2011年2月13日日曜日

エジプト革命―強権支配、腐敗、貧富の格差、失業問題などが発端

国民の支持を失った政権が崩壊するのは当然だが、
国民を『革命』と呼ばれる行動に立ち上がらせた背景には何があったのか。

「強権支配の下で言論の自由はなく、政府批判には秘密警察が目を光らせていた。
政府に腐敗が広がり、若者たちは、有力者のコネがなければ満足な就職もできない」(朝日)

「チュニジアもエジプトも若年人口が増え、しかも若年層の失業率が高い。
政変の原動力になったのはイスラム教やアラブ民族主義に基づくイデオロギーではなく、
『これでは生きていけない』という現実的な危機感だろう」(毎日)

欧州に民主化のドミノ現象を起こした「東欧革命」とイスラム原理主義を掲げた「イラン革命」と比べて論じる社説もある。
「東欧革命によって資本主義と共産主義が対峙(たいじ)した東西の壁は崩壊しました。
しかし、続いて国際的潮流となったグローバル化のなかで、新たな見えざる壁が世界の分断を先鋭化させています。
経済に見られる南北格差と反欧米主義を唱えるイスラム原理主義の広がりはその最たるものでしょう。
エジプトの民衆革命には、その両方が投影されています」(東京)

今後、どういう政治が行われるか、そこで見えてくるのだろう。


2011年2月13日付 各紙社説
朝日)エジプト革命―自由と民主主義の浸透を
読売)ムバラク辞任 文民政権への移行を速やかに
毎日)エジプト革命 変わるアラブの模範に
日経)エジプト国民が覆した世界の独裁の常識
産経)ムバラク辞任 民主改革の平和的履行を
東京)週のはじめに考える 民衆革命が見据える壁





朝日新聞 2011年2月13日(日)付
エジプト革命―自由と民主主義の浸透を
 若者たちが立ち上がり、それに市民が合流した。30年続いた強権支配は18日間で崩れた。民衆の支持を失った権力者の哀れを印象づけたエジプトのムバラク大統領の辞任だった。
 前夜に演説し、辞任を否定した。ところが翌日、副大統領から退陣を発表されることになった。
 100万人の市民が連日、カイロのタハリール広場に集まって「大統領の辞任」を求めた。デモが全国に広がってはもつはずもない。20世紀末の東欧を思い起こさせる民衆革命である。
 強権支配の下で言論の自由はなく、政府批判には秘密警察が目を光らせていた。政府に腐敗が広がり、若者たちは、有力者のコネがなければ満足な就職もできない。
 若者たちの希望を奪ってきた体制だった。それだけに、大統領辞任に歓喜するエジプト国民の思いは世界に伝わった。しかし、辞任させて終わりではない。大変なのはこれからである。
 軍が全権を握ることになった。
 民政への移行が火急の課題となる。民主国家として生まれ変わるために、憲法の改定と総選挙が必要だ。
 そして新しい政府では、軍が政治に介入したり、軍人が大統領や閣僚になったりするこれまでの仕組みを、改めなければならない。
 憲法や選挙法などの整備に若者を含めて国民の幅広い参加が必要である。同時に、民主化作業への軍の介入を排除しなければならない。そのために、国際的な監視と圧力が必要である。
 国民の間に、自由と民主主義を浸透させる作業が必要だ。選挙ひとつとっても、これまではテレビは与党の選挙運動だけを放送し、野党の選挙運動に様々な制約が課された。金権選挙が横行し、議会の圧倒的多数を与党が占める一党独裁体制が続いた。
 民主化支援で、欧米の国々は政府や非政府組織(NGO)が草の根的な取り組みまで積極的にかかわっている。
 日本も及び腰にならず、準備段階から専門家を派遣し、エジプトの民衆とともに民主化に取り組むNGOの活動を支援するなど、積極的な取り組みを進めたい。
 カイロには、アラブ連盟の本部がある。エジプトはアラブ世界の調整役であり、中東和平の仲介でも重要な役割を担う。エジプトの民主化の達成に国際社会が支援すれば、アラブ諸国や中東にとってもモデルになる。
 チュニジアで1月に始まった民主化の動きは1カ月でエジプトに及んだ。強権支配が横行する中東で、この動きは止めることができない。
 民主化に抵抗し、権力にしがみついたムバラク大統領の見苦しい姿は、中東の指導者たちに、直ちに民主化にとりかからねばならぬという教訓を与えたと期待したい。




