限界超えた 受け止めよ
<各紙社説・主張>
以下引用
「今回もまた、1人の命を守れなかった」。発言者からは異口同音に、無念さ、悔しさのこもった言葉が続いた。
県で米軍属の男が殺人・強姦(ごうかん)致死容疑で逮捕された事件に し、犠牲となった女性を追悼する が、きのう炎天下の那覇市で開かれた。
基地があるがゆえの事件はやまない。そのたびに米軍や政府は「再発防止」「綱紀粛正」を約束する。それでもまた事件は起き、県民を打ちのめす。
1995年の少女暴行事件後の には、党派を超えて8万5千人(主催者発表)が参加した。この の広がりが、米軍普天間飛行場の日米返還合意へとつながった。
だが今回は、県政野党の自民党や中立の公明党が大会への参加を見送った。このため、事前には「 の広がりは限定的ではないか」との見方もあった。
だが、参加者は主催者発表で6万5千人。5万人の目標を大幅に上回った。
事件後、複数の米軍基地前で追悼や の集会が続く。今回合流しなかった公明は独自に追悼集会を開き、自民も後日、同様の集会を予定している。
が超党派の形にならなかったのは、決議文の内容や運営方法をめぐって、主催で翁長雄志知事を支持する「オール 会議」と、自民、公明が折り合えなかったためだ。
決議文のうち「在沖米 の撤退」と「普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設の断念」を自民が受け入れず、公明も歩調をあわせて参加を断った。
とはいえ、事件への や悲しみは の自公も共有しているはずだ。基地の整理縮小や日米地位協定の改定を求める点でも一致している。大会に込められた県民の意思を、安倍政権は重く受け止める必要がある。
では07年の教科書検定意見撤回要求、12年のオスプレイ配備反対と、保革を超えた取り組みが誕生。翁長知事を生んだ「オール 」勢力が、新たな政治の潮流を形作ってきた。
その流れを止めようとしたのが中央の政権である。
自民党本部は2年半前、米軍普天間飛行場の県外移設を公約としていた沖縄選出の国会議員や県連に公約を破棄させた。
「辺野古が唯一の解決策」と繰り返す政府・与党のかたくなな姿勢が、沖縄県民の間に深い亀裂を生んでいる。
新たな犠牲者を出さないためにも、沖縄の分断をこれ以上深めないためにも、政府・与党は沖縄県民の思いに正面から誠実に向き合わねばならない。
沖縄がいかに理不尽なものを押しつけられているか、すべての参加者が改めてかみしめたことだろう。
沖縄県うるま市の若い女性が無残な遺体で発見され、元米 員で米軍属の男が殺人などの疑いで逮捕された事件。 の がきのう那覇市の奥武山(おうのやま)公園で開かれ、約6万5000人が参加した。
壇上で翁長雄志(おながたけし)県知事は「21年前に二度と事件を繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えることができなかったことは、政治家として、知事として、痛恨の極みだ」と悔しさを訴えた。
21年前とは、1995年に沖縄で起きた米兵3人による少女暴行事件を指す。いたいけな少女への蛮行に、積もり積もった県民の が爆発した。当時も、約8万5000人が参加して 集会が開かれ、「島ぐるみ」のうねりに発展した。
日米両政府が宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還で合意したのは、少女暴行事件が起点になっている。ただし、返還そのものは、名護市辺野古への県内移設が条件になったため、いまだに実現していない。
再発防止に向けて沖縄が求めた日米地位協定の改定も見送られ、運用の改善にとどまっている。
事件・事故はなくならない。米軍関係者による犯罪は、72年の本土復帰から今年5月までに沖縄で5910件発生し、うち殺人や強姦(ごうかん)などの凶悪事件が575件を数える。
きのうの大会には、21年前の大会にも参加した人が数多くいた。北谷町から来た公務員の男性(62)もその一人だ。梅雨が明けた炎天下のグラウンドで「声を上げたのに変えられなかった。でも、声を上げ続けなければ変わらない。こういう沖縄では駄目だ」と静かに語った。
今回の事件後、米側は地位協定に基づく特別な法的地位を与えられる「軍属」の範囲を見直すことに同意した。軍人・軍属の基地外での飲酒や深夜の外出も制限された。
しかし、どれほど効果があるのかは不明だ。曲がりなりにも両政府が危機感を持った21年前と比べて、今回の動きは明らかに鈍い。沖縄の人びとが心の底から を口にしても、同じような日常が繰り返されるとしたら沖縄は救われない。
大会で採択された決議は、地位協定の抜本的改定や、普天間の県内移設によらない閉鎖・撤去に加えて、在沖 の撤退も求めている。
沖縄は23日に「慰霊の日」を迎える。戦後71年たってなお、国土面積の0・6%しかない沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中し、若い女性が基地の存在ゆえの凶悪な事件で命を落とす。そんな沖縄に終止符を打つことが日本全体の務めだ。
沖縄をめぐる様々なあつれきはどうして起きるのか。米軍絡みの犯罪にしても、普天間基地の県内移設にしても、個々の事象だけ追っても全体像はわからない。多くの県民は何に憤っているのか。それを知ることが、対話の糸口につながるはずだ。
沖縄に住む軍属の米国人による殺人事件への抗議集会が開かれた。普天間基地の県内移設に反対する翁長雄志知事の支持勢力が主催、日米地位協定の改定や の撤収を求める決議を採択した。
「よく県全体(の声)という話をうかがうが、これは全く当たらない」。菅義偉官房長官は集会についてこう強調した。自民党などが不参加だったのは事実だが、これでは翁長知事とは話し合わないと言っているようなものだ。
日米両国政府は沖縄県の要望を踏まえ、地位協定における軍属の範囲の見直しを進めている。特権が縮小すれば犯罪抑止効果が見込める。ぜひ実現させてほしい。
問題は本土と沖縄の間に信頼関係がないことだ。日米がいくら努力しても「どうせ小手先の対策」と受け止められかねない。
沖縄の地理的重要性を考えれば一定数の米軍が沖縄に駐留することは日本の安全保障にとって不可欠だ。沖縄県民にもそう考える人は少なくない。にもかかわらず反基地運動が盛り上がるのは、安倍政権の姿勢が県民の心情を硬化させているからではないか。
普天間移設に必要な埋め立てに関する国土交通相の指示が適法かどうかを審査してきた総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」は判断をせずに終了した。
「いずれの判断をしても国と地方のあるべき関係を構築することに資するとは考えられない」というのが小早川光郎委員長の説明である。法的に正しくとも力押しできないこともあるということだ。
