2010年10月2日土曜日

やっぱり検察組織ぐるみだった こんなことなぜ起きる?

特捜の組織的隠蔽だったことが濃厚になった。
最高検が前部長らを逮捕、捜査するというが、身内だ。
第三者機関で厳密な捜査でもしない限り、信頼できない。
他にも冤罪つくってはいないか検証すべきだ。

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2010年10月2日各紙社説
前特捜部長逮捕―冤罪つくった検察の大罪(朝日)
前特捜部長逮捕 やはり組織的な隠蔽だったか(読売)
前部長ら逮捕 「特捜」の解体的見直しを(毎日)
証拠改ざんした検察の腐敗を洗い出せ (日経)
前部長ら逮捕 特捜は存亡をかけ出直せ(産経)
前特捜部長逮捕 火が付くトップの引責(東京)





朝日新聞 2010年10月2日(土)
社説:前特捜部長逮捕―冤罪つくった検察の大罪
 検事1人の不正と思われた事件が、特捜検察の組織ぐるみの犯罪に拡大した。想像を絶する事態である。
 大阪地検特捜部で起きた証拠改ざん事件で、特捜部の大坪弘道前部長と佐賀元明前副部長が、犯人隠避の容疑で最高検に逮捕された。
 厚生労働省の元局長の無罪が確定した郵便不正事件で、主任検事が証拠のフロッピーディスクのデータを意図的に書き換えたことを把握しながら、その事実を隠したというのだ。前部長らは「意図的な改ざんとは知らなかった」と容疑を否認してきたが、特捜部ぐるみで主任検事による犯罪を隠蔽(いんぺい)した疑いが強い。
 最高検は疑惑の全容を解明し、その結果を公表しなくてはいけない。都合の悪いことも包み隠さず明らかにしない限り、検察への信頼を取り戻すことはできないと心すべきだ。
 問題のディスクは、元局長の共犯として起訴された元係長の自宅から押収された。主任検事はそのデータを検察に有利なように改ざんしていた。
 その疑惑が表面化する発端は、1月にあった元局長の初公判だった。改ざん前のディスクのデータが捜査報告書に残り、それが検察の主張と矛盾することを弁護側が指摘したのだ。
 主任検事は検察の主張とつじつまが合うようにデータを書き換えており、同僚検事に改ざんの事実を告白していた。こうした情報はすぐに前副部長に伝わり、前部長にも報告された。
 前部長らは主任検事から事情を聴いたものの、検事正ら上司には「問題ない」と報告していた。意図的に証拠を改ざんしたことには目をつぶり、誤って書き換えたように口裏を合わせていたと、最高検はみている。
 データ改ざんがわかった時点で適切に対応していれば、元局長の無実はもっと早く証明されたはずだ。証拠の信頼性が失われ、起訴を取り下げざるを得なくなったのは間違いない。検察内部には、そのようにすべきだという声もあったようだ。
 だが、前部長らはそんな事態を避けるため、それこそ意図的に主任検事の犯罪を隠蔽したのではないか。だとすれば悪質な権力犯罪とさえ言える。
 そうして冤罪と承知しながら公判を続けていたのなら、その罪は極めて重い。元局長が有罪になっていたらと考えると、戦慄(せんりつ)を覚える。
 法と証拠に基づく刑事裁判という法治国家の大原則を、捜査機関そのものが揺るがした言語道断の事件である。特捜検察の捜査のあり方だけでなく、検察の存在そのものが問われている。 最高検は、事件の責任が検察首脳を含め広範囲に及ぶことになっても捜査を尽くすしかない。
 検察を白紙から立て直す覚悟をもって当たるべきである。




