2010年5月27日木曜日

[辺野古回帰]怒 怒 怒 怒 怒・・・

沖縄の県民の怒りは頂点に達している。










琉球新報 2010年5月24日          
社説 :辺野古移設表明/実現性ゼロの愚策撤回を 撤去で対米交渉やり直せ
1カ月前、鳩山由紀夫首相は米軍普天間飛行場の移設問題で「辺野古の海に立てば、埋め立てられることは自然に対する冒涜(ぼうとく)だと大変感じる。現行案を受け入れられるという話があってはならない」と述べた。
名護市辺野古移設の現行案を修正して最終決着を模索する政府内の動きを強く否定したものだった。
就任後2度目の来県で鳩山首相はその考えを百八十度変えた。
仲井真弘多知事との会談で、首相は「普天間の代替地は辺野古の付近にお願いせざるを得ないとの結論に至った」と述べた。自らが再三批判してきた自民政権時代の現行計画への事実上の回帰だ。
◆首相に「三つの軽さ」
普天間の「県外・国外」移設を求める県民の期待と信頼を裏切る行為だ。辺野古移設について知事は「極めて厳しい」と述べ、名護市の稲嶺進市長も「到底受け入れられない。実現可能性はゼロに近い」と怒りをあらわにした。民意の代弁者として当然の姿勢である。
これに対し、鳩山首相の姿勢には三つの軽さを感じる。一つは「言葉の軽さ」だ。昨年の衆院選で「最低でも県外」と述べ県外・国外移設への県民の期待値を上げたのは首相自身だ。「自然に対する冒涜」と語った現行案への回帰は自己否定に等しい。県民から「うそつき」と批判される「言葉の軽さ」を恥じているのだろうか。
二つ目は「政治主導」や外交方針に関する「信念の軽さ」である。
首相は知事との会談で県内移設による決着について「昨今の朝鮮半島の情勢からしても、東アジアの安全保障環境は、まだ不確実性が残っている。海兵隊を含めた、在日米軍全体の抑止力を低下させてはならない」と説明した。
在沖海兵隊の抑止力に対し、防衛問題の専門家からも疑義が指摘される中、首相が官僚の説明をうのみにし「抑止力」を持ち出すのは不見識だ。「政治主導」の看板をかなぐり捨てるつもりなのか。
鳩山首相は昨秋、シンガポールで行ったアジア政策講演で自らの「東アジア共同体」構想により、過去の戦争で被害を与えた諸国との「和解」達成を目指す姿勢を示した。アジアの平和と繁栄に果たす米国のプレゼンス(存在)の重要性を指摘した上で米国も参加するソマリア沖の海賊対策での協力を例に挙げ、「アジア太平洋地域の海を『友愛の海』にしよう」とも呼び掛けた。
日米同盟を基軸としつつアジアへの関与を高める首相の姿勢は、国際協調による安全保障環境の改善への意欲を示したもので、方向性は評価できる。
だが、知事との会談では東アジアの安保環境の「不確実性」を指摘し「抑止力を低下させてはならない」とした。「友愛の海」を目指す首相の信念はどこへ行ったのか。軍事力を頼みに平和と繁栄を語るなら軍部や軍人の発想と変わらない。
◆民意に立脚した同盟を
三つ目は、民主主義や人権への「認識の軽さ」だ。昨年の衆院選で普天間の辺野古沿岸移設を主張した自民候補者が全員落選。県議会は普天間の「国外・県外」移設を決議し、名護市長選では辺野古移設拒否の稲嶺進氏が当選した。
各種世論調査では一貫して普天間の「県内移設反対」が多数を示している。先月の4・25県民大会でも「県外・国外」移設の民意を明確に国内外に発信した。
この期に及んでもなお「民意」を踏みにじるのか。県内移設の押し付けに対し「沖縄差別」と感じる県民が増えている。首相は、県民の“マグマ”が爆発寸前であることに十分留意すべきだ。