安倍政権は沖縄との話し合いの糸口をまず探すべきだ。県民のために一生懸命に動いていると思われない限り、どんな対策を実施しても効果は生まない
米軍犯罪の犠牲者を二度と生み出さない。沖縄の県民大会で表明された人々の願いと覚悟だ。沖縄に基地を集中させている日米政府はもちろん、私たち国民全体が沖縄の声に耳を傾けるべきだ。
うるま市の二十歳の女性が元 員の軍属に殺害され、無残な姿で発見されてから一カ月。大会では多くの人から苦しみが語られた。若い命を守れなかった悔しさや 。「被害者は私だったかもしれない」と、女性の感じた恐怖や悲しみに共感している。
一九九五年の少女暴行事件から二十年がたっても、相変わらず米軍関係者の犯罪が繰り返されてきた。事件や事故のたびに日米両政府が示す再発防止や綱紀粛正の策は小手先だった。今回もそうだ。日本側は警察官を増やしてパトロールを強化したり、街路灯を増やし、米側は米兵らに飲酒禁止を求めた。これが県民の怒りや苦悩を理解した対応なのか。県民の要求とはあまりにかけ離れている。
米軍に特権を与えている地位協定についても、今回は軍属が公務外で起こした事件であり、直接捜査の障壁になっていないとして、抜本改定はしないという。
だが、翁長雄志県知事は異を唱える。基地の外で起きた米軍関係者の事件をすべて日本の司法で裁くなど、不平等な協定を対等な内容へと抜本改定を求める。全基地撤去を求める世論も膨らんでいる。辺野古 建設に反対する運動に象徴されるように、沖縄社会は変わった。大会決議で「 撤退」が掲げられたように、「基地の整理縮小」のレベルで県民の心はもう収めきれない。
県民大会は超党派による開催が探られたが、調整は難航した。辺野古 建設に反対する「オール沖縄会議」の主催では参院選への影響もあるとみたのだろう。辺野古への 移設を容認する自民や、政権与党の公明は参加しなかった。
問題なのは、このように沖縄の人々を分断させているのはだれなのかということだ。米軍犯罪の本質は、日米安保のために、在日米軍施設の大半を沖縄に集中させてきた基地政策にこそある。
七十一年前の今頃、沖縄は壮絶な地上戦の最中にあった。戦後は米兵らの犯罪や事故も問えない、治外法権に泣かされてきた。この不条理な歴史を終わらせたい。
県民大会に連帯し、国会前など四十一都道府県で市民集会が開かれた。沖縄の問題に閉じ込めず、日本全体で、わが事としたい。
「怒りは限界を超えた」「海兵隊は撤退を」―元米海兵隊員の軍属による女性暴行・殺人事件を受けて19日沖縄県で開かれた「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」。炎天下、主催者の予想を上回る約6万5千人が参加し、未来ある命を奪われた20歳の女性を追悼し、日米両政府に改めて謝罪と完全補償を求め、二度と悲劇を繰り返させないため米海兵隊の撤退を迫りました。基地あるが故に絶えまなく引き起こされる米兵による事件や事故に「県民の怒りと悲しみは限界を超え」(大会決議)ています。安倍政権は県民の意思に真剣に応えるべきです。
命守れなかった悲しみ
「無念は計り知れない。次の被害者を出さないためにも全基地撤去、辺野古 反対」とメッセージを寄せた被害者の父親。「同世代の女性が命を奪われる。私だったかもしれない。もう絶対に繰り返さない」と涙ながらに決意を語った若い女性。喪服姿も多い異例な集会は、命を守りきれなかった悲しみをもう繰り返させないという決意に包まれました。
沖縄には、日本の国土の約0・6%しかないのに、在日米軍の専用基地が面積で約74%も集中しています。戦後70年を超え、沖縄が日本に復帰してからでも40年以上たつのに、なお基地あるが故の事件・事故が繰り返される背景にはこうした異常な実態があります。
県民大会であいさつした翁長雄志知事は、21年前の少女暴行事件にも触れながら、「政治の仕組みを変えることができなかったことは政治家としての痛恨の極み」と語り、沖縄に基地を押し付けてきた日米両政府の「壁」を突き崩す決意を表明しました。
県民大会の決議は、日米両政府は事件事故が起きるたび、「綱紀粛正」「再発防止」を徹底すると釈明してきたが実行されたためしはないとし、「もはや『基地をなくすべきだ』との県民の怒りの声はおさまらない」と強調します。
現在、沖縄に駐留する米軍の主力は、海兵隊です。沖縄の海兵隊は、「第3海兵遠征軍」という名称が示すように、海外侵攻=“殴り込み”専門部隊であり、「日本防衛」の任務を持っていません。実戦のために激しい訓練を繰り返す海兵隊は、沖縄での米軍犯罪の温床です。大会決議が「県民の人権といのちを守るためには、米軍基地の大幅な整理、縮小、なかでも海兵隊の撤退は急務である」と強調したのはあまりにも当然です。
今回の悲惨な女性殺害・遺体遺棄事件に対しても、安倍首相はアメリカのオバマ大統領との会談でも米軍基地の撤去を求めるどころか、在日米軍の特権的な地位を定めた地位協定の見直しにさえ言及していません。名護市辺野古での米軍の 建設をあくまで進める態度です。県民・国民の世論で日米両政府の「壁」を突き崩していくことがいよいよ重要です。
23日は沖縄「慰霊の日」
沖縄は23日に第2次大戦末期の沖縄戦で日本軍の組織的な抵抗が終わった日とされる「慰霊の日」を迎えます。沖縄の米軍基地は沖縄戦とその後、米軍が県民から土地を奪って建設したものです。
沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲になった沖縄にこれ以上の基地負担押し付けは許されません。海兵隊を撤退させ、「基地のない平和な沖縄」を目指すのが急務です。
基地がある限り、女性の人権を蹂躙(じゅうりん)し、命を危険にさらす米兵・ は起き続ける。
県民の怒りと苦痛は字義通り、限界を超えている。県民の尊厳と名誉に懸けて、在沖米海兵隊の撤退が急務であると決議した意義は極めて大きい。
まさに、自己決定権が発揮されたのである。
米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会は、古謝美佐子さんが歌う「童神(わらびがみ)」で始まった。子を思う母親の慈愛にあふれる歌だ。
3番の一節はこう響く。「風かたかなとぅてぃ、産子花咲(なしぐゎはなさ)かさ(風よけになって、愛児の花を咲かせたい)」
だが、沖縄社会は、彼女の命を守る風よけになれなかった。涙を拭う女性の姿が目立ち、大半の参加者が下を向き、哀切を帯びた歌声に聴き入っていた。
若者の訴えに大きな力
35度近い暑さの中、哀悼の意を表す黒っぽい着衣に身を包んだ6万5千人(主催者発表)が駆け付けた。居ても立ってもいられないという思いに駆られたのだろう。幼い子の手を引いた家族連れも目立った。
静けさが支配する中、登壇者に向けられる拍手もためらいがちだった。過去にあった基地関連の県民大会と異なり、会場は痛恨、自責の念に満ちていた。
被害者と遺族の無念に思いをはせ、深い怒りと彼女の命を守れなかった悔いが覆った。