(2011年2月13日01時24分  読売新聞)
ムバラク辞任 文民政権への移行を速やかに(2月13日付・読売社説)
 30年の独裁に終止符が打たれた。国民の大統領退陣要求デモが続いたエジプトで、ムバラク大統領が辞任した。
 「現代のファラオ」と呼ばれた権力者も、民衆のエネルギーに抗うことはできなかった。
 副大統領の発表によれば、大統領権限は軍の最高評議会に移譲された。政権移行プロセスは軍主導で進むことになる。
 軍は声明で、全権の掌握は一時的な措置であり、民主的な政権発足に向けて「自由で公正な大統領選を実施する」と約束した。
 そうであるなら軍は、エジプト国民の生活と中東地域の安定のため、具体的日程を示し、約束を速やかに実行に移すべきである。
 大統領は前日まで、9月に切れる任期を全うする意向を表明していた。突然の辞任は、体制を支えてきた軍が、最終的に大統領を見放したためといえる。
 毎年13億ドル(約1100億円)に上る軍事援助を続ける米国のオバマ政権の意向も働いていよう。
 政変につながったデモの発端は食料の高騰や経済格差への不満、そして、その状況を改善できない政権の無策と腐敗だった。
 ムバラク大統領はデモが膨れ上がる度に、小出しの譲歩を示してきた。だが、それは国民の要求にはほど遠く、騒乱の長期化と多数の死傷者を生む結果になった。その責任は極めて重い。
 大統領の辞任で本格的な政権移行が始まる。だが、それが民主的な体制への転換につながるかどうかは、まだ予断を許さない。
 エジプトでは、国民の間で軍の人気は高い。国民に銃を向けた過去がなく、第4次中東戦争の緒戦で「アラブの誇り」を取り戻したと考えられているからだ。
 一方、王制が崩壊して以来半世紀、歴代大統領は軍が輩出してきた。軍出身者は財界や地方政界にも進出し、最大の利権集団でもあった。軍は、こうした旧体制との決別を明確に示すためにも、政権移行を急がねばならない。
 政権移行協議には野党勢力の参加も不可欠である。
 政権移行後のエジプトは、イスラエルとの和平を維持し、中東の安定の要であり続けなければならない。そのためには、米国など国際社会の関与も必要だろう。
 エジプトの政変は、周辺アラブ諸国にも課題を突きつけた。エジプト同様、長期独裁政権が続いている国は多い。国民の反発で倒されるより、自ら抜本的な改革に乗り出す方が、犠牲が少ないことを指導者は銘記すべきである。