(2010年10月2日01時30分  読売新聞)
前特捜部長逮捕 やはり組織的な隠蔽だったか(10月2日付・読売社説)
 もはや個人犯罪ではなく、組織ぐるみの様相が強まってきた。
 郵便不正事件を巡る大阪地検特捜部の主任検事による押収資料改ざん事件で、上司だった当時の特捜部長と副部長が、犯人隠避の疑いで最高検に逮捕された。
 故意の改ざんと知りながら過失として問題を処理し、地検の検事正らに「問題はない」と虚偽の報告をした疑いが持たれている。
 捜査機関の責任者が犯罪をもみ消したことが事実であれば、極めて悪質であり、検察の自殺行為にも等しい。最高検は、事実関係や動機の解明を急ぐべきだ。
 先に証拠隠滅容疑で逮捕された主任検事は、これまでの調べに対し、フロッピーディスクの意図的な改ざんを認めた上で、副部長や特捜部長にも同様の報告をしていたと供述している。
 同僚検事らも、主任検事が改ざんした可能性を特捜部長らに伝えたと証言している。
 一方、特捜部長らは、主任検事から「故意ではなかった」との説明を受けて、それを信じたと主張している。主張の食い違いに最高検は、任意捜査では真相解明が難しいと判断したのだろう。
 犯人隠避罪での立件には、主任検事による意図的な改ざんと認識した上でもみ消しを図ったことの立証が必要だ。その際、証拠の中心は主任検事らの供述にならざるを得ない。
 郵便不正事件の無罪判決で、供述に頼る強引な捜査の問題点が露呈したばかりだ。個々の供述を丁寧に吟味し、特捜部内でどのようなやりとりがあったのか、精緻な捜査を尽くしてもらいたい。
 動機の解明も重要なポイントだ。もみ消しで、組織防衛と保身を図ったのか。
 主任検事が改ざんしたのは、厚生労働省元局長の村木厚子さんの無罪を証明する可能性があるデータだった。
 冤罪を作り出すことも意に介さないような改ざんを、組織的に隠蔽したのであれば、検察の「正義」を自ら否定する行為である。
 地検の上層部をはじめ、上級庁の大阪高検や最高検も管理責任は免れない。厳正な処分が行われなければならない。
 政界汚職事件を摘発し、検察組織の中で「花形」と言われてきた特捜部は、今や「解体論」にまでさらされ、存亡の危機にある。
 検察はまず捜査結果を国民につまびらかにすべきだ。その上で、外部の意見も聞きながら、組織の抜本改革を進める必要がある。




毎日新聞 2010年10月2日 2時34分
社説:前部長ら逮捕 「特捜」の解体的見直しを
 検察始まって以来の不祥事と言って過言ではない。
 大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で、最高検は大坪弘道・前特捜部長と、佐賀元明・前副部長を犯人隠避容疑で逮捕した。
 主任検事の意図的な証拠改ざんを認識した上で、発覚しないよう改ざん隠しを主導した疑いである。
 検察が訴追権を適正に行使するのは、刑事裁判の大前提だ。それによって司法制度への信頼は保たれる。検察の中でもエリート集団といわれる特捜部トップが裏切ったとすれば、その罪の重さは計り知れない。
 法務・検察当局は、特捜検察の組織を抜本的に見直すべきだ。
 容疑者や参考人として特捜部に調べられた事件関係者が、取り調べの強引さを訴える事例が最近、目につく。すべてがそうとは限らないだろうが、「逮捕から起訴」までを一貫して受け持つ特捜部の権限が絶大で、「密室」で取り調べが進むのは間違いない事実である。
 警察の捜査を検察がチェックするように、特捜部の捜査を検察としてどうチェックするのか。
 政治家や官僚トップらが捜査対象となる事件では、強制捜査や起訴の前に、検事総長以下検察トップや法務省幹部が「検察首脳会議」を開いてきた。供述も含めた証拠を最終検討し、検察として意思統一をする。
 だが、近年は、郵便不正事件のように、社会的影響の大きい事件でも、地検が高検や最高検に報告し、了承の決裁を受けて済ます例がある。チェック機能が形骸(けいがい)化していると言わざるを得ない。
 上級官庁のチェックに限界があるならば、検察内部の別の部署が、客観的な「目」で証拠を検討する仕組みが必要だ。
 また、現在、法務省が取り調べの可視化を検討している。殺人など裁判員裁判の対象となる重大事件に限定する考えのようだ。だが、特捜部が扱う事件の社会的影響の大きさと、取り調べの密室性を考慮すると、対象に含めることを検討すべきだ。
 検察全体の問題点も明らかになった。まず、検察の証拠管理に疑義が出た以上、第三者的な機関が管理を担うことを考えるべきだ。最低限、証拠の出し入れを厳格にチェックする体制とルールが必要である。また、郵便不正事件では、検察が自らに都合の悪い調書を当初、開示しなかった。恣意(しい)的な判断が働かない証拠開示制度が不可欠である。
 米国では、検察官の倫理規定があり、被告の無罪の証拠を隠した場合など、罷免されるケースもある。日本でも、法的な拘束力のある倫理規定の必要性が指摘される。政府は真剣に検討すべきだ。