さらに、71年前の沖縄戦を起点とする米軍基地の重圧が、必然的に生み出してきた数多くの犠牲者への追悼の意と、「二度と犠牲者を出さない」という誓いが交錯する場ともなった。
大会決議は、差別的な沖縄への基地押し付けにあらがう不退転の決意を示し、日米両政府に突き付けた。近未来の沖縄を担う若い世代から、女性や子どもが安心して暮らせる平和な社会を実現させたいという、ひときわ力強いメッセージが発せられたことが今回の特徴だ。
共同代表の玉城愛さん(21)=名桜大4年=は喪服に身を包み、安倍晋三首相と本土に住む国民を名指しし、涙ながらに「『第二の加害者』はあなたたちだ」「再発防止や綱紀粛正などという幼稚な提案は意味を持たない」と訴えた。
民主主義の手だてを尽くして示されてきた沖縄の民意に無視を決め込み、安倍政権は過重負担を放置した揚げ句、米軍属による凶行を防げなかった。
地方自治を脅かす強権を発動して辺野古新基地建設をごり押しする安倍政権と、沖縄の苦衷を「人ごと」のように傍観する本土の国民に向けた痛切な叫びでもある。シールズ琉球などの4人の大学生のしまくとぅばを交えた、真摯(しんし)なアピールも参加者の胸を打った。
この日は沖縄に呼応し、41都道府県69カ所で集会が開かれた。こうしたうねりが広がり、沖縄を支える世論が高まることを望むしかない。
遺族の痛切な要望
「次の被害者を出さないためにも『全基地撤去』『辺野古新基地に反対』。県民が一つになれば、可能だと思っています」
最愛の娘を奪われた父親が寄せたメッセージは大会決議よりも踏み込み、新基地ノーに加えて「全基地撤去」を望んだ。あらん限りの思いを込めた渾身(こんしん)の願いであろう。
事件の紛れもない当事者である日米両政府は遺族の悲痛な要望にどう応えるのか。「基地の島・オキナワ」の民の悲憤と血がにじむような訴えを無視することは許されない。
日米地位協定の運用改善など、小手先の再発防止策はもういらない。「真摯に受け止める」(岸田文雄外相)といううわべだけの対応から脱し、海兵隊撤退を模索し、地位協定改定に向けた協議に入るべきだ。
大会は政権与党の自民、公明の両党が参加を見送り、完全な超党派にならなかったが、党派に属さない一般市民の参加が多く、決議の重みは変わらない。
「県民の犠牲は許さない」と強調した翁長雄志知事は「辺野古新基地は断固阻止する」と誓った。県民は等しく、未来の犠牲者を出さない責任を背負っている。その自覚を深め、行動に移したい。
沖縄の人々の命と人権、尊厳をいま、守らなければならない。ごく当たり前のことを求めるために、また県民は集まる。命と人権、尊厳が踏みにじられている現実が横たわっているからだ。
米軍属女性暴行殺人事件を受け「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」が19日午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場を主会場に開かれる。
主催者は追悼の気持ちを表すため、黒色のものを身に着けて参加するよう呼び掛けている。犠牲になった女性を多くの人と悼みたい。
後絶たぬ米軍関係事件
沖縄では米施政権下から44年前の復帰を経て現在に至るまで、米軍人・軍属による凶悪事件がとどまるところを知らない。特に女性が被害となる暴行事件は戦後間もないころから頻発していた。
1948年2月6日のうるま新報(現琉球新報)には「恥じずに届けよ 軍関係の被害者に警告」と題して警察部長による次の談話が掲載された。
「被害者は外聞を恥じ、災難を恐れ、そのまま泣き寝入りするものが多い。この種事件の続発を容易ならしめる恐れがある。もし不幸にして暴行に遭ったものは恥じたり、たたりをおそれて隠すことをせず、警察に申し出て事件の早期解決とこの種事件の絶滅のため協力してもらいたい」
警察部長の異例の談話は当時、被害に遭っても申告せずに泣き寝入りする女性が多かったことを示すものだ。それは現在も変わっていない。事件として摘発されたのは氷山の一角にすぎない。警察部長が68年前に誓っていた「事件の絶滅」はいまだ実現せず、談話の中で示した懸念すべき状況は、変わることなく沖縄社会に存在したままだ。
72年の復帰から2016年5月までの米軍関係者による刑法犯罪件数は5910件に上り、うち凶悪犯罪は575件に達する。軍隊の構造的暴力によって、県民の生命が危険にさらされ続けてきたのだ。
事件だけではない。米軍による事故も後を絶たない。米軍機の事故だけでも復帰から44年間で540件を超え、墜落は46回を数える。年1回以上も墜落している計算だ。
なぜ沖縄がこうした状況に置かれなければならないのか。県民の多くが抱いている強い疑問だ。理由は明白だ。日本の国土面積の0・6%の沖縄に74・46%の米軍専用施設が集中しているからだ。
県民世論は全基地撤去
琉球新報社と沖縄テレビ放送が5月30日~6月1日に実施した世論調査では、米軍関係の事件・事故を防止するために「沖縄からの全基地撤去」を望む意見が43%と最も多かった。再発防止には、沖縄から全ての基地をなくす以外に方法はないと思っている県民が多数を占めているのだ。
それにもかかわらず、日米両政府は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設作業を強行し、新たな基地を造ろうとしている。訴訟和解で工事は中断しているが「辺野古が唯一」だとして方針を変えていない。世論調査では辺野古移設反対は84%に上った。民意無視の新基地建設は構造的暴力の行使にほかならない。
1995年の米軍人による少女乱暴事件に抗議する県民大会で、大田昌秀知事(当時)は「幼い少女の尊厳を守れなかったことをおわびします」と述べた。今回の事件後、翁長雄志知事は女性が遺体で見つかった現場を訪れ「守れなくてすみませんでした」と女性にわび、二度と事件を起こさせないことを誓った。県民も等しく同じ気持ちでいるはずだ。
これ以上、新たな犠牲者が出ることを私たちは決して容認することなどできない。だからこそ今回の県民大会を最後の大会にしなければならない。基地被害はもうごめんだ。命と人権、尊厳を取り戻すため、多くの人々と思いを共有したい。
世代を超えて女性の姿が目立った。彼女たちの多くが弔意を表す喪服を着用している。モノトーンの色調で埋め尽くされた会場に渦巻いていたのは沖縄の「公憤」だ。
» もうたくさんだ 坂本龍一さん【県民大会・著名人メッセージ】
復帰後、最も残虐な事件に対する強い怒り、被害者の痛みを想像することによって生まれる新たな痛みの感情、若い命を救うことができなかった自責の念などが入り交じった思いである。
20歳の女性の命が奪われた元海兵隊員による暴行殺人事件を受けて19日、那覇市の奥武山公園陸上競技場で開かれた被害者を追悼する県民大会。梅雨明けの強烈な日差しが照りつけ、玉のような汗が噴き出す会場に約6万5千人(主催者発表)が集まった。