鳩山首相は「できる限り県外だという言葉を守れなかったこと、結論に至るまで県民に混乱を招いたことを心からおわび申し上げたい」と謝罪した。その上で普天間移設と連動した負担軽減策として、県内の米軍訓練の一部移転・分散について、全国知事会で協力を要請すると説明した。
訓練移転は、負担軽減で一時的な効果はあっても根本解決にはつながらない。訓練移転で本来なら負担が軽減されるはずの嘉手納基地でも外来機の飛来が増え負担が増加した。県民は訓練移転が弥縫(びほう)策にすぎないことを見抜いている。
成算のない辺野古案の追求は、「日米同盟」への反発を高めるだけで、愚策以外の何ものでもない。首相は今からでも国外移設や撤去で対米交渉をやり直すべきだ。県民、国民は民意に立脚した「対等な日米関係」こそ求めている。


琉球新報 2010年5月27日          
社説 :普天間と民主主義/県内移設は権力の暴走だ 「改革」の原点に回帰を
鳩山由紀夫首相が27日にもオバマ米大統領と電話会談し、米軍普天間飛行場のキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)への移設促進を確認する見通しとなった。
沖縄の民意が明確に県内移設を拒否し、県外・国外移設を求めている中での「辺野古促進」は民主主義の否定である。このような日米合意は到底容認できない。
日米両政府は首脳会談に先立ち、代替基地建設と9月までの移設計画決定を柱とする共同声明も発表。移設先は「辺野古のシュワブ沿岸部と付近海域」と明記される見通しだ。
政争の具にするな
これまで進めてきた環境影響評価(アセスメント)の手続きは遅らせないと指摘、現行計画に沿った埋め立て構想を事実上追認した。普天間代替施設は自衛隊との共同使用を想定している。
地元の頭越しにこうも露骨に既成事実を積み上げていいものか。
知事や名護市長、県議会、県民世論が反対する県内移設の強行は、権力の暴走にほかならない。
首相官邸や外務、防衛両省の強行姿勢に対し、連立与党・社民党の福島瑞穂党首が辺野古移設に反対姿勢を打ち出すなど県民の気持ちに寄り添っているのは心強い。
永田町では社民党の政権離脱が焦点となっているが、普天間問題を政争の具として弄(もてあそ)ばないでもらいたい。目を覚ますべきは県外・国外移設を米側に要求せず、米有力紙に「屈辱的後退」と論評される鳩山首相ら関係閣僚の方である。
「対等な日米関係」を前面に、普天間移設で「最低でも県外」と唱え、初めて日米間の密約外交の闇にメスを入れた鳩山首相の「改革」の志はどこへ行ったのか。オバマ政権の「チェンジ」もしかりだ。
県民は、鳩山政権が掲げた「対等な日米関係」の有言実行を願っている。戦後沖縄はずっと日米安保体制の維持・強化の踏み台にされっぱなしだが、決して希望を捨ててはいない。県民の多くが次世代に「基地沖縄」ではなく、「基地のない平和で豊かな沖縄」を引き継ぎたいと望んでいる。
銃剣とブルドーザーによる土地収奪、「基地の中に沖縄がある」とまで言われた過酷な米軍支配の歴史をほとんどの国民は知るまい。
占領下からの日本の独立および「戦争放棄」をうたった日本国憲法の制定と、天皇制存続、米国による沖縄の軍事要塞(ようさい)化が密接に関係していることを戦後史は刻む。1960年「安保改定」から2005年「在日米軍再編」まで、戦後の日米交渉は住民の「負担軽減」を掲げながら、実際は米軍による「基地の自由使用」を維持・強化する対米追従の連続であった。
96年「日米安保共同宣言」は安保条約の「極東条項」を変質させ、適用範囲を「アジア太平洋」に拡大した。
進む「解釈改安保」
