同じ感想を抱く。
「捜査当局の描く事件の筋書きに合わせて証拠を改ざん・偽造する捜査官がいたのでは国民の刑事司法への信頼は根底から揺さぶられ、ひいては、国民が法に服することで保たれる治安も危うくなる」(日経)
「戦前の思想犯事件を思い起こし、背筋が寒くなる」(朝日)
事件の重大さは、まさに法治国家としての日本の根幹を揺るがすものだ。
「重大な違法行為の責任を、検事の個人的な資質のみに帰してはならない」(日経)
「検察権力を行使する側としての信頼性に疑問符もついた以上、検証には第三者を入れ、結果を公表すべきだ」
「また、国会も究明に乗り出すべきである」(毎日)
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各紙社説
証拠改ざん―司法揺るがす検事の犯罪(朝日)
押収資料改ざん 地に落ちた特捜検察の威信(読売)
改ざん検事逮捕 司法の根幹が揺らいだ(毎日)
法治国家の名を汚す検察の証拠改ざん(日経)
特捜検事逮捕 検察の重大すぎる犯罪(東京)
朝日新聞 2010年9月22日(水)付
社説:証拠改ざん―司法揺るがす検事の犯罪
前代未聞の不祥事である。検察への信頼は根底から揺らいでいる。
厚生労働省の元局長が無罪判決を受けた郵便不正事件で、大阪地検特捜部で捜査を指揮した主任の前田恒彦検事が、押収品のフロッピーディスクのデータを検察に有利なように改ざんした疑惑が明らかになった。最高検は証拠隠滅容疑で前田検事を逮捕した。
物証などの偽造や改ざんは、ふつう容疑者の側が罪を逃れるためにする犯罪だ。捜査する側が客観的な証拠を捏造(ねつぞう)すれば、どんな犯罪もでっちあげることができる。戦前の思想犯事件を思い起こし、背筋が寒くなる。
事件の「痕跡」が物や書類などに残されている客観証拠は、刑事裁判では揺るぎない事実として扱われる。有罪か無罪かを判断するための重要な材料であり、それを検察が改ざんするようなことがあれば裁判の根幹が崩れる。
問題のディスクは元局長の共犯として起訴された元係長の自宅から押収された。その中には、実態のない障害者団体に発行したとされる偽の証明書などの作成データが入っていた。
偽証明書の最終的な更新日時は「2004年6月1日」。ところが前田検事は、ディスクを保管中の昨年7月13日、専用ソフトで「2004年6月8日」に書き換えていた。
特捜部は証明書の偽造を元局長が指示したという構図を描き、その指示が04年6月上旬だったという元係長の供述調書などを作成していた。「6月1日」では偽造の後に元局長が指示したことになり、つじつまが合わない。前田検事が供述調書に合わせるように改ざんした疑いが強い。
最高検の検事が自ら捜査にあたるのは異例のことだ。身内だからといって決して手心を加えるようなことがあってはならない。徹底的に解明し、その結果を詳しく公表するべきだ。
前田検事は東京地検特捜部に勤務していたときにも重要事件を担当し、事件の筋立てに合った供述を引き出す優秀な検事と評価されていた。
ところが、元公安調査庁長官らによる詐欺事件の公判では、強引な取り調べが問題になった。別の事件では、調べた被告が起訴後に否認に転じたこともある。前田検事が過去に担当した事件で不正はなかったのか。それも明らかにしなければ疑念は晴れない。
最高検は1人の検事が引き起こした不祥事と考えるべきではない。
裁判員裁判が始まり、供述中心の捜査から客観証拠を重視する流れが強まっている。そうした中で、密室での関係者の供述をもとに事件を組み立てていく、特捜検察の捜査のあり方そのものが問われている。
特捜検察を解体し、出直すつもりで取り組まねばならない。そこまでの覚悟があるか、国民は注視している。
(2010年9月22日01時26分 読売新聞)
押収資料改ざん 地に落ちた特捜検察の威信(9月22日付・読売社説)
刑事司法の根幹を揺るがす特捜検察の一大不祥事である。