「なぜ娘は殺されなければならなかったのか。次の被害者を出さないためにも全基地撤去を願っている」
亡くなった女性の父親が寄せたメッセージからは、個人の尊厳を奪う卑劣な犯罪への怒りと、もはや基地政策を見直すしかないという思いがにじむ。
登壇した大学生の玉城愛さんは、時折言葉を詰まらせながら思いの丈をぶつけた。
「生きる尊厳と時間が軍隊によって否定される社会を誰がつくったのか」
沖縄では1995年の暴行事件以降、米兵による性暴力を基地がもたらす人権侵害ととらえ、安全保障のあり方を問う運動が女性たちによって続けられてきた。
米軍基地が過度に集中し、その結果、女性の人権が脅かされている現実をこれ以上見過ごすわけにはいかない。
■ ■
今回「海兵隊の撤退」という踏み込んだ要求を大会決議に加えたのは、県民の怒りが限界を超え「妥協できない」という声が高まったからだ。
翁長雄志知事はあいさつの中で、日米地位協定の抜本的な見直しと海兵隊の撤退・削減を含む基地の整理縮小に取り組んでいく「不退転の決意」を示した。
沖縄の海兵隊はベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争など、米軍がかかわった戦後の主な戦争のほとんどに投入された。
沖縄で事前訓練を受け、激しい戦闘に従事し、任務を終え、沖縄に帰還する。このような軍隊が狭い島に常駐していることが、地域の人々にとってどれほど大きな負担となっているか、本土の人たちは自分のこととして想像したことがあるだろうか。
しかも沖縄では演習場や飛行場が住民の生活空間と隣接しているのである。
■ ■
県民大会は子を慈しむ母の愛を歌った古謝美佐子さんの「童神」で始まり、沖縄戦をテーマにした海勢頭豊さんの「月桃」で締めくくられた。
3日後の23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。71年前の米軍上陸直後から始まった米兵による女性への性犯罪は今も続く。戦争ははたして終わったといえるのだろうか。
「これを最後に」との思いが強くにじみでた大会は、県民の心の奥底で大きな意識の変化が起きていることを印象づけた。静かに、しかし確実に沖縄社会の内部で地殻変動が起きている。
恩納村の山あいの遺体遺棄現場を訪れる人が今も絶えない。
アスファルト道路の側溝の脇に、ずらっと花束や飲み物、お菓子が供えられ、それが日を追うごとに増えているのがわかる。短いメッセージを添えたものもあった。
「怖かったよね。痛かったよね。つらいよね」
「あなたの死を無駄にはしない」
「あなたにいつの日か安らぎが来ますように」
元米兵による暴行殺人事件で亡くなった女性を追悼する動きが県内各地で広がっている。「被害者は自分だったかもしれない」「もしかしたら自分の娘だったかもしれない」-多くの人たちが事件を自分のこととして、自分とつながりのある身近なこととして受け止め、悔しさと憤りと不安の入り交じった自問を繰り返している。
17日、名護市で開かれた市民集会では、かけがえのない一人娘を亡くした両親のメッセージが読み上げられた。
「未来を断ち切られた娘が最後の犠牲者となり、子を失い悲しむ親は、私たちを最後にしてほしいと思います」
19日には午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場で大規模な県民大会が開かれる。追悼の思いを前面に押し出した大会になるだろう。多くの人たちの参加を期待したい。
■ ■
事件を通して突きつけられている問いは次の二点に尽きる。
「なぜ、米軍関係者による性犯罪が繰り返されるのか」 「どうすればこれを防ぐことができるのか」
事件発生の際、政府・自民党サイドから出たのは「最悪のタイミング」という言葉だった。その場限りの「危機管理的対応」や、選挙向けの「政治的パフォーマンス」では被害者の両親の痛切なメッセージに応えることはできない。
暴行そのものは個人的なものだとしても、今回の事件を「軍属個人の問題」ととらえ、米軍や米軍基地とは関係がないように主張するのは誤りだ。
今回の事件は「基地あるがゆえに起きた犯罪」である。その種の性暴力が沖縄では米軍上陸以来、目を覆いたくなるほど頻繁に起きている。
その事実を徹底的に洗い直すことによって「多発する構造」を突き止めることが必要だ。
■ ■
沖縄戦の経過を克明に描いた作家ジョージ・ファイファーは、「天王山・沖縄戦と原子爆弾」(下)でこう記している。「民間の婦人を犯すことは、多くの部隊は認めなかったが、もっとも頻繁に起こる犯罪に含まれていた」
米国陸軍歴史編纂所が発行した軍政文書(「沖縄県史資料編14 琉球列島の軍政」)にも似たような記述が見られる。「少数の兵士は米軍の沖縄上陸と同時に、住民を苦しめ始めた。とくに性犯罪が多かった」
1955年9月3日には、6歳の女児が米兵に暴行殺害され、嘉手納海岸で遺体となって発見されるという凄惨な事件が起きた。復帰後の95年9月4日、米兵3人による暴行事件が起きたとき、多くの人たちが反射的に思い出したのが、40年前のこの女児暴行殺害事件であった。
今回の暴行殺人事件の被害者は、95年の暴行事件が発生したその年に生まれている。
その都度打ち出される再発防止策の効果が持続せず、何度も再発を許してきた両政府や米軍の責任は重い。
議論を喚起するため3点を提起したい。
第一に、強姦(ごうかん)や強姦未遂などの性暴力は、人間としての尊厳を破壊する深刻な人権侵害である、という認識を育てること。そのための「県民目線」の研修を定期的に実施し、県に対しては必要な資料を積極的に提供することを求めたい。
第二に、地位協定の見直しに優先的に取り組むべきである。事件・事故に対する米軍の説明責任は極めて不十分だ。排他的基地管理権を認め、米軍関係者を優遇する仕組みが「逃げ得」や「植民地感覚」を温存させている側面があり、原則国内法を適用し、説明責任が果たせるような仕組みを設けることが事件の抑止につながる。
■ ■
第三に、海兵隊撤退と基地の大幅な整理縮小・撤去を進めること。戦後日本の基地政治は、沖縄に米軍基地を集中させ、その見返りに振興策などの金銭的手当をするという「補償型政治」の手法をとってきた。だが、その手法は、本土と沖縄の間に埋めがたい深刻な溝をつくり、「構造的差別」を生んでいる。
二度と再び犠牲者を出してはならないという県民の強い決意がなければ問題の解決は難しい。県民がその気にならなければ、米軍や行政を動かすことはできない。
沖縄の正念場である。
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<各紙社説・主張>
以下引用
朝日新聞 2016年6月20日05時00分
(社説) と に向き合え
「今回もまた、1人の命を守れなかった」。発言者からは異口同音に、無念さ、悔しさのこもった言葉が続いた。