96年に日米が合意した普天間飛行場返還は、有事法制研究の本格着手が条件だった。実際、97年の日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)策定、99年の周辺事態法制定など一連の有事関連法制整備につながり、平和憲法を頂点とした日本の法体系を歪(いびつ)なものにした。
2001年の9・11米中枢同時テロを機に、憲法が禁じる「集団的自衛権」行使の疑義も指摘された対テロ特措法、イラク復興支援特措法などが次々制定された。安保条約の運用も安保政策も時の政権によってゆがめられ、連動して「憲法の空洞化」が指摘されてきた。
米軍再編は、県民に普天間県内移設を強要したほか、訓練および基地運用における米軍と自衛隊の一体化の加速で、安保の変質に拍車を掛けている。政治家も国民も「解釈改憲」ならぬ「解釈改安保」の現実に気づいていいころだ。
沖縄は戦後一貫して、この国の対米追従政策の踏み台だった。米国は「成功物語」の連続、米国による理不尽な沖縄の“軍事支配”を事実上是認する日本は、外交的敗北の連続であったと言える。
沖縄への不公正、不公平な安保政策の継続は「差別」であり、平和学が言うところの「構造的暴力」にほかならない。
日米両政府は、ことあるごとに「基本的人権、自由、民主主義、法の支配」の普遍的な価値の共有を確認する。そのような理想を掲げる両政府が辺野古移設の強行で民主主義を破壊するのか。差別的な対沖縄政策によって、両政府は民主主義を語る資格を失いつつあることを自覚すべきである。


沖縄タイムス 2010年5月24日 09時44分
[辺野古回帰]怒 怒 怒 怒 怒・・・
米軍普天間飛行場の問題で、鳩山由紀夫首相は移設先を名護市辺野古に決めたと表明した。「辺野古回帰」という最悪の結末だ。地元理解を得るよう努力するというが、沖縄の心をもてあそんだ為政者を信頼できるだろうか。
わずか7時間の訪問は日米合意前のアリバイづくりにも見える。鳩山首相が県庁で仲井真弘多知事と面談中、県議会議員らは議会棟前で座り込みした。市民団体の抗議が響き、「怒」と書かれたプラカードが沿道を埋めた。
こうした地元の訴えに耳を傾けない鳩山内閣のやり方は前政権よりもたちが悪い。
日米両政府が大筋合意した結果だけを地元に放り投げるのが民主党のやり方ならば、いっそのこと政権公約に掲げた「地域主権」を重要政策から降ろすべきだ。それとも沖縄は別枠、とでも言うのか。
選挙で「最低でも県外」と公約したことを、党代表の発言にすぎないと言い訳し、普天間の新たな移設先を「ゼロベースで探す」と言いながら、県外の可能性を本気で検討した形跡はない。
そもそも現行案の微修正が実現可能な解決策だと本気で考えているのだろうか。
日米両政府は28日にも合意文書を発表する予定らしいが、米国は「政治的に持続可能」な決着を求めている。海外に多くの基地を持つ米国は地域住民が反対する軍事施設が政治的に脆弱(ぜいじゃく)であることを熟知しているはずだ。
「なぜ沖縄に」の問いに答えることもなく、「やはり辺野古で」と言い出す鳩山首相にはあきれるばかりだ。
普天間問題をめぐる国内論議は、本質論よりも政局ばかりが注目され、異様な雰囲気に包まれている。
鳩山首相は「昨今の朝鮮半島情勢から分かるように東アジアの安保環境に不確実性がある」とし、海兵隊を含む在日米軍の抑止力を強調した。
それをもって沖縄の過重負担を正当化するには無理がある。米軍は戦時に数十万の兵力を空輸で投入できるため、日本のどこに海兵隊を置いても運用に支障はない。
しかも在沖海兵隊はアフガン、イラン派兵などで不在が多い。2005年から昨年まで年間延べ3千~4千人を派兵している。残る部隊もアジアを遠征しており、タイで共同訓練があった今年2月から4月まで普天間飛行場はがら空きだった。鳩山首相が「学べば学ぶほど」と語った抑止力はいったい何だったのか。
