2010年6月26日土曜日

菅氏、首相になって変節 日米声明踏襲

慰霊祭参加  「感謝」発言で  県民感情を逆なで 


「海兵隊は日本にはいらない」と主張していた菅首相。
鳩山首相退陣で「みそぎ」は済んだかのように、平気で自説を覆す菅首相。

首相に就任して一番にアメリカ・オバマ大統領に電話。
より強固な日米関係を約束。

こういうのを「変節」というのではなかったか。


2010年6月26日(土)「しんぶん赤旗」
主張:普天間基地問題
「感謝」いうより無条件撤去を
沖縄の米海兵隊普天間基地の問題が、消費税問題などと並んで、参院選挙の大きな争点です。
日本共産党は、鳩山由紀夫前首相が沖縄県民の総意をふみにじって結んだ「日米合意」を撤回し、普天間基地の無条件撤去を求めてアメリカと交渉するよう求めています。民主党は「日米合意」にもとづくといい、菅直人首相は「その道をまっしぐらに推し進め(る)」と明言しました。自民党や公明党は民主党の迷走を非難しますが、新基地をつくり、県内に「移設」するという点では同じです。無条件撤去を要求するのは、日本共産党だけという構図です。
「抑止力」認めるからこそ
見過ごせないのは、菅首相が所信表明演説で沖縄県民の基地負担に「感謝」するといってひんしゅくを買い、戦没者追悼のため23日に沖縄入りしたさいには県民に「おわび」すると付け加えたものの、その「負担がアジア太平洋の平和・安定につながってきた」ことに「お礼」の気持ちを表すと繰り返したことです。
菅首相が沖縄県民の基地負担に「感謝」するのは、米海兵隊が日本を守る「抑止力」として役立っていることを強調し、今後も県民に負担を押し付けるためです。基地のために犠牲になってきた県民の立場ではなく駐留する米軍と同じ立場であり、無条件撤去を求める県民を逆なでするだけです。
もともと沖縄の米海兵隊は日本を守る「抑止力」ではなく、アメリカの戦争のための明白な「侵略力」です。沖縄を足場にして最近ではイラク侵略やアフガニスタン戦争への出撃をくりかえしています。歴代の米国防長官が「沖縄の海兵隊は、日本の防衛に当てられていない」と証言していることでもそれは裏付けられています。
沖縄の米海兵隊が日本を守る「抑止力」でない以上、沖縄県民の基地負担に「感謝」をいわれるいわれはありません。日本を守るわけでもない海兵隊は、さっさと基地を明け渡して撤退するよう求めればいいだけです。ところが、民主党政府が結んだ日米合意は、海兵隊は「抑止力」だとうたい、普天間基地に代わる新基地をつくって「移設」するとしているのです。この点では自民、公明も同じ立場であり、「抑止力」の大合唱は大きな間違いです。
重大なのは、菅氏は首相になる前には、沖縄の米海兵隊は「抑止力ではない」「米国内に戻ってもらっていい」という発言を重ねていたのに、首相になったとたん口をつぐみ、普天間基地の県内「移設」を押し付ける態度に変わったことです。日本共産党の志位和夫委員長が国会の代表質問や選挙前の党首討論で追及しても、「事態が変わった」と開き直るだけです。
満足に国民に説明もできないのに自説を投げ捨て、「抑止力」を認めるなどというのは、恥ずべき対米従属政治そのものです。
米国にものを言える党を
沖縄県民は占領下で米軍から土地を奪われ、いたましい事件・事故で、戦後65年たっても基地の重圧に苦しめられています。対米従属の政治では、この異常な事態を正すことはできません。
米海兵隊は「抑止力」だからと基地を押し付ける「大連合」は許されません。米国に堂々とものの言える日本共産党の躍進こそ、普天間問題を解決する力になります。


朝日新聞 2010年6月23日14時29分
「問答無用で着工しない」 普天間移設で菅首相
菅直人首相は23日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題について「(移設地や工法を決める)専門家の検討が(期限の)8月に終わったからといって、問答無用で着工するということではない」と述べ、移設にあたっては沖縄県側の意向を尊重する考えを強調した。
同県糸満市で開かれた「沖縄全戦没者追悼式」に出席後、記者団に語った。
菅首相は「今日をスタートとして、日米間や沖縄県と真摯(しんし)に話をしていきたい」とする一方、移設先を同県名護市辺野古周辺とした5月末の日米合意については「これを踏まえるとの方針は変わらない」との考えを示した。
首相はまた、「追悼式に参加できてよかった。犠牲の大きさを感じた」とも語った。
菅首相は追悼式に先立ち、糸満市の国立沖縄戦没者墓苑で献花。同日午後には、那覇市内で仲井真弘多(なかいま・ひろかず)知事と昼食をともにしながら会談し、普天間飛行場の移設問題などについて意見交換する。