厚生労働省の村木厚子元局長に無罪判決が出た郵便不正事件に絡み、大阪地検特捜部の主任検事が、押収資料を改ざんした証拠隠滅容疑で最高検に逮捕された。
村木元局長の部下だった元係長宅から押収したフロッピーディスクのデータを、特捜部の描いた事件の構図に合うよう書き換えた疑いが持たれている。
事実とすれば、強大な捜査・起訴権限を持つ検事自らが、有罪証拠をでっちあげようとした前代未聞の違法行為だ。最高検は全容を解明し、関係者を厳正に処罰しなければならない。
特捜部が描いた事件の構図は、村木元局長が2004年6月上旬、元係長に対し、自称障害者団体に発行する偽証明書の作成を指示したというものだった。
ところが、押収したディスクには、偽証明書作成の最終更新日時が「04年6月1日午前1時20分」と記録されていた。
主任検事は、これを「04年6月8日午後9時10分」に書き換えた。特捜部の見立てに合わないデータを意図的に改ざんした疑いがあると最高検は見ている。
担当事件の捜査を統括する主任検事は、捜査の過程で見立てと異なる証拠が見つかれば、軌道修正したり、事件の立件を断念したりするのが鉄則だ。
押収資料の改ざんは、検察捜査への信頼を損ね、刑事裁判の公正さをないがしろにする言語道断の行為である。
主任検事は結局、ディスクを元係長側に返却し、公判に証拠提出しなかった。提出されていたら、村木元局長を強引に有罪に持ち込む物証となった可能性もあった。権力の暴走に戦慄を覚える。
さらに特捜部は、正確な最終更新日時のデータを記載した捜査報告書を作成していたが、これも証拠提出しなかった。公判前に弁護側の請求でようやく開示した。
これら証拠資料の扱いについて特捜部や地検内でどんな議論があったのか、他に改ざんの関与者はいなかったのか、真相を明らかにすべきだ。上級庁の大阪高検、最高検の監督責任も免れまい。
郵便不正事件では、特捜部の作成した供述調書の多くが「誘導の可能性がある」として、裁判で信用性を否定された。特捜検事の資質の劣化は極めて深刻だ。
最高検には、身内への甘さを排した徹底捜査で、組織内部の病巣を取り除く責務がある。
毎日新聞 2010年9月22日 2時32分
社説:改ざん検事逮捕 司法の根幹が揺らいだ
厚生労働省の村木厚子元局長に無罪が言い渡された郵便不正事件は、刑事司法の根幹を揺るがす驚くべき事件に発展した。
大阪地検特捜部の主任検事が、証拠品として押収していたフロッピーディスク(FD)の更新日時を改ざんしたとして、最高検が証拠隠滅容疑で逮捕したのだ。
法に基づき適正に刑事手続きを進めるのは、法治国家の大原則である。それを、法の執行に当たる検事が自ら破って「うその証拠」を作っていたとすれば、裁判制度そのものの信頼性にもかかわる。最高検が強制捜査に乗り出したのは当然である。
改ざんしたのは、村木元局長の部下だった元係長の自宅から押収した偽証明書などのデータが入ったFDだ。捜査に都合がいいように、その最新更新日時を「04年6月1日」から「04年6月8日」に変えたという。1日だと、村木元局長の偽証明書作成の指示を証明するのに都合が悪かったとされる。
法廷にはこのFDは証拠提出されなかった。だが、改ざん前のFDデータが印刷された捜査報告書が証拠採用された。結果的にそれが捜査の矛盾を示す格好になり、村木元局長の無罪判決の一因にもなった。
では、改ざんまでしながら、なぜFDを有罪立証に利用しなかったのか。一検事の暴走とは理解しにくい面もある。上司の指示はなかったのか。特捜部内で他に知っていた者はいないのか。最高検は、徹底的に捜査を尽くすべきである。
仮に、犯罪行為を知っていながら見逃していれば、刑事訴訟法に定められた公務員の告発義務に違反する。村木元局長の「冤罪(えんざい)」を検察として察知しながら、公判を遂行したならば、その罪は極めて重い。
捜査のうえ、最高検は事件の全体像を国民に示すべきだ。法務省も関係者を厳正に処分する必要がある。