海兵隊を知るほどに県外・国外移転の可能性が見えてくるはずだ。
国土面積のわずか0・6%の沖縄なら海兵隊配備が可能で、本土では無理、というのはあまりに理不尽だ。どこも反対だから―という国内事情を抑止論で覆い隠す手口にはもううんざりだ。
政権交代はこの国にとって歴史的転機であるはずだ。外交・安保も新たなアプローチがあるだろうと期待を寄せていた。それが裏切られ「怒」が高まる沖縄で米軍基地はこれまで以上に脆弱化することを政府は認識すべきだ。
日米同盟は沖縄をめぐり一層混迷するだろう。


沖縄タイムス 2010年5月23日 09時43分
[鳩山首相再来県]シマがまた分断される
鳩山由紀夫首相がきょう再び来県する。今月4日の初来県で仲井真弘多知事、稲嶺進名護市長らにすでに米軍普天間飛行場の県内移設を要請している。この方針を繰り返すだけなら納得できない。
「最低でも県外」と公約して政権交代を果たしたにもかかわらず、移設先は結局、自公政権時代の名護市辺野古、しかも埋め立て案に逆戻りというのでは何をか言わんやだ。この間、鳩山政権はいったい何をしてきたのか。県民の心をもてあそぶのは、いいかげんにしてもらいたい。
名護市長選はついこの1月24日にあったばかりだ。民主党は連立を組む社民、国民新両党とともに、「海にも陸にも基地は造らせない」と公約した稲嶺市長を推薦していた。それを忘れたかのような振る舞いである。
稲嶺市長の意向を無視して、頭越しに押し付けようとするやり方は、民主主義を否定するものだ。
驚くことに政府側は、自公政権時代に条件付きで移設を容認していた前名護市長周辺の有力者に受け入れを働き掛け、地域を分断しようとしているというから言葉を失う。14年間にわたってずたずたにされた地域社会をまた混乱させようとしているのである。
首相が正面から向き合うべきは米国である。海兵隊駐留のあり方を本格論議すべきなのに、現行案を譲らない米国の顔色ばかりをうかがい、肝心の地元、沖縄の民意を無視する。もうマニフェスト(政権公約)を持ち出すのもむなしくなるが、「対等な日米同盟関係」はどこに消えたのか。「帝国」と「属国」の関係ではないのか。
首相を支える平野博文官房長官も鹿児島県・徳之島を分断するためとしかみられない密室交渉をしている。稚拙というだけではすまない。なりふり構わぬ分断工作といったほうがいい。
政府は徳之島を普天間ヘリコプター部隊の一部訓練移転先として想定しているが、徳之島など3町長は今月7日、首相官邸で鳩山首相に直接、拒否の意向を伝えた。にもかかわらず、平野長官は今月中旬に複数回、受け入れに積極的な島民らと鹿児島市で面会した。経済振興策の要請書を受け取り3町長との面会の仲介を依頼している。
名護市で破綻(はたん)した、基地と引き換えの経済振興策という補償型行政を繰り返そうとしているが、地域の対立をあおるだけだ。鳩山首相は野党時代、「アメとムチ」による基地受け入れの自公政権の手法を批判していたが、まったく同じことをしているのだ。
鳩山首相の再来県は何が目的なのだろうか。
辺野古埋め立て案を説明し地元の理解を得るための来県だとすれば、民主党政権に託した県民の期待を完全に引き裂くことになるだろう。
政府は羽地内海の泥を活用した辺野古埋め立てを有力案としているようだ。「環境共生型」の「エコ基地」と呼んでいるらしい。とんでもない。詳細は不明だが、環境といい、共生といい、エコといい、基地とは対極にあるものばかり。詭弁(きべん)というしかない。


朝日新聞 2010年5月24日(月)付
社説:首相沖縄再訪―より険しくなった道のり
沖縄県の米海兵隊普天間飛行場の移設問題は、政権交代後8カ月の迷走の末、結局、振り出しに戻った。