毎日新聞 2011年2月13日 2時30分
社説:エジプト革命 変わるアラブの模範に
 まるで大河のようだ。膨れ上がる民衆が口々に大統領辞任を訴えて行進する。首都カイロの広場でも、大統領宮殿の前でも。これほど大規模で怒りのこもった集会を、アラブ世界では見たことがない。しかも、抗議行動は最後まで平和的だった。エジプトの市民たちが粘り強い抗議によって約30年に及ぶムバラク時代を終わらせ、新たな歴史のページを開いたことを高く評価したい。
 大統領の即時辞任によって新しい国づくりを始める。それがエジプトの民意であることは明白だった。国民の願いがかない、エジプトは新たな出発点を迎えた。81年から続く非常事態令の解除などを通じてエジプトの暗い側面を一掃し、アラブ民主化の模範になるよう期待する。
 ◇民衆の怒りを軽く見た
 それにしても遅すぎる辞任だった。ムバラク氏は1日の演説で、自分は9月の大統領選に立候補しないと述べ、各種の改革を約束したが、即時辞任は否定した。
 抗議行動が衰えなかったのは当然である。改革は必要だが、ムバラク政権下の改革は信用できない。大統領辞任が先決だと人々は訴えた。
 10日の演説ではムバラク氏が辞任を表明するとの観測も流れたが、自分の権限をスレイマン副大統領に移譲すると述べただけで、9月までの任期を全うする意向を示した。
 これがまた民衆を怒らせた。ムバラク氏は潮時を見誤り、広場に集まる民衆の怒りを軽く見た。大統領を長年務めた自分に花道を用意してほしいと考えたのなら、見通しが甘い。国民の間には権力者の「居座り」への嫌悪感が強まる一方だった。
 ムバラク氏の辞任でエジプトは大きな転換期を迎えたが、新体制への明確な道標があるわけではない。大統領の権限は軍の最高評議会に移譲され、軍が暫定的に新政権への移行過程を監督するという。当面の焦点は新大統領と議会の選挙だが、どんな規定で選挙を行うのか、誰が大統領選に立候補して誰が当選するのか、すべてはこれからだ。
 しかし、それだけ大きな可能性が開けている。アラブの盟主たるエジプトの改革と民主化を世界が見守っている。前大統領が国外脱出したチュニジアの「ジャスミン革命」とエジプトの「ホワイト革命」。ともにアラブでは前代未聞であり、ドミノ現象が起きた東欧革命を想起させる出来事だ。
 ただ、米国や欧州にはエジプト激変への警戒感が強いのも事実だ。ムバラク氏が米テレビとの会見で、自分が辞任すればエジプトはイスラム原理主義のムスリム同胞団に乗っ取られ、「カオス(混とん)」に陥ると警告したのは、こうした懸念を踏まえた、けん制だろう。
 しかし、エジプトの民衆はイランにおけるイスラム革命(79年)のような変革を求めているのではあるまい。チュニジアでも「イラン化」の兆候は特に見えない。チュニジアもエジプトも若年人口が増え、しかも若年層の失業率が高い。政変の原動力になったのはイスラム教やアラブ民族主義に基づくイデオロギーではなく、「これでは生きていけない」という現実的な危機感だろう。
 この辺が、チュニジアのベンアリ前大統領やムバラク氏には見えていなかった。しかもネット上のフェースブックなどを通して抗議行動が盛り上がる現象には、秘密警察もなすすべがなかった。政権側から見れば、雇用創出のために情報技術(IT)産業に力を入れたのが裏目に出たが、これも時代の流れである。
 ◇湾岸諸国の改革も必要
 中東も民衆の生活感覚が政治を変える時代に入った。「よらしむべし。知らしむべからず」の強権政治は改めるべきである。民衆の急激な意識改革が進む中、イエメンやヨルダン、アルジェリアなどで改革の動きが出ているのは喜ばしい。
 保守的な政治体制を維持するペルシャ湾岸の王国・首長国にも政変の波紋は伝わるはずだ。サウジアラビアには明確な憲法もなく、女性の社会進出へのハードルも高い。サウジ首脳がエジプトの抗議行動に批判的なのは、自国への飛び火を恐れてのことだろう。確かに、湾岸諸国の動揺は石油価格の高騰などにつながり、世界経済への影響も大きいが、だからといって湾岸諸国のみ改革の例外とする時代でもないはずだ。
 エジプトやチュニジア、そして中東全体が今後どのように変わるのか、予測は難しい。米ブッシュ前政権は、イラクを手始めに中東を民主化すれば、世界は安全になると考えた。しかし、強権的な長期政権が倒れれば、抑え付けられていた勢力が頭をもたげる。その勢力も含めて、どんな政治体制を築くかは、ひとえにその国の人々の選択である。
 民主化や改革には「両刃の剣」の側面がある。例えばエジプトの新政権がイスラエルとの和平条約の維持に難色を示せば、国際秩序の混迷は避けられない。しかし、グローバル化が進む世界にあっては、国際協調を先進国が働きかけるのも大事だ。その点、中東には伝統的に親日的な空気が強い。国際協調路線の継続のためにも、日本政府はエジプト、チュニジアの国づくりに積極的に協力すべきである。




