日本から切り離され、米軍統治という異民族支配が始まる。その後に連綿と繰り返された住民弾圧、人権蹂躙(じゅうりん)の源流となるこの日を、沖縄では「屈辱の日」として語り継いできた。
沖縄を日本から切り離した米軍はまず、住民が暮らしていた土地を強制的に接収し、基地拡大を始めた。1953年4月、真和志村の安謝、天久、銘苅に土地収用令を発令し、その後も伊江島、読谷、小禄、宜野湾の各村に武装兵を動員し「銃剣とブルドーザー」で住民を追い出し、家屋を次々となぎ倒した。
こうして日本の国土面積の0・6%しかない沖縄県は現在、在日米軍の74%を抱えて差別的な過重負担を強いられている。
「沖縄における米軍のプレゼンス(駐留)の長期的な持続可能性を強化する」。共同文書は記す。
戦後67年も基地被害に苦しんできた沖縄に、長期にわたって基地を置き続けるという日米の狙いがはっきりした。条約発効から60年後の「屈辱の日」前日に、新たな「屈辱」が重ねられる。沖縄をいつまで日米安保の踏み台にするのか。
昨年11月に「普天間」移設作業で環境影響評価書の提出時期を記者から問われた当時の沖縄防衛局長は「犯す前に、これから犯すと言いますか」と言い放った。県民を陵辱の対象にしか見ず、沖縄の民意を踏みにじってでも新基地建設を押し進めようという政府側の姿は「銃剣とブルドーザー」と何が違うのだろう。
共同文書には「普天間」移設先で名護市辺野古以外の選択肢の余地に含みを残す文言が入った。辺野古について「唯一の有効な解決策である」とする記述の前に加わった「これまでに特定された」という部分だ。現時点では辺野古は「有効な解決策」だが、将来までは保証しないという含意がある。
理不尽な県民無視
この記述は、嘉手納統合案を主張し、共同文書の発表日程を「詰めが不十分」だと批判して延期させた米上院のレビン軍事委員長らに配慮して盛り込まれたようだ。国防予算を左右する大物議員の声には耳を傾ける日米両政府が、当事者である県民の意向を無視するのはあまりにも理不尽だ。
将来、辺野古を断念したとしても、レビン氏らの意向が反映されれば嘉手納統合案という県内移設を押し付けられかねない。今年7月に普天間飛行場に配備予定というMV22オスプレイも今年初めの時点では、県内配備の前に本州の米軍基地で先行駐機する案が浮上していた。しかし今月になって受け入れ態勢などに問題があるとの理由で断念し、沖縄が国内初の配備地となりそうだ。言語道断だ。
57年前、土地を奪われた伊江島の住民が本島に渡り、多くの人々に実情を訴えるために行脚した「乞食行進」でこう訴えた。
「乞食するのは恥であるが、武力で土地を取り上げ、乞食させるのは、なお恥です」。戦後も沖縄だけに過重負担を強いている現在の日米両政府の姿にも通じる一文である。
民主国家を標榜する日米の下でこれ以上、人命、人権が脅かされる構造的暴力を許してはならない。


しんぶん赤旗 2012年4月29日(日)
主張:サ条約・安保60年 その是非を根本から問うとき
日本がアメリカなどと結んだサンフランシスコ条約と日米安全保障条約(旧安保条約)が発効した1952年4月28日から60年になりました。
サ条約で日本は形の上では「独立国」となりましたが、沖縄はその後も占領下におかれ、安保条約でいまも全国に米軍基地がおかれているように、日本は事実上、アメリカの「従属国」にされてきました。沖縄の基地問題でも環太平洋連携協定(TPP)への参加問題でも「アメリカいいなりでいいのか」という批判が噴き出しています。「日米同盟」の根本にある安保条約の是非を問うときです。
「対米従属」の異常
アメリカは1972年の「施政権返還」まで沖縄での占領を継続する一方、60年には安保条約を改定し、基地提供にとどまらず、「日米共同作戦」や「日米経済協力」など、対米従属的な軍事同盟を強化してきました。
アメリカなどとの戦争が終わり、日本が形のうえだけでも「独立国」となってから半世紀以上たつのに、いまだに外国の軍隊が首都を含む全国に基地を置いているのは異常です。「本土復帰」から間もなく40年になる沖縄には面積で全国の米軍基地の74%が集中し、横田(東京都)、横須賀(神奈川県)、三沢(青森県)、岩国(山口県)、佐世保(長崎県)などの米軍基地とともに、日本の空や海で米軍がわがもの顔で活動しています。
自衛隊は事実上米軍の指揮と掌握のもとに置かれ、アメリカの要求にもとづいて強化され、米軍とともに海外でたたかう態勢づくりが進んでいます。軍事や外交だけでなく、経済面でもアメリカの支配が及んでいることは、アメリカの要求で市場を開放し、いままたTPPに参加しようとしていることを見ても明らかです。
アメリカ一国が圧倒的な軍事力にものをいわせて世界を支配する時代はとっくに終わっているのに、日本がいつまでも日米軍事同盟にしがみつき、事実上の「従属国」を続けているのは通用しません。それどころか日本の平和と暮らしを守るには、基地問題でも経済問題でも、安保条約をなくし、日本が主権を取り戻す以外にないことが明らかになっています。
安保条約がある限り、米軍基地をなくすには個別の合意が必要ですが、安保をなくせばすべての米軍基地を撤去し、基地の重圧から国民を解放できます。在日米軍がいなくなれば、日本が戦争の震源地になることもありません。自衛隊も縮小し、日本が平和の「発信地」としての役割を果たすこともできます。経済面でも“アメリカいいなり”を断ち切り、日本経済の自主的な発展を実現できます。
安保なくせば展望が
発効から60年にわたって日本を対米従属の鎖に縛り付けてきた安保条約をなくせば、外交でも経済でも日本の進路に新しい展望が生み出されるのは間違いありません。安保条約をなくしてこそ、アメリカとの対等・平等の友好関係も築けます。
日米安保条約は「いずれか一方」が通告すれば廃棄できると条約に明記しています。アメリカは拒否できない仕組みです。いまこそ安保条約の是非について国民的議論を全国津々浦々でまきおこし、日本の新しい進路を切り開こうではありませんか。

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