鳩山由紀夫首相はきのう、沖縄県を再訪し、名護市の「辺野古付近」に代替滑走路をつくると初めて明言した。
移設場所や工法の決定は先送りされるが、環境影響評価をやり直さないという米国政府との大筋合意に従えば、現行案の微修正にとどまるのは確実だ。実質的に現行案への回帰である。
「最低でも県外」という公約との「落差の大きさ」には、仲井真弘多知事ならずとも目がくらむ。
首相の公約に力を得て、国外・県外移設要求でまとまった県民の失望と怒りは察するに余りある。知事が首相に「大変遺憾。(受け入れは)大変厳しい」と言ったのも当然である。
辺野古沿岸部の埋め立て案を「自然への冒涜(ぼうとく)」とまで言って拒否する姿勢を見せてきた首相への県民の信頼は、地に落ちるだろう。
今回の結論を出した理由として、首相はきのうも在日米軍の抑止力をあげた。北朝鮮による韓国の哨戒艦撃沈ひとつとってみても東アジアの安全保障環境は不透明だ。中国の軍拡も進む。
しかし、海兵隊の抑止力の実態ははっきりせず、専門家の評価も一様でない。安全保障の根本の議論抜きに、「あれも無理」「これも駄目」と、移設先探しに行き詰まった揚げ句、現行案に戻ったのが実情だ。今更、抑止力という言葉だけで沖縄県民を説得しようとしても力はない。
首相は基地の負担を引き続き求めざるをえない分、訓練の本土移転や米軍の訓練区域の一部返還などで、トータルとしての沖縄の負担軽減に取り組む方針を強調した。しかし、帳尻合わせに訓練は形ばかり県外で、という逃げの姿勢なら許されない。
首相が本当に語るべきは、沖縄の基地を将来的にどう減らしていくのかという構想と戦略である。それを示し、再度の努力を始めなければならない。
沖縄のこれほどの反発を考えれば、米国と大筋で合意したとはいえ、2014年までの移設完了という日程通りに事が進むかどうか疑問符がつく。
地元の名護市議選や沖縄県知事選が年内にあり、結果次第では辺野古移設への逆風が一層強まる可能性もある。海兵隊8千人のグアム移転が滞り、普天間の継続使用という展開になるなら、沖縄の負担軽減と危険性の除去というそもそもの目的もかなわない。
首相はきのう、仲井真知事に念を押され、「これが終わりとは思っておりません」とはっきり言った。
時間をかけてでも、まず沖縄との信頼関係を築き直す。全国知事会などの場を通じ、負担の分かち合いの必要を全国民に訴える。険しい道のりだが、その先にしか打開の手がかりはない。


(2010年5月24日01時16分  読売新聞)
首相沖縄再訪 決断先送りのツケは大きい(5月24日付・読売社説)
昨年末に現行案での決着を図らなかったツケはあまりに大きい、と言わざるを得ない。前途は多難である。
鳩山首相が沖縄県を再び訪問し、米軍普天間飛行場の移設先を名護市辺野古周辺にする意向を仲井真弘多知事に伝えた。辺野古の米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に代替施設を建設するとの日米の大筋合意を受けたものだ。
だが、知事は、辺野古移設について、「大変遺憾で、極めて厳しい」と難色を示した。
仲井真知事は当初、辺野古に代替施設を建設する現行案を容認していた。だが、首相が決断を先送りし、沖縄で県外移設を求める世論が高まる中、県内移設は困難との立場に転じてしまった。
1月の名護市長選で、移設受け入れに反対する稲嶺進氏が当選したことも状況を厳しくした。
昨年末に首相が社民党の反対を押し切り、現行案での実施を決断していれば、その後の展開は全く違ったはずだ。致命的な判断ミスであり、首相の罪は重い。
鳩山首相は会談で、米軍の訓練の県外への分散移転などを通じて沖縄の負担軽減に努める考えを強調した。緊迫する朝鮮半島情勢を踏まえた米軍の抑止力の重要性も指摘し、知事の理解を求めた。