朝日新聞 2010年6月22日(火)付
社説:首相慰霊の地へ―沖縄の民意に耳を澄ませ
鳩山由紀夫前首相が辞任したからといって、何ひとつ解決していない。沖縄県の米海兵隊普天間飛行場の移設問題は振り出しに戻ったにすぎない。
菅直人首相は「沖縄慰霊の日」のあす、沖縄県を訪れ、戦没者追悼式に出席する。前首相が「最低でも県外」の公約を果たせず、深く傷ついた政府と沖縄の関係を再構築する出発点にしなければならない。
太平洋戦争末期、沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、住民を含む20万人超が犠牲となった。米軍による占領・統治は本土の独立後も20年間続いた。
なぜ沖縄に在日米軍基地の75%が集中するのか。なぜ沖縄県民が前首相の公約違反を「沖縄差別」と怒るのか。その原点に向き合うことから始めたいという菅首相の姿勢は正しい。
政府に対する信頼の回復は極めて厳しい。しかし、この壁を乗り越えない限り、現行の日米合意を基礎にして移設を進めようとしても、出発点にすら立てない。
菅首相は就任早々、名護市辺野古への移設を確認した鳩山政権時代の日米合意を履行する方針を明らかにした。民主党の参院選マニフェストにも、日米合意の踏襲が明記された。
前政権下できしみ続けた日米関係の足場をようやく固め直そうかというところである。首相には、前政権の副総理として閣議決定に署名をした責任もある。
しかし、名護市長は受け入れ反対を崩しておらず、仲井真弘多知事も「実現は極めて厳しい」と明言している。日米合意は滑走路の場所や工法の検討を8月末までに終えるとしているが、地元の理解を得ない頭越しの決定は事態をこじれさせるだけだろう。
辺野古移設を「強行」するようなことは決してあってはならない。それが大原則である。時間がかかっても県民の声を丁寧に聞き直し、最低限の納得は得られる打開策を探るべきだ。
菅首相は、沖縄の負担軽減に力を尽くす考えを強調している。しかし、口先だけでは地元の信用は得られない。訓練の移転でも、訓練海域の返還でもいい。まずは先行して負担軽減の話し合いを米国政府と始めるべきだ。
首相はカナダでのサミット時に、オバマ大統領と会談する。日米安保体制を安定的に維持するためにも、沖縄の負担軽減が欠かせない事情を、正面から大統領に伝えてほしい。
首脳外交をみずから機能不全に陥らせた鳩山氏の轍(てつ)を踏んではいけない。
同時に、沖縄の問題を日本全体の問題として受け止め、同盟とそのコストをどう調和させるか。せっかく生まれた議論の芽を大切にしたい。一政権の崩壊という代償を払った課題である。政治の取り組みも、国民の関心も、ここで失速させてはなるまい。