日経新聞 2011/2/13付
社説:エジプト国民が覆した世界の独裁の常識 
 エジプトのムバラク大統領が辞任した。1月25日に始まった反政府デモは、30年近く続いた独裁体制を18日間で倒した。驚くべき速さだ。インターネットを通じて広がった国民の連帯による独裁打倒は、これまでの国際政治の常識を変える。
 アラブで最大の人口を抱え、地域の安全保障の要であった国の激変は、中東をめぐる国際関係に大きな影響を及ぼすが、国際社会は変化を歓迎し、民主化が着実に進展するよう支援していく必要がある。
体制移行の課題も多く
 エジプト国民が求めたのは、過去の政治への明確な決別である。政治の権限は、とりあえず国軍の最高評議会に委ねられた。政治危機の中で軍は中立的な立場を続け、権威を保ってきた。軍首脳の中にはムバラク側近とみなされてきた人もいるが、国民の多くは軍に信頼を置く。
 軍は早急に、民主化の手順、政治改革の行程表を明確に示さなければならない。公正な選挙の実現に向けて、野党勢力の大統領選立候補を困難にさせていた憲法の改正、通常の司法手続き抜きに反政府勢力を拘束できる根拠となっていた非常事態法の解除を、急ぐ必要がある。
 オバマ米大統領は「エジプトの民主化は始まったばかりだ」と指摘した。民主的な政治体制への移行にあたって、課題が山積していることも認識しなければならない。
 革命を先導したのは、フェイスブックやツイッターなど新しいメディアを通じたインテリ中間層のネットワークだ。宗教色は比較的薄い。だがムバラク政権打倒に結集した国民のすべてが、西欧的な「市民社会」を目指しているわけではない。
 事実上の最大野党であるイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」の幹部の多くは、大学教師や弁護士、医師などだが、イスラエルとの平和条約破棄、イスラム法の徹底などの原則論を掲げる。国内の警戒感も根強いし、イスラエルや米国はさらに強く同胞団の台頭を警戒する。
 同胞団への国民の支持がどのくらい強いかについては、見方が分かれるが、同胞団が武力闘争路線をとらず、複数政党による選挙制を是とする勢力である以上、これを排除することはできない。むしろ、こうしたイスラム勢力をいかに政治改革のプロセスに加えていくかが、これからの中東の民主化で重要になる。
 ムバラク政権打倒のデモで同胞団は積極的に前面に出ず、次の政権をめざす意思もあいまいにしている。その背景には、高率の失業やインフレへの不満を短期間に解消するのは難しいという事情があるようだ。
 選挙を経て生まれる新政権が安定するか否かも、経済情勢次第だ。
 イスラエルとの平和条約締結から30年以上を経て、戦争の悲惨さや軍事対決による経済の疲弊を知らない世代が、今やエジプト国民の多数を占める。イスラム勢力でなくても、反イスラエル、反米の感情はかなり強い。そうした感情が政治の前面に出るのを封じてきた独裁政権の崩壊によって、中東和平をめぐる政治環境は大きく変わる可能性もある。
 長年、独裁政権を外交のパートナーとし、独裁下の「安定」に頼ってきた米国も、欧州諸国も、日本も、外交戦略の練り直しが必要だ。
 重要なのは、民主化で自由にものを言えるようになるだけでなく、国民の多くが生活もよくなったという実感を抱けるようにすることだ。
 これまで米国の援助は軍事中心、日本の援助はハコモノ中心だった。エジプトでは、日本の協力による科学技術大学も最近、開校した。
国民に資する援助に
 新たな産業や人材の育成、雇用創出や生活環境の改善に結びつくような支援に日本はもっと力点を置くべきだ。それは、中東やアフリカで強権的な政権と緊密な関係を結んで資源の確保などを進める中国と異なり、相手国の国民から感謝される形できずなを強めることにつながる。
 所得水準が高く、所得税も存在しないサウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など湾岸アラブ産油国に、革命的な動きが一気に広がる可能性は、現段階ではまだ小さい。だが、エジプトの独裁崩壊のインパクトは大きく、他のアラブ諸国も政治改革の道筋を示さないと、中長期的な安定は確保できなくなる。
 日本がエネルギー資源の多くを依存するこの地域の国々の、政治改革や雇用創出への側面支援は、経済安全保障戦略としても重要である。
 経済成長の半面での人権抑圧や若年層の雇用の問題、インフレの重圧は、世界の多くの新興国、発展途上国にも共通する。中国も例外ではない。今回のエジプトの政権崩壊に最も神経質になり、情報統制を強めているのは中国だ。
 新しい形の「革命」の影響は、中東を超えて世界に広がりつつある。さまざまな不確実性もはらんだ変化の行方に目を凝らす必要がある。