日米合意ができても、沖縄県や地元の反対で行き詰まる事態を避けるためには、簡単ではないが、引き続き知事を説得し、翻意するよう求める必要がある。
鳩山政権発足以来の8か月余、司令塔不在で普天間問題が迷走を重ねる中、政府と沖縄県や名護市との信頼関係は冷え切っている。政府はまず、この関係を地道に立て直さなければなるまい。
住宅密集地にある普天間飛行場を人口の少ない県北部に移す。米海兵隊8000人をグアムに移転し、普天間など米軍6施設を返還する。一連の日米合意の実施が相当な地元負担軽減になることを丁寧に説明することも大切だ。
普天間飛行場の辺野古移設にはほかにもハードルがある。社民党が強く反対していることだ。
民主党内には、社民党に配慮して、月末に予定される政府案決定の先送りを求める声もあるが、そんな無定見な対応は許されない。昨年末の二の舞いになる。
民主党は衆参両院で400議席超を有する。それが、わずか10議席余の社民党に振り回され、国の安全保障にかかわる問題が決められないようでは、国益に反する。鳩山首相の決断力と指導力が厳しく問われよう。


毎日新聞 2010年5月24日 東京朝刊
社説:首相辺野古明言 沖縄の反発強める愚策
道理もなく、実現性も見えない案に回帰したところで道が開けるはずはない。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設案は、鳩山政権の新たな混迷の引き金になる可能性さえある。
鳩山由紀夫首相は23日、沖縄を再訪して仲井真弘多県知事、稲嶺進名護市長ら沖縄北部市町村長と相次いで会談した。この場で首相は初めて具体的な移設先を明らかにした。
知事との会談で首相は、県外移設の約束が守れなかったことを謝罪するとともに、「(普天間の)代替地は辺野古付近にお願いせざるを得ない」「断腸の思いで下した結論だ」と語り、訓練移転など沖縄の負担軽減を図る考えを伝えて理解を求めた。知事は辺野古移設について「大変遺憾だ」「極めて厳しい」「県外、国外という県民の熱い思いとの落差が非常に大きい」と述べた。受け入れは困難との表明である。
また、首相と市町村長の会合で、稲嶺市長は辺野古移設について「極めて残念で怒りを禁じ得ない」「実現可能性はゼロに近い」などと、明確に受け入れを拒否した。
日米両政府は22日、移設問題で米軍キャンプ・シュワブ沿岸部(辺野古)に滑走路を建設し、普天間の基地機能の県外への分散移転を検討することなどで基本合意した。移設先は現行の日米合意案とほぼ同じだ。それ以外は事実上の先送りである。首相が国民に約束した、移設先、米政府、連立与党の合意による「5月末決着」は空証文に終わった。普天間問題は展望が開けないまま先送りされることが確実になった。
仲井真知事は会談後、首相の辺野古移設案について「(県民の間で)失望感というか、裏切られたという感じが非常に強くなっている」と語った。率直な思いであろう。地元・沖縄が「首相の要請」を受け入れる状況は、今まったくない。
また、知事は日米両政府が辺野古移設で合意後、県に方針を伝えた手法について「(日米)政府間の話は、決まってからでしか地元に(報告が)ない」と不信感を表明した。もっともである。日米合意の翌日に沖縄を訪れた首相は、県民には政府間合意を伝えるメッセンジャーとしか映っていない。
普天間問題が浮上して10年以上になる。移設先の合意を取り付ける難しさこそが、解決に長期間を要している最大の理由である。新たな基地を建設するには、地元の理解が必須であることは明らかだ。鳩山政権が、この教訓を無視して基地建設を押しつけても成算はない。