村木元局長は、改ざんについて「非常に恐ろしい。検察はきちんと検証してほしい」と述べた。当然だ。
法務・検察当局は、捜査とは別に、事件をしっかり検証しなければならない。特捜部の捜査手法も問われる。捜査の見立てが違った場合、組織としてどうチェックし、軌道修正するのか。一定のルール作りが必要だろう。そもそも検察は、第三者のチェックが働きにくい。検察権力を行使する側としての信頼性に疑問符もついた以上、検証には第三者を入れ、結果を公表すべきだ。
また、国会も究明に乗り出すべきである。
国民は、今回の事態を大阪地検だけのこととは考えないだろう。法務・検察当局は、検察全体への信頼が地に落ちたと認識すべきである。
日経新聞 2010/9/22付
社説:法治国家の名を汚す検察の証拠改ざん
「日本は法治国家である」と胸を張れなくなるような、ひどい事件が明るみに出た。
大阪地検特捜部の検事が、証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)のデータを改ざんした疑いが発覚。最高検が証拠隠滅容疑で捜査を始め、FD文書の作成日時の書き換えを認めた検事を逮捕した。
前代未聞の証拠改ざんは、障害者向け郵便料金割引制度が悪用された事件の捜査過程で起きた。
元厚生労働省係長がこのFDを使って、割引適用に要る偽の証明書を作ったのだが、検事は証明書作成の日付に注目していた。元係長の上司だった村木厚子元厚労省局長の指示で偽証明書が作られたとする検察の主張を支えるには、作成日付は、元局長から元係長に働き掛けがあったと検察が推定する時期よりも後でなければならない。そこでFDに記録された日付を書き換えたらしい。
村木元局長の裁判でFDは証拠にならず、正しい作成日付を記載した捜査報告書が、弁護側の請求で証拠採用され無罪判断の根拠のひとつになった。もしFDのデータが証拠採用されていたら、元局長の感想のとおり「恐ろしい気がする」。
捜査当局の描く事件の筋書きに合わせて証拠を改ざん・偽造する捜査官がいたのでは国民の刑事司法への信頼は根底から揺さぶられ、ひいては、国民が法に服することで保たれる治安も危うくなる。
そんなとんでもない重大な違法行為の責任を、検事の個人的な資質のみに帰してはならない。
検察・法務当局は、検事がFDデータを改変した経緯や動機さらには他の検察関係者の関与の有無などを最高検に徹底捜査させる一方で、証拠改ざんを許してしまった組織の問題点を探り当て責任の所在と再発防止策を明らかにする必要がある。
村木元局長の公判で裁判所は、検察官が作った供述調書の多くを「検事が誘導した疑いがある」として証拠採用せず、取り調べの適法性に疑問を投げかけた。また刑事訴訟法上、裁判の証拠になりうる「取り調べ中のメモ」を検事が廃棄してしまった、証拠隠滅の疑いが生じかねない事実も判明した。
事件捜査の過程で捜査官が違法行為に走るのを防止するために、例えば、証拠の改ざん・偽造などにも刑法で定める捜査官の職権乱用罪を適用できるようにして一般の証拠隠滅より罰を重くする法改正も考えないといけないのではないか。それほどに深刻な事態であるのを法務・検察当局は自覚してほしい。
産経新聞 2010.9.22 03:00
【主張】改竄の検事逮捕 「暴走」止められぬ組織か
割引郵便制度を悪用した偽の証明書発行事件をめぐって、大阪地検特捜部の主任検事、前田恒彦容疑者が証拠品として押収したフロッピーディスク(FD)を改竄(かいざん)していたとして証拠隠滅容疑で最高検に逮捕された。
事件をでっち上げようとしたのも同然の行為だ。検察にとって前代未聞の不祥事で、異例の逮捕も当然である。最高検にはこの際、徹底した真相の究明と、厳正な対処を求めたい。
この事件では、1審無罪となった厚生労働省の村木厚子元局長の公判で、検察側が描いた事件の構図に沿って被告らの供述を誘導した疑いが指摘された。裏付け捜査を怠っていたことも明らかになり、控訴は断念された。