県で米軍属の男が殺人・強姦(ごうかん)致死容疑で逮捕された事件に し、犠牲となった女性を追悼する が、きのう炎天下の那覇市で開かれた。
基地があるがゆえの事件はやまない。そのたびに米軍や政府は「再発防止」「綱紀粛正」を約束する。それでもまた事件は起き、県民を打ちのめす。
1995年の少女暴行事件後の には、党派を超えて8万5千人(主催者発表)が参加した。この の広がりが、米軍普天間飛行場の日米返還合意へとつながった。
だが今回は、県政野党の自民党や中立の公明党が大会への参加を見送った。このため、事前には「 の広がりは限定的ではないか」との見方もあった。
だが、参加者は主催者発表で6万5千人。5万人の目標を大幅に上回った。
事件後、複数の米軍基地前で追悼や の集会が続く。今回合流しなかった公明は独自に追悼集会を開き、自民も後日、同様の集会を予定している。
が超党派の形にならなかったのは、決議文の内容や運営方法をめぐって、主催で翁長雄志知事を支持する「オール 会議」と、自民、公明が折り合えなかったためだ。
決議文のうち「在沖米 の撤退」と「普天間飛行場の閉鎖・撤去と県内移設の断念」を自民が受け入れず、公明も歩調をあわせて参加を断った。
とはいえ、事件への や悲しみは の自公も共有しているはずだ。基地の整理縮小や日米地位協定の改定を求める点でも一致している。大会に込められた県民の意思を、安倍政権は重く受け止める必要がある。
では07年の教科書検定意見撤回要求、12年のオスプレイ配備反対と、保革を超えた取り組みが誕生。翁長知事を生んだ「オール 」勢力が、新たな政治の潮流を形作ってきた。
その流れを止めようとしたのが中央の政権である。
自民党本部は2年半前、米軍普天間飛行場の県外移設を公約としていた沖縄選出の国会議員や県連に公約を破棄させた。
「辺野古が唯一の解決策」と繰り返す政府・与党のかたくなな姿勢が、沖縄県民の間に深い亀裂を生んでいる。
新たな犠牲者を出さないためにも、沖縄の分断をこれ以上深めないためにも、政府・与党は沖縄県民の思いに正面から誠実に向き合わねばならない。
毎日新聞 2016年6月20日 東京朝刊
社説:沖縄 「繰り返さない」の誓い
沖縄がいかに理不尽なものを押しつけられているか、すべての参加者が改めてかみしめたことだろう。
沖縄県うるま市の若い女性が無残な遺体で発見され、元米 員で米軍属の男が殺人などの疑いで逮捕された事件。 の がきのう那覇市の奥武山(おうのやま)公園で開かれ、約6万5000人が参加した。
壇上で翁長雄志(おながたけし)県知事は「21年前に二度と事件を繰り返さないと誓いながら、政治の仕組みを変えることができなかったことは、政治家として、知事として、痛恨の極みだ」と悔しさを訴えた。
21年前とは、1995年に沖縄で起きた米兵3人による少女暴行事件を指す。いたいけな少女への蛮行に、積もり積もった県民の が爆発した。当時も、約8万5000人が参加して 集会が開かれ、「島ぐるみ」のうねりに発展した。
日米両政府が宜野湾市にある米軍普天間飛行場の返還で合意したのは、少女暴行事件が起点になっている。ただし、返還そのものは、名護市辺野古への県内移設が条件になったため、いまだに実現していない。
再発防止に向けて沖縄が求めた日米地位協定の改定も見送られ、運用の改善にとどまっている。
事件・事故はなくならない。米軍関係者による犯罪は、72年の本土復帰から今年5月までに沖縄で5910件発生し、うち殺人や強姦(ごうかん)などの凶悪事件が575件を数える。
きのうの大会には、21年前の大会にも参加した人が数多くいた。北谷町から来た公務員の男性(62)もその一人だ。梅雨が明けた炎天下のグラウンドで「声を上げたのに変えられなかった。でも、声を上げ続けなければ変わらない。こういう沖縄では駄目だ」と静かに語った。
今回の事件後、米側は地位協定に基づく特別な法的地位を与えられる「軍属」の範囲を見直すことに同意した。軍人・軍属の基地外での飲酒や深夜の外出も制限された。
しかし、どれほど効果があるのかは不明だ。曲がりなりにも両政府が危機感を持った21年前と比べて、今回の動きは明らかに鈍い。沖縄の人びとが心の底から を口にしても、同じような日常が繰り返されるとしたら沖縄は救われない。
大会で採択された決議は、地位協定の抜本的改定や、普天間の県内移設によらない閉鎖・撤去に加えて、在沖 の撤退も求めている。
沖縄は23日に「慰霊の日」を迎える。戦後71年たってなお、国土面積の0・6%しかない沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中し、若い女性が基地の存在ゆえの凶悪な事件で命を落とす。そんな沖縄に終止符を打つことが日本全体の務めだ。
日本経済新聞 2016/6/21付
社説:沖縄は何に憤っているのか
沖縄をめぐる様々なあつれきはどうして起きるのか。米軍絡みの犯罪にしても、普天間基地の県内移設にしても、個々の事象だけ追っても全体像はわからない。多くの県民は何に憤っているのか。それを知ることが、対話の糸口につながるはずだ。
沖縄に住む軍属の米国人による殺人事件への抗議集会が開かれた。普天間基地の県内移設に反対する翁長雄志知事の支持勢力が主催、日米地位協定の改定や の撤収を求める決議を採択した。
「よく県全体(の声)という話をうかがうが、これは全く当たらない」。菅義偉官房長官は集会についてこう強調した。自民党などが不参加だったのは事実だが、これでは翁長知事とは話し合わないと言っているようなものだ。
日米両国政府は沖縄県の要望を踏まえ、地位協定における軍属の範囲の見直しを進めている。特権が縮小すれば犯罪抑止効果が見込める。ぜひ実現させてほしい。
問題は本土と沖縄の間に信頼関係がないことだ。日米がいくら努力しても「どうせ小手先の対策」と受け止められかねない。
沖縄の地理的重要性を考えれば一定数の米軍が沖縄に駐留することは日本の安全保障にとって不可欠だ。沖縄県民にもそう考える人は少なくない。にもかかわらず反基地運動が盛り上がるのは、安倍政権の姿勢が県民の心情を硬化させているからではないか。
普天間移設に必要な埋め立てに関する国土交通相の指示が適法かどうかを審査してきた総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」は判断をせずに終了した。
「いずれの判断をしても国と地方のあるべき関係を構築することに資するとは考えられない」というのが小早川光郎委員長の説明である。法的に正しくとも力押しできないこともあるということだ。
安倍政権は沖縄との話し合いの糸口をまず探すべきだ。県民のために一生懸命に動いていると思われない限り、どんな対策を実施しても効果は生まない
東京新聞 2016年6月20日
【社説】沖縄県民大会 耳傾けるべき声がある
米軍犯罪の犠牲者を二度と生み出さない。沖縄の県民大会で表明された人々の願いと覚悟だ。沖縄に基地を集中させている日米政府はもちろん、私たち国民全体が沖縄の声に耳を傾けるべきだ。