日経新聞 2010/10/2付
社説:証拠改ざんした検察の腐敗を洗い出せ 
 大阪地検特捜部検事による証拠隠滅事件は、直属上司だった前特捜部長、前副部長が、非を認める検事をおさえつけ事件のもみ消しを図った疑いで逮捕される事態になった。前代未聞の検事の職務犯罪の背後に、検察組織の機能不全と腐敗が潜んでいたのである。
 法務・検察当局は証拠改ざんが明るみに出るまでの経過を完全に洗い出して国民の前に示し、組織全体で批判を受け止めなければならない。
 最高検の捜査によると前部長・副部長は、検事が証拠として押収したフロッピーディスクのデータを書き換えた証拠隠滅の事実を元厚生労働省局長の公判が始まった直後に知った。それを発覚させないために、検事が事の経緯を記した報告書を証拠隠滅の疑いが生じないように書き直させるなどして、ごまかしの報告を地検検事正らにした。このもみ消し工作が犯人隠避罪にあたる、というのが前部長・副部長の逮捕容疑だ。
 逮捕された検事や前部長・副部長は証拠改ざんが表ざたになったあと「(データの書き換えは)故意ではなく、ミスなので問題はない」と述べた。耳を疑う言い訳だった。
 故意かミスかは証拠隠滅容疑がかけられるか否かの境目であって、そこを越えていないから「問題はない」とはどんな了見なのか。ミスうんぬん以前に、証拠品に勝手に手をつけること自体が刑事司法への信頼を揺るがす不祥事だ。「問題ない」の発言は組織が自らを律する能力を失っている証左に思える。
 前特捜部長のごまかしの報告は地検から大阪高検、最高検へとあがったはずだ。どのような報告がなされ、検察幹部はどう対処したのか。徹底的に調べる必要がある。
 元厚労省局長の裁判ではもう1件、証拠隠滅を疑われかねない検察の行為が明るみにでた。検事が取り調べの経過などを書き留めたメモをすべて廃棄してしまった件だ。
 取り調べメモは裁判で証拠になりうる捜査関係公文書にあたるのを承知しながら「シュレッダーにかけた」と取り調べの検事が法廷で証言している。最高検は、メモ廃棄の経緯を検証し、組織的な動きがなかったか調べるべきだ。
 そのうえで法務・検察当局に求められるのは国民への説明である。法務・検察当局は、事件捜査で得たものを、刑事訴訟法の規定を盾に、公判廷以外の場では公表しないのを原則にしている。今回の事件で同じ論理を持ち出せば、組織をあげての真相隠しとみられても仕方がない。そう心してほしい。