首相の方針は「5月末決着」の体裁を繕うものに過ぎない。最悪の事態である普天間の継続使用が現実味を増していることに気付くべきだ。

日経新聞  2010/5/24付
社説:日米同盟の役割に国民的な理解求めよ
8カ月にわたって迷走したあげくふたを開けてみれば、できあがったのは自民党政権当時に交わされていた日米合意に沿った案だった。
両国政府は沖縄の米軍普天間基地の移設先をキャンプ・シュワブ沿岸部(名護市辺野古)とする方向になった。鳩山由紀夫首相は23日の沖縄訪問で、こうした意向を伝えた。
この案は日米が長年の交渉の末、2006年にまとめたものだ。それにもかかわらず、首相は何の目算もないまま「県外移設」をかかげて日米関係を冷やし、沖縄の人びとも深く失望させた。
鳩山政権の迷走によって問題は振り出しに戻るどころか、より深刻になっている。当初、移設受け入れの余地を残していた地元は、いまや反対論に染められつつある。
首相は「心からのおわび」を沖縄県民に表明したが、この政治責任はきわめて重大である。
日米は28日にも合意を盛り込んだ共同文書を発表する。しかし沖縄の同意がなければ実現できない。では、どうすればよいのか。
鳩山政権は沖縄にいる米海兵隊が日本やアジアの安全保障にどのような役割を果たしているのか、ていねいに説き、ねばり強く、沖縄の理解を求めていくしかない。
朝鮮半島では韓国哨戒艦の沈没事件で緊張が高まっている。東シナ海などでは中国軍の行動も活発になっている。これらの火種を考えると、距離的に近い沖縄から米海兵隊を撤収させるのは難しいのが現実だ。
首相はようやく抑止力の必要性に気づいたようだが、こうした実情をきちんと説明しなければならない。政府と沖縄県の協議の枠組みを整えて、対話を深めることも検討してほしい。
だが、こうした努力は沖縄の理解を得るための最初の一歩にすぎない。より重要なことは、沖縄県民以外の国民も在日米軍が日本の安保に欠かせないという認識を共有し、沖縄の負担を極力、分かち合っていく姿勢を持つことだ。
米側も普天間基地での一部の訓練などについては、県外移転の検討に応じる構えをみせている。このほかにも、沖縄の米軍基地の機能のうち、県外に移せるものがないかを米側と精査し、あるとすれば、他県が積極的に受け入れに動くべきだ。
最悪の展開は今回の移設案が頓挫し、普天間基地が固定化することだ。そうなれば約8千人の海兵隊員のグアム移転も宙に浮く。日米同盟は傷つき、沖縄だけでなく、日本の安保にも大きな損失となる。

産経新聞 2010.5.24 02:59
【主張】米軍普天間基地 「辺野古」で合意まとめよ
沖縄を再訪問した鳩山由紀夫首相は、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先について「名護市辺野古の付近にお願いせざるを得ない」との考えを初めて仲井真弘多知事に伝え、これまでの経過を謝罪した。
辺野古付近は現行計画と重なり、修正する場合でも現行計画に伴う環境アセスメントを遅らせないことで日米間では一致している。首相は事実上、現行計画に戻ることを表明したといえる。
地元も受け入れた経緯があり、米側が「最善の案」とする現行計画は最も現実的といえる。迷走の末とはいえ決断を支持したい。
だが、その実現には多くの課題が残っている。仲井真知事は「極めて遺憾で厳しい」と県民の強い反対意見を背景に首相の提案を批判した。政府側は連立与党内の意見も一致していない。
問題はこれらに加え、具体的な建設場所や工法が秋まで先送りされたことだ。日米両政府は辺野古移設を軸に共同文書を28日に発表し、協議を継続する。5月末までに決着すると国民に約束した首相は、責任を果たすべきだ。秋まで待つ理由はない。直ちに辺野古移設の実現に取り組むべきだ。