うるま市の二十歳の女性が元 員の軍属に殺害され、無残な姿で発見されてから一カ月。大会では多くの人から苦しみが語られた。若い命を守れなかった悔しさや 。「被害者は私だったかもしれない」と、女性の感じた恐怖や悲しみに共感している。
一九九五年の少女暴行事件から二十年がたっても、相変わらず米軍関係者の犯罪が繰り返されてきた。事件や事故のたびに日米両政府が示す再発防止や綱紀粛正の策は小手先だった。今回もそうだ。日本側は警察官を増やしてパトロールを強化したり、街路灯を増やし、米側は米兵らに飲酒禁止を求めた。これが県民の怒りや苦悩を理解した対応なのか。県民の要求とはあまりにかけ離れている。
米軍に特権を与えている地位協定についても、今回は軍属が公務外で起こした事件であり、直接捜査の障壁になっていないとして、抜本改定はしないという。
だが、翁長雄志県知事は異を唱える。基地の外で起きた米軍関係者の事件をすべて日本の司法で裁くなど、不平等な協定を対等な内容へと抜本改定を求める。全基地撤去を求める世論も膨らんでいる。辺野古 建設に反対する運動に象徴されるように、沖縄社会は変わった。大会決議で「 撤退」が掲げられたように、「基地の整理縮小」のレベルで県民の心はもう収めきれない。
県民大会は超党派による開催が探られたが、調整は難航した。辺野古 建設に反対する「オール沖縄会議」の主催では参院選への影響もあるとみたのだろう。辺野古への 移設を容認する自民や、政権与党の公明は参加しなかった。
問題なのは、このように沖縄の人々を分断させているのはだれなのかということだ。米軍犯罪の本質は、日米安保のために、在日米軍施設の大半を沖縄に集中させてきた基地政策にこそある。
七十一年前の今頃、沖縄は壮絶な地上戦の最中にあった。戦後は米兵らの犯罪や事故も問えない、治外法権に泣かされてきた。この不条理な歴史を終わらせたい。
県民大会に連帯し、国会前など四十一都道府県で市民集会が開かれた。沖縄の問題に閉じ込めず、日本全体で、わが事としたい。
しんぶん赤旗 2016年6月21日(火)
主張:沖縄県民大会 県民の怒りで「壁」突き崩そう
「怒りは限界を超えた」「海兵隊は撤退を」―元米海兵隊員の軍属による女性暴行・殺人事件を受けて19日沖縄県で開かれた「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」。炎天下、主催者の予想を上回る約6万5千人が参加し、未来ある命を奪われた20歳の女性を追悼し、日米両政府に改めて謝罪と完全補償を求め、二度と悲劇を繰り返させないため米海兵隊の撤退を迫りました。基地あるが故に絶えまなく引き起こされる米兵による事件や事故に「県民の怒りと悲しみは限界を超え」(大会決議)ています。安倍政権は県民の意思に真剣に応えるべきです。
命守れなかった悲しみ
「無念は計り知れない。次の被害者を出さないためにも全基地撤去、辺野古 反対」とメッセージを寄せた被害者の父親。「同世代の女性が命を奪われる。私だったかもしれない。もう絶対に繰り返さない」と涙ながらに決意を語った若い女性。喪服姿も多い異例な集会は、命を守りきれなかった悲しみをもう繰り返させないという決意に包まれました。
沖縄には、日本の国土の約0・6%しかないのに、在日米軍の専用基地が面積で約74%も集中しています。戦後70年を超え、沖縄が日本に復帰してからでも40年以上たつのに、なお基地あるが故の事件・事故が繰り返される背景にはこうした異常な実態があります。
県民大会であいさつした翁長雄志知事は、21年前の少女暴行事件にも触れながら、「政治の仕組みを変えることができなかったことは政治家としての痛恨の極み」と語り、沖縄に基地を押し付けてきた日米両政府の「壁」を突き崩す決意を表明しました。
県民大会の決議は、日米両政府は事件事故が起きるたび、「綱紀粛正」「再発防止」を徹底すると釈明してきたが実行されたためしはないとし、「もはや『基地をなくすべきだ』との県民の怒りの声はおさまらない」と強調します。
現在、沖縄に駐留する米軍の主力は、海兵隊です。沖縄の海兵隊は、「第3海兵遠征軍」という名称が示すように、海外侵攻=“殴り込み”専門部隊であり、「日本防衛」の任務を持っていません。実戦のために激しい訓練を繰り返す海兵隊は、沖縄での米軍犯罪の温床です。大会決議が「県民の人権といのちを守るためには、米軍基地の大幅な整理、縮小、なかでも海兵隊の撤退は急務である」と強調したのはあまりにも当然です。
今回の悲惨な女性殺害・遺体遺棄事件に対しても、安倍首相はアメリカのオバマ大統領との会談でも米軍基地の撤去を求めるどころか、在日米軍の特権的な地位を定めた地位協定の見直しにさえ言及していません。名護市辺野古での米軍の 建設をあくまで進める態度です。県民・国民の世論で日米両政府の「壁」を突き崩していくことがいよいよ重要です。
23日は沖縄「慰霊の日」
沖縄は23日に第2次大戦末期の沖縄戦で日本軍の組織的な抵抗が終わった日とされる「慰霊の日」を迎えます。沖縄の米軍基地は沖縄戦とその後、米軍が県民から土地を奪って建設したものです。
沖縄戦で県民の4人に1人が犠牲になった沖縄にこれ以上の基地負担押し付けは許されません。海兵隊を撤退させ、「基地のない平和な沖縄」を目指すのが急務です。
琉球新報 2016年6月20日 06:01
<社説> 抗議県民大会 海兵隊と ノーだ 限界超えた怒り受け止めよ
基地がある限り、女性の人権を蹂躙(じゅうりん)し、命を危険にさらす米兵・ は起き続ける。
県民の怒りと苦痛は字義通り、限界を超えている。県民の尊厳と名誉に懸けて、在沖米海兵隊の撤退が急務であると決議した意義は極めて大きい。
まさに、自己決定権が発揮されたのである。
米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会は、古謝美佐子さんが歌う「童神(わらびがみ)」で始まった。子を思う母親の慈愛にあふれる歌だ。
3番の一節はこう響く。「風かたかなとぅてぃ、産子花咲(なしぐゎはなさ)かさ(風よけになって、愛児の花を咲かせたい)」
だが、沖縄社会は、彼女の命を守る風よけになれなかった。涙を拭う女性の姿が目立ち、大半の参加者が下を向き、哀切を帯びた歌声に聴き入っていた。
若者の訴えに大きな力
35度近い暑さの中、哀悼の意を表す黒っぽい着衣に身を包んだ6万5千人(主催者発表)が駆け付けた。居ても立ってもいられないという思いに駆られたのだろう。幼い子の手を引いた家族連れも目立った。
静けさが支配する中、登壇者に向けられる拍手もためらいがちだった。過去にあった基地関連の県民大会と異なり、会場は痛恨、自責の念に満ちていた。
被害者と遺族の無念に思いをはせ、深い怒りと彼女の命を守れなかった悔いが覆った。