琉球新報 2010年6月23日
社説 慰霊の日/軍隊は住民を守らない 今こそ沖縄戦の教訓後世に
今から65年前の1945年6月23日、アジア太平洋戦争末期に沖縄で繰り広げられた日米最後の激しい地上戦が事実上終結した。
県援護課によると、沖縄戦の全戦没者は20万666人。日本軍9万4136人(県出身将兵2万8228人含む)に匹敵する約9万4千人の民間人が犠牲になった。
政府はことし5月21日、沖縄戦の定義について、国内「唯一の地上戦」としていたこれまでの表現を「国内最大の地上戦」と言い換えた。
樺太でソ連軍による避難船への攻撃や陸上での無差別攻撃により、計約3700人の民間人が死亡したとされるからだ。
■「唯一の地上戦」
日本軍は住民に対し、米軍への投降を許さず、軍民が一体となって沖縄戦に突入した。
住民は米軍の攻撃で犠牲になっただけでなく、自国軍によるスパイ視、壕追い出し、幼児の絞殺、強制的な死に追い込まれた。沖縄戦研究者は、民間人の犠牲者数は軍人を上回ると指摘している。
沖縄戦とは、日本の領土で自国軍によって多数の住民が死に追いやられた唯一の地上戦と表現しても過言ではないのではないか。
「国内最大の地上戦」という定義では、無残で残酷な実相が伝わらないのではないかと危惧(きぐ)する。
沖縄戦から導き出された住民側の教訓として、私たちは「軍隊は住民を守らない」「命どぅ宝(命こそ宝)」と繰り返し主張してきた。
一方で、国家や軍の論理からみた教訓がある。住民側から見た沖縄戦像とはまったく異なる。私たちが最も警戒すべきものだ。
戦争を指揮する大本営は、米軍の沖縄本島上陸直後の4月2日「結局敵に占領せられ本土来寇(らいこう)は必至」(「機密戦争日誌」)と判断し首相に伝えた。日本軍の組織的戦闘が終わる直前の6月20日には「沖縄作戦の教訓」をまとめた。
この中で、兵器を持たない沖縄召集の防衛隊員などには、急造爆雷を担がせて戦車に体当たりさせ、降雨時と夜間に斬(き)り込ませるのが有効と指摘している。生還を求めず「統帥の外道(げどう)」と言われた航空機による特攻と同じ発想だ。
米軍は熾(し)烈な戦闘で、太平洋戦争を通じ最多の戦闘神経症患者が発生した。米軍の教訓は「部隊は2週間以上、第一線にとどめておいてはならない」というものだ。それほど激しい戦闘に住民がさらされていたことになる。
最後にマスメディアに関する教訓がある。45年6月29日付「読売報知」は「特記すべき新聞社の奮闘」という見出しで、安倍源基内相との一問一答を掲載した。
安倍内相は「ことに沖縄の新聞社が敵の砲爆撃下にありながら一日も休刊せず友軍の士気を鼓舞していることなども特記すべきである」と述べている。
国家が戦争遂行のために言論の自由を奪い、新聞を統制し、戦意高揚に利用することに成功したと語っているに等しい。裏返せば真実を伝えられなかった新聞の敗北宣言である。新聞の戦争責任を忘れてはならない。
■過去に目を閉ざすな
総務省統計局によると、沖縄に住んでいる65歳以上のお年寄りは約24万人(2009年10月1日現在)。県全体の17・4%に当たる。県人口の8割以上は、戦争を知らない世代だ。
琉球新報が県内5大学の学生を対象にアンケート調査を実施したところ、正しい戦没者数を答えられた学生は3分の1以下だった。戦争体験者がどんどん減る今、沖縄戦とどう向き合うのか問われている。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目になります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危機に陥りやすいのです」
今から25年前、旧西ドイツのヴァイツゼッカー大統領が、ドイツの敗戦40周年を記念して行った演説の一節だ。
菅直人首相は、慰霊の日の23日に来県し、米軍普天間飛行場の県内移設について沖縄県側と話し合う意向を示している。
沖縄にとって6月23日は、過去と向き合い、天寿をまっとうできずに無念の死を遂げたすべての死者を追悼する大切な日だ。菅首相にヴァイツゼッカー氏が語った率直で普遍的な思いは届くだろうか。
私たちはこれから生まれてくる命、子どもたちの未来に責任を負っている。23日は沖縄の地から世界に非戦を誓う日としたい。