産経新聞 2010.10.2 04:39
【主張】前部長ら逮捕 特捜は存亡をかけ出直せ
 大阪地検特捜部の主任検事による証拠改竄(かいざん)事件は、直属の上司だった前特捜部長と同副部長の2人が犯人隠避容疑で逮捕される検察史上最悪の事態となった。
 2人は容疑を否認しているというが、事の重大性に思い至らず、もみ消したのなら当然というしかない。職場でのゆがんだ自己保身が生んだ許されざる犯罪で、極めて深刻だ。
 検察に対する国民の信頼は、完全に地に落ちた。深夜の記者会見で、伊藤鉄男最高検次長検事は「国民の皆さまに深くおわび申し上げる」と謝罪したが、最高検は事件の背景や動機などを徹底的に解明して、その反省を行動で示さなければならない。
 組織ぐるみの隠蔽(いんぺい)に地検検事正はかかわっていなかったのか。検事総長らの監督責任についても厳しく対処してもらいたい。
 特捜部は東京、大阪、名古屋の3地検にしかなく、「最強の捜査機関」とされてきた。特捜部トップの部長は部下の捜査報告に対し、客観証拠など裏付け捜査が十分に尽くされているか検討し、疑問点があれば再捜査を命じるキーマンである。
 特捜部は事件の内偵から逮捕・起訴まですべて独自に行う。その半面、検事が力を過信し、独善に陥りやすい弊害も指摘されている。そうした「現場の暴走」を食い止めるのも部長、副部長の重要な役目だ。それが今回、全く機能しなかった。
 特に問題なのは、部下から改竄の情報を得ながら、特捜部長も副部長も敏感に反応できなかったことだ。この点だけでも、「法と正義の番人」として失格といわざるを得ない。しかも、2人は主任検事をかばい、もみ消しを図った。自分たちの保身に走った、と批判されても仕方ないだろう。
 検察当局は今回の事件を大阪地検だけの問題とせず、検察組織全体の欠陥と受け止め、早急に特捜部捜査のチェック体制などを強化していくことが肝要だ。
 絶望的な状況の中で、わずかな希望もある。それは改竄を知った同僚検事らが厳しく告発したことだ。報道によれば「公表すべきだと涙ながらに訴えた」という。
 今日の事態に至ってもなお、国民の多くは巨悪を摘発できるのは特捜部しかない、と期待している。検察は存亡をかけて、この声に応えなければ未来はない。




東京新聞 2010年10月2日
【社説】前特捜部長逮捕 火が付くトップの引責
 押収資料改ざん事件は、大阪地検の大坪弘道前特捜部長らの逮捕にまで発展した。前代未聞の大不祥事だ。特捜不要論の噴出ばかりか、検事総長ら検察トップの進退が問われるのは必至といえる。
 「検察崩壊」とでも呼んだ方がよい事態が進んでいる。厳正であるべき検事の職業倫理の欠如が、またも露呈したからだ。
 まず押収したフロッピーディスクを検事が改ざんしたことは、客観証拠をないがしろにする悪質な犯罪だ。その事実を知った複数の同僚検事が、大阪地検特捜部の副部長(当時)に進言、さらに副部長は特捜部長(同)に報告したという。
 だが、特捜部長は地検上層部に故意による改ざんであることを意図的に伝えなかったという。「(伝えれば)公表されるぞ」と特捜部長は言ったとされるが、まさに組織ぐるみの不正隠しだ。
 真実を追求すべき検察官が捜査で不正を行い、幹部がさらに不正を封印する行動をとったのは、二重の背信行為で、到底許されない。最高検が犯人隠避の疑いで、前特捜部長らの逮捕に踏み切ったのは当然といえる。
 検察は捜査から起訴、公判、刑の執行の指揮まで、強大な刑事司法の権限を有する。とくに捜査段階が問題だ。警察の場合は検察官により捜査内容がチェックされるが、検察は外部に監視・監督する機関を持たないからだ。
 それゆえ特捜部長ら幹部が、監督の役目を放棄すれば、捜査は暴走しかねない。その典型が今回の郵便不正事件だろう。これを機に捜査が適正に行われているか、別の組織が監視する相互チェックの仕組みを導入した方がよい。
 若手検事の実力低下を指摘する声が特捜OBらから聞かれる。経済事件などを手掛ける集団として、専門知識の乏しさが指摘されたりもする。これだけ信頼が失墜すれば、特捜不要論が語られるのも自然だ。存廃論は国会などで幅広く議論してほしい。
 検察自身も、特捜検察の存在意義を原点に立ち返って考えるべきだ。政財界に巨悪をはびこらせてはならぬが、近年、特捜部が看板にふさわしい業績を挙げているのか疑わしい。さらに東京、大阪、名古屋の三地検に特捜部を置く必要があるのか。この際、組織縮小も検討すべきである。
 前特捜部長逮捕の衝撃はいかにも大きい。検事総長らは引責辞任を覚悟しないと、信頼回復と検察の出直しさえ危うくなる。

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