首相は知事に対し、韓国哨戒艦沈没なども念頭に「東アジアの安全保障環境に不確実性がかなり残っている」と指摘し、「在日米軍の抑止力を現時点で低下させてはならない」と述べた。海兵隊の機能維持には県内移設が必要だとする説明は当然である。
そもそも、首相の米軍の抑止力への認識不足が県外移設への固執と迷走を招いた。県民に期待を抱かせた一因として知事が指摘した民主党の「沖縄ビジョン」も、米軍基地の大幅縮小などを掲げたものだ。安全保障への根本的な姿勢が問われている。
首相は普天間以外に、米軍訓練に伴う漁業の操業制限区域の緩和など、沖縄県側の要望を尊重する姿勢を示している。
だが、4年前の日米合意には、すでに海兵隊員8000人のグアム移転や嘉手納飛行場以南の米軍施設返還も含まれている。いずれも重要な沖縄の負担軽減につながる内容だ。普天間問題の決着が遅れるほど、米軍再編に伴う負担軽減の実現にも支障をもたらすことを認識する必要がある。
耳に聞こえのいい軽減策を並べるより、辺野古への移設決着が最優先の課題だ。

東京新聞 2010年5月24日
【社説】普天間問題 結局『元の木阿弥』か
鳩山首相が沖縄県を再訪し、米軍普天間飛行場の返還をめぐり、代替施設を名護市辺野古に造るという結論を伝えた。最低でも県外移設と公約しながら、結局「元の木阿弥(もくあみ)」とは何とも情けない。
鳩山由紀夫首相はどんな思いで沖縄の地を再び踏みしめたのか。公約を守れなかった無力感か、国民をだまし続けた罪悪感か。
首相は仲井真弘多沖縄県知事との会談で「代替地は沖縄県内に、具体的には辺野古付近にお願いをせざるを得ない」と語った。
米軍キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する「現行案の受け入れなどという話はあってはならない」と言いながら、現行案と同じ結論に至るとは、首相就任後の八カ月間は何のためだったのだろう。
首相は「普天間を返還するために断腸の思いで下した結論だ」と語ったが、公約に掲げた国外・県外移設の必要性や、従来感じていたという米海兵隊の抑止力への疑問を、オバマ米大統領やクリントン米国務長官に真正面から提起したことが一度でもあったのか。
首相として当然のことをせず、公約破りの言い訳に抑止力論を唐突に持ち出しても、日本国民、特に在日米軍基地の75%が集中する沖縄県民は納得しまい。
沖縄の負担軽減に向け、国外・県外移設への期待が高まった分、裏切られたことで落胆は大きい。
条件付きで県内移設を容認していた仲井真知事が「県内に失望感がある。辺野古沿岸への移設は、大変遺憾で極めて厳しいというのが現状だ」と語るのも当然だ。
日米両政府は二十八日にも、移設先を辺野古周辺とし、工法などを今秋までに決めることなどを盛り込んだ外務・防衛担当閣僚の共同声明を発表する方針だという。
ただ、日米両政府間のこれまでの合意内容と変わらず、「五月末までの決着」を公言した首相の体面を保つための共同声明なら、米国に対する日本の外交的立場を弱めると言わざるを得ない。
首相は、米軍訓練の一部を県外に移すことで辺野古移設への沖縄県民の理解を得たいのだろうが、訓練移転の目途が立っていない現状では絵空事にすぎない。
名護市では今年、辺野古移設に反対する市長が誕生し、県議会も国外・県外移設を求める意見書を全会一致で可決している。
首相は県内移設が政権交代前にも増して困難になったと心得るべきだ。その政治的責任が首相自身にあることは言うまでもない。

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