沖縄タイムス 2010年6月23日 09時13分
社説:[「慰霊の日」に]悲しみと鎮魂と怒りと
(9時間33分前に更新)
梅雨が明け、灼熱(しゃくねつ)の太陽が島を焦がす。65年前の6月。鉄の暴風がこの地を吹き荒れた。
「すでに沖縄を見捨てたのだ」
久米島で山中を逃げながら、住民への情報伝達に当たっていた農業会会長の吉浜智改(ちかい)さん(当時59歳、享年71歳)は日記(久米島戦記)にそう記した。
天皇臨席の最高戦争指導会議は1945年6月6日、「本土決戦方針」を決定した。国会がそれを承認したとの情報に接し、政府が沖縄戦に見切りをつけたと察した。
「生き延びるのだ。どんなことがあっても生き延びるまで苦闘を続けるのだ。民族の滅亡があってたまるものか。国会が見捨てたからといって我々沖縄民族の全てが無意義にして無価値な犠牲になってたまるものか。自存せよ」
山中で息をひそめる絶望の淵(ふち)にあって、気力を振り絞るように郷里への憂いをつづったのだろう。
政府が本土決戦方針を決めたその日、太田実海軍中将は「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と大本営に打電。住民の献身的な戦闘協力と戦禍の惨状を伝え、将来沖縄の犠牲が報われるよう求めた。
豊見城の海軍司令部壕で太田中将が自決したのは13日のことだった。その日、東京両国国技館で7日から始まった夏場所の千秋楽が行われていたのだ。日本相撲協会によると、戦災の中だけに取組は非公開だった。当時の朝日新聞に千秋楽の結果が小さく報じられている。
吉浜さんは「大相撲大会とは何たることぞ」「国難ここに至れる」と憤る。
沖縄で住民が生死の境をさまよっていたときに、東京では大相撲興行があるという目がくらみそうな深いギャップ。吉浜さんの日記には「捨て石」にされたことへの激しい恨みがにじむ。
戦後も本土との深い溝は埋まらない。
52年、日本が独立を回復したサンフランシスコ講和条約で沖縄は切り離され、米軍占領は戦後27年も続いた。
「核抜き・本土並み」を宣言した72年の沖縄施政権返還にしても、沖縄の負担軽減は伴わず、むしろ本土での基地整理縮小が先行した。
現在も「抑止力」という実体のない言葉を使い、自らは責任から逃げ続けて安保の負担を沖縄に押し付けていることに政治は無頓着だ。
菅内閣が発足した直後の世論調査で、米軍普天間飛行場を沖縄県内で移設することに過半数が賛成している。
菅直人首相はきょう、沖縄全戦没者追悼式に出席する。仲井真弘多知事らと面談する予定だ。菅首相は追悼訪問を県内移設に理解を求めるスタートと位置付けている。
しかし首相の口から聞きたいのは不平等な基地偏重の理由だ。構造的な「差別」に対する県民の怒りはかつてなく高まっている。
「見捨てられたからといって沖縄民族の全てが無価値な犠牲になってなるものか」
吉浜さんの言葉が65年の時を越えて胸に響く。

沖縄タイムス 2010年6月21日 09時04分
社説:[安保50年と沖縄]「主権深化」が先決では
「独立しても米軍基地は持っていてください。申し訳ありませんが…」
県庁に関西在住の市民から電話が入った。中日新聞6月10日付に掲載された「再燃『沖縄独立論』の現実味」を読んで電話したらしい。
その現実的な反応に驚く。県内で独立論はごく一部の主張にとどまっている。仮に実現しても日米両政府と基地撤去を交渉するのは困難を極めるだろう。
元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏は方法論としての可能性を論じながら、「米中日という大国に囲まれ、その環境で生き残るには、外交に相当なエネルギーが必要。そのコストを考えれば安易に独立論は語れない」とコメントしている。
米海兵隊基地が残るキューバのように、居ついてしまった外国軍を撤退に導く交渉は容易でない。
ここで指摘したいのは独立論の可否ではない。独立しても基地を引き受けてほしいという本土側のメンタリティーのあり様だ。
本土側には別の視点もある。菅直人首相は鳩山内閣の副総理だった昨年、喜納昌吉参院議員との面談で、「基地問題はどうにもならない」「独立したほうがいい」などと発言したという。喜納氏が近著で紹介した。
この国で安全保障の当事者はいったい誰なのだろうか。
米軍普天間問題が混迷してから、本土側から「沖縄は独立した方がいいのでは」という話を耳にする。軽々しく沖縄独立論を説くよりも、自らの独立を考えるべきだ。
50年前の1月19日に日米両政府が署名した現在の安保条約は、6月23日に批准書が交換され、発効した。
くしくも慰霊の日だ。戦没者慰霊祭に出席予定の菅首相は、基地負担の軽減に取り組む上で、「式典に参加し、(中略)長年の過重な負担に対する感謝の念を深めることから始めたい」(所信表明演説)という。
「謝罪」ならまだしも「感謝」という論理のすり替えには閉口する。鳩山由紀夫前首相が普天間の移設問題で「最低でも県外」と公約した負担軽減は、菅首相によって振興策に衣替えしていくのではないか。自民党政権がそうしてきた。
安保を正面から論じることなく負担を沖縄に封印する構図は変わらない。それでいて政府は安保50年を契機に日米同盟を深化させるという。
投げやりに沖縄独立を口にする首相に米側と本気で向き合う覚悟はあるのだろうか。
民主党が昨夏の衆院選で公約した「対等な日米関係」は、普天間をめぐる対米交渉でもろくも崩れた。
「地域主権」を推進することも重要だが、安保50年の節目にいま一度「安保下の従属」を問い直すべきではないか。
首都東京上空の一部空域の管制権を米軍に握られている現状を政治は論じようとしない。基地内で環境汚染があっても現地基地司令官は行政の立ち入りをめったに認めない。文民統制は破綻(はたん)している。
主権について冷静に論じられる節目にしたいものだ。

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