FDの改竄もやはり、事件の構図に不都合な事実を隠すために行われたとみられる。
村木元局長の部下の自宅から押収したFDには偽造証明書の文書データが保存されていたが、その最終更新日時は村木元局長が発行を部下に指示したと検察側が主張する時点より以前で、事件の見立てはつじつまが合わなくなる。
このため前田容疑者は最終更新日時を書き換え、村木元局長の指示によって部下が偽造証明書を発行したという構図に合致させていた疑いが濃い。極めて悪質であり、信じがたい行為だ。
結果的に改竄されたFDは証拠として提出されず、改竄前のデータに基づいて作成された捜査報告書が証拠採用された。仮に改竄された証拠が提出されていたら、冤罪(えんざい)を生んだ可能性もあるだけに、恐ろしさと怒りを感じる。
法と正義を体現する検察官には、一段と厳しい職業倫理が求められている。大阪地検特捜部のエースだったという前田容疑者は、改竄について「誤ってやってしまった」と故意を否定したというが、納得できるものではない。
先の無罪判決に加え、今回の証拠改竄で、検察に対する信頼は地に墜(お)ちた。
今回の犯罪についても、前田容疑者の個人的な資質に起因するものと矮小(わいしょう)化してしまってはならない。「暴走」を組織としてチェックできなかったとすれば、それも大きな問題である。
最高検をはじめ検察関係者は、このことを深く自覚すべきだ。そのためには、事件の全容を解明して出直すしかない。
東京新聞 2010年9月22日
【社説】特捜検事逮捕 検察の重大すぎる犯罪
検察が検察官を逮捕した。容疑はこともあろうに証拠隠滅罪。厚労省元局長に無罪判決が出た公文書偽造事件で押収証拠品のデータを改ざんしていた。捜査崩壊とでも言うべき重大危機である。
村木厚子元局長に大阪地裁が無罪判決を言い渡した翌十一日の社説では「説明せよ 検察の暴走」と検察に捜査の問題点の調査と説明を求めた。しかし、事態はそれどころではなかった。
最高検が逮捕したのは大阪地検特捜部でエースと呼ばれ、事件の主任検事だった前田恒彦容疑者。元局長の部下だった元係長がフロッピーディスクに作成していた偽造証明書のデータ更新日時を二〇〇四年「六月一日」から「六月八日」に書き換えていたという。
真正の日付は、元局長無罪の強力な決め手だった。元係長は村木元局長から指示されたのは六月上旬ごろと供述しているのに、「一日」では指示の前に偽造したことになり、矛盾するからだ。
しかし、改ざんされた八日ならば供述と合致し、検察には都合よくなる。このディスクは結果として公判では証拠採用されなかったものの、採用されていたら有罪の“証拠”になりかねなかった。
なぜ、前田容疑者は改ざんしたのだろうか。今後の捜査で国民の前に検察は明らかにせねばならない。元局長の弁護人は「主任検事は、事件が冤罪(えんざい)と分かっていたのではないか」と会見で語ったが、そんな疑念すらわいてくる。
過去、警察や検察の思い込みや自白の強要、ずさんな捜査は数多くの冤罪を生んできた。しかし検察が故意に証拠品を改ざんしたというのは前代未聞だろう。
前田容疑者は、誤って書き換えたと言っているというが、誰が信じるだろう。上司を含め組織的な誤捜査という疑いはないのか。洗いざらい明らかにしてほしい。
捜査はもちろん、検察には自らの使命をいま一度、肝に銘じてほしい。今回の事件を通じて明らかになったのは、自ら描いた構図ありきの強引な捜査だった。それが特捜の捜査かと国民を驚かせ、落胆させた。
信頼回復には国民の納得できる十分な説明と厳正な責任の取り方しかない。
誰かを罰するためでなく真実を解き明かす。これが正義を気取るのではなく、国民の期待する検察像だ。今回の事件は、その原点を忘れていた、あるいは忘れようとしていた証明でもある。
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