さらに、71年前の沖縄戦を起点とする米軍基地の重圧が、必然的に生み出してきた数多くの犠牲者への追悼の意と、「二度と犠牲者を出さない」という誓いが交錯する場ともなった。
大会決議は、差別的な沖縄への基地押し付けにあらがう不退転の決意を示し、日米両政府に突き付けた。近未来の沖縄を担う若い世代から、女性や子どもが安心して暮らせる平和な社会を実現させたいという、ひときわ力強いメッセージが発せられたことが今回の特徴だ。
共同代表の玉城愛さん(21)=名桜大4年=は喪服に身を包み、安倍晋三首相と本土に住む国民を名指しし、涙ながらに「『第二の加害者』はあなたたちだ」「再発防止や綱紀粛正などという幼稚な提案は意味を持たない」と訴えた。
民主主義の手だてを尽くして示されてきた沖縄の民意に無視を決め込み、安倍政権は過重負担を放置した揚げ句、米軍属による凶行を防げなかった。
地方自治を脅かす強権を発動して辺野古新基地建設をごり押しする安倍政権と、沖縄の苦衷を「人ごと」のように傍観する本土の国民に向けた痛切な叫びでもある。シールズ琉球などの4人の大学生のしまくとぅばを交えた、真摯(しんし)なアピールも参加者の胸を打った。
この日は沖縄に呼応し、41都道府県69カ所で集会が開かれた。こうしたうねりが広がり、沖縄を支える世論が高まることを望むしかない。
遺族の痛切な要望
「次の被害者を出さないためにも『全基地撤去』『辺野古新基地に反対』。県民が一つになれば、可能だと思っています」
最愛の娘を奪われた父親が寄せたメッセージは大会決議よりも踏み込み、新基地ノーに加えて「全基地撤去」を望んだ。あらん限りの思いを込めた渾身(こんしん)の願いであろう。
事件の紛れもない当事者である日米両政府は遺族の悲痛な要望にどう応えるのか。「基地の島・オキナワ」の民の悲憤と血がにじむような訴えを無視することは許されない。
日米地位協定の運用改善など、小手先の再発防止策はもういらない。「真摯に受け止める」(岸田文雄外相)といううわべだけの対応から脱し、海兵隊撤退を模索し、地位協定改定に向けた協議に入るべきだ。
大会は政権与党の自民、公明の両党が参加を見送り、完全な超党派にならなかったが、党派に属さない一般市民の参加が多く、決議の重みは変わらない。
「県民の犠牲は許さない」と強調した翁長雄志知事は「辺野古新基地は断固阻止する」と誓った。県民は等しく、未来の犠牲者を出さない責任を背負っている。その自覚を深め、行動に移したい。
琉球新報 2016年6月19日 06:01
<社説>きょう6・19県民大会 命と尊厳取り戻そう 基地被害はもうごめんだ
沖縄の人々の命と人権、尊厳をいま、守らなければならない。ごく当たり前のことを求めるために、また県民は集まる。命と人権、尊厳が踏みにじられている現実が横たわっているからだ。
米軍属女性暴行殺人事件を受け「被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会」が19日午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場を主会場に開かれる。
主催者は追悼の気持ちを表すため、黒色のものを身に着けて参加するよう呼び掛けている。犠牲になった女性を多くの人と悼みたい。
後絶たぬ米軍関係事件
沖縄では米施政権下から44年前の復帰を経て現在に至るまで、米軍人・軍属による凶悪事件がとどまるところを知らない。特に女性が被害となる暴行事件は戦後間もないころから頻発していた。
1948年2月6日のうるま新報(現琉球新報)には「恥じずに届けよ 軍関係の被害者に警告」と題して警察部長による次の談話が掲載された。
「被害者は外聞を恥じ、災難を恐れ、そのまま泣き寝入りするものが多い。この種事件の続発を容易ならしめる恐れがある。もし不幸にして暴行に遭ったものは恥じたり、たたりをおそれて隠すことをせず、警察に申し出て事件の早期解決とこの種事件の絶滅のため協力してもらいたい」
警察部長の異例の談話は当時、被害に遭っても申告せずに泣き寝入りする女性が多かったことを示すものだ。それは現在も変わっていない。事件として摘発されたのは氷山の一角にすぎない。警察部長が68年前に誓っていた「事件の絶滅」はいまだ実現せず、談話の中で示した懸念すべき状況は、変わることなく沖縄社会に存在したままだ。
72年の復帰から2016年5月までの米軍関係者による刑法犯罪件数は5910件に上り、うち凶悪犯罪は575件に達する。軍隊の構造的暴力によって、県民の生命が危険にさらされ続けてきたのだ。
事件だけではない。米軍による事故も後を絶たない。米軍機の事故だけでも復帰から44年間で540件を超え、墜落は46回を数える。年1回以上も墜落している計算だ。
なぜ沖縄がこうした状況に置かれなければならないのか。県民の多くが抱いている強い疑問だ。理由は明白だ。日本の国土面積の0・6%の沖縄に74・46%の米軍専用施設が集中しているからだ。
県民世論は全基地撤去
琉球新報社と沖縄テレビ放送が5月30日~6月1日に実施した世論調査では、米軍関係の事件・事故を防止するために「沖縄からの全基地撤去」を望む意見が43%と最も多かった。再発防止には、沖縄から全ての基地をなくす以外に方法はないと思っている県民が多数を占めているのだ。
それにもかかわらず、日米両政府は米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設作業を強行し、新たな基地を造ろうとしている。訴訟和解で工事は中断しているが「辺野古が唯一」だとして方針を変えていない。世論調査では辺野古移設反対は84%に上った。民意無視の新基地建設は構造的暴力の行使にほかならない。
1995年の米軍人による少女乱暴事件に抗議する県民大会で、大田昌秀知事(当時)は「幼い少女の尊厳を守れなかったことをおわびします」と述べた。今回の事件後、翁長雄志知事は女性が遺体で見つかった現場を訪れ「守れなくてすみませんでした」と女性にわび、二度と事件を起こさせないことを誓った。県民も等しく同じ気持ちでいるはずだ。
これ以上、新たな犠牲者が出ることを私たちは決して容認することなどできない。だからこそ今回の県民大会を最後の大会にしなければならない。基地被害はもうごめんだ。命と人権、尊厳を取り戻すため、多くの人々と思いを共有したい。
沖縄タイムス 2016年6月20日 05:00
県民大会2016
社説:[哀悼のあとに]理不尽な現実変えよう
世代を超えて女性の姿が目立った。彼女たちの多くが弔意を表す喪服を着用している。モノトーンの色調で埋め尽くされた会場に渦巻いていたのは沖縄の「公憤」だ。
» もうたくさんだ 坂本龍一さん【県民大会・著名人メッセージ】
復帰後、最も残虐な事件に対する強い怒り、被害者の痛みを想像することによって生まれる新たな痛みの感情、若い命を救うことができなかった自責の念などが入り交じった思いである。
20歳の女性の命が奪われた元海兵隊員による暴行殺人事件を受けて19日、那覇市の奥武山公園陸上競技場で開かれた被害者を追悼する県民大会。梅雨明けの強烈な日差しが照りつけ、玉のような汗が噴き出す会場に約6万5千人(主催者発表)が集まった。
「なぜ娘は殺されなければならなかったのか。次の被害者を出さないためにも全基地撤去を願っている」
亡くなった女性の父親が寄せたメッセージからは、個人の尊厳を奪う卑劣な犯罪への怒りと、もはや基地政策を見直すしかないという思いがにじむ。
登壇した大学生の玉城愛さんは、時折言葉を詰まらせながら思いの丈をぶつけた。
「生きる尊厳と時間が軍隊によって否定される社会を誰がつくったのか」
沖縄では1995年の暴行事件以降、米兵による性暴力を基地がもたらす人権侵害ととらえ、安全保障のあり方を問う運動が女性たちによって続けられてきた。
米軍基地が過度に集中し、その結果、女性の人権が脅かされている現実をこれ以上見過ごすわけにはいかない。
■ ■
今回「海兵隊の撤退」という踏み込んだ要求を大会決議に加えたのは、県民の怒りが限界を超え「妥協できない」という声が高まったからだ。
翁長雄志知事はあいさつの中で、日米地位協定の抜本的な見直しと海兵隊の撤退・削減を含む基地の整理縮小に取り組んでいく「不退転の決意」を示した。
沖縄の海兵隊はベトナム戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争など、米軍がかかわった戦後の主な戦争のほとんどに投入された。
沖縄で事前訓練を受け、激しい戦闘に従事し、任務を終え、沖縄に帰還する。このような軍隊が狭い島に常駐していることが、地域の人々にとってどれほど大きな負担となっているか、本土の人たちは自分のこととして想像したことがあるだろうか。
しかも沖縄では演習場や飛行場が住民の生活空間と隣接しているのである。
■ ■
県民大会は子を慈しむ母の愛を歌った古謝美佐子さんの「童神」で始まり、沖縄戦をテーマにした海勢頭豊さんの「月桃」で締めくくられた。
3日後の23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。71年前の米軍上陸直後から始まった米兵による女性への性犯罪は今も続く。戦争ははたして終わったといえるのだろうか。
「これを最後に」との思いが強くにじみでた大会は、県民の心の奥底で大きな意識の変化が起きていることを印象づけた。静かに、しかし確実に沖縄社会の内部で地殻変動が起きている。
沖縄タイムス 2016年6月19日 05:00
県民大会2016
社説:[きょう県民大会]心に刻み決意示そう
恩納村の山あいの遺体遺棄現場を訪れる人が今も絶えない。
アスファルト道路の側溝の脇に、ずらっと花束や飲み物、お菓子が供えられ、それが日を追うごとに増えているのがわかる。短いメッセージを添えたものもあった。
「怖かったよね。痛かったよね。つらいよね」
「あなたの死を無駄にはしない」
「あなたにいつの日か安らぎが来ますように」
元米兵による暴行殺人事件で亡くなった女性を追悼する動きが県内各地で広がっている。「被害者は自分だったかもしれない」「もしかしたら自分の娘だったかもしれない」-多くの人たちが事件を自分のこととして、自分とつながりのある身近なこととして受け止め、悔しさと憤りと不安の入り交じった自問を繰り返している。
17日、名護市で開かれた市民集会では、かけがえのない一人娘を亡くした両親のメッセージが読み上げられた。
「未来を断ち切られた娘が最後の犠牲者となり、子を失い悲しむ親は、私たちを最後にしてほしいと思います」
19日には午後2時から、那覇市の奥武山陸上競技場で大規模な県民大会が開かれる。追悼の思いを前面に押し出した大会になるだろう。多くの人たちの参加を期待したい。
■ ■
事件を通して突きつけられている問いは次の二点に尽きる。
「なぜ、米軍関係者による性犯罪が繰り返されるのか」 「どうすればこれを防ぐことができるのか」
事件発生の際、政府・自民党サイドから出たのは「最悪のタイミング」という言葉だった。その場限りの「危機管理的対応」や、選挙向けの「政治的パフォーマンス」では被害者の両親の痛切なメッセージに応えることはできない。
暴行そのものは個人的なものだとしても、今回の事件を「軍属個人の問題」ととらえ、米軍や米軍基地とは関係がないように主張するのは誤りだ。
今回の事件は「基地あるがゆえに起きた犯罪」である。その種の性暴力が沖縄では米軍上陸以来、目を覆いたくなるほど頻繁に起きている。
その事実を徹底的に洗い直すことによって「多発する構造」を突き止めることが必要だ。
■ ■
沖縄戦の経過を克明に描いた作家ジョージ・ファイファーは、「天王山・沖縄戦と原子爆弾」(下)でこう記している。「民間の婦人を犯すことは、多くの部隊は認めなかったが、もっとも頻繁に起こる犯罪に含まれていた」
米国陸軍歴史編纂所が発行した軍政文書(「沖縄県史資料編14 琉球列島の軍政」)にも似たような記述が見られる。「少数の兵士は米軍の沖縄上陸と同時に、住民を苦しめ始めた。とくに性犯罪が多かった」
1955年9月3日には、6歳の女児が米兵に暴行殺害され、嘉手納海岸で遺体となって発見されるという凄惨な事件が起きた。復帰後の95年9月4日、米兵3人による暴行事件が起きたとき、多くの人たちが反射的に思い出したのが、40年前のこの女児暴行殺害事件であった。
今回の暴行殺人事件の被害者は、95年の暴行事件が発生したその年に生まれている。
その都度打ち出される再発防止策の効果が持続せず、何度も再発を許してきた両政府や米軍の責任は重い。
議論を喚起するため3点を提起したい。
第一に、強姦(ごうかん)や強姦未遂などの性暴力は、人間としての尊厳を破壊する深刻な人権侵害である、という認識を育てること。そのための「県民目線」の研修を定期的に実施し、県に対しては必要な資料を積極的に提供することを求めたい。
第二に、地位協定の見直しに優先的に取り組むべきである。事件・事故に対する米軍の説明責任は極めて不十分だ。排他的基地管理権を認め、米軍関係者を優遇する仕組みが「逃げ得」や「植民地感覚」を温存させている側面があり、原則国内法を適用し、説明責任が果たせるような仕組みを設けることが事件の抑止につながる。
■ ■
第三に、海兵隊撤退と基地の大幅な整理縮小・撤去を進めること。戦後日本の基地政治は、沖縄に米軍基地を集中させ、その見返りに振興策などの金銭的手当をするという「補償型政治」の手法をとってきた。だが、その手法は、本土と沖縄の間に埋めがたい深刻な溝をつくり、「構造的差別」を生んでいる。
二度と再び犠牲者を出してはならないという県民の強い決意がなければ問題の解決は難しい。県民がその気にならなければ、米軍や行政を動かすことはできない。
沖縄の正念場である。
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