産経新聞  2011.2.13 02:48
【主張】ムバラク辞任 民主改革の平和的履行を
 「アラブの盟主」を自任するエジプトのムバラク大統領が辞任した。約30年に及ぶ強権的な政権が1月下旬以来の民衆のデモによってあっけなく崩壊した印象が強い。
 代わって全権を掌握したのは、デモに対し中立的立場をとった軍の最高評議会である。政変が新たな流血を生まなかったことは諒(りょう)としたいが、オバマ米大統領が「終わりではなく始まり」と指摘したように前途は多難だ。国際社会を挙げて民主改革が混乱なく実行されるよう促したい。
 軍最高評議会を主宰するタンタウィ国防相は声明で「国民が求める正統な政府に取って代わるつもりはない」と強調した。
 その言葉通り、軍による統治はあくまで暫定的であるべきだ。政権の平和的移行の橋渡し役に徹することを求めたい。
 デモの騒乱が続いていた最中にムバラク政権側が始めた対話の基盤は一つのたたき台だ。野党側の大統領選立候補を事実上不可能にしていた憲法規定の改正や、情報統制や野党弾圧をもたらす非常事態令の解除などは民主化への必要最低限の改革である。
 現憲法を停止するなら、人民議会(国会)を解散して自由、公正な選挙を行い、新たな民主的憲法を策定するのが国際社会が容認しうる成り行きだろう。
 エジプトでは1952年の王制崩壊以来、軍が歴代政権の屋台骨となってきた。今回のデモによる騒乱では、即時の大統領辞任を拒むムバラク氏に対する民衆側の怒りに一定の理解を示し、「平和的デモであるかぎり、市民に銃口は向けない」と宣言したことから、歴史的な政変の主役となった。
 だが、軍の主体は体制側のエリート階層で構成されている。デモであぶり出された政権の腐敗や貧富の格差、失業問題など民衆の不満の声をどこまでくみ取れるか。最高評議会は「国民の要望を実現する改革推進策を近く発表する」という。次期政権に向けた新たな対話を早急に始めるべきだ。
 スエズ運河を抱えるエジプトの政情安定は、世界経済にとって死活的に重要だ。イスラエルはエジプト次期政権のイスラム主義への傾斜を懸念する。エジプトがイスラエルと結んでいる平和条約は中東和平に不可欠だ。
 デモを主導したネット世代の若者にも考えてほしいのは、安定と平和の大切さである。


東京新聞 2011年2月13日
【社説】週のはじめに考える 民衆革命が見据える壁
 エジプトの民衆革命はムバラク独裁体制崩壊の先に何を見据えているのでしょうか。その帰趨(きすう)はグローバル社会が模索する新国際秩序も左右しそうです。
 国のかたちが変わる局面です。安易な比較は慎むべきですが、いまだ帰趨定まらないエジプトの民衆革命を見る国際社会の目には、どうしても二つの革命の残像が重なります。欧州に民主化のドミノ現象を起こした東欧革命。そして、イスラム原理主義を掲げたイラン革命です。
◆エジプトのネット革命
 「この革命はインターネットがもたらしたもの。命名するなら革命2・0でしょう」。デモ発生後拘束されたグーグル現地スタッフのゴニム氏の言葉です。ゴニム氏は、チュニジア革命直後から民衆蜂起を支援するサイトを立ち上げ、当局のサイバー監視網をかいくぐりながら情報ネットワークを形成していったといいます。
 タハリール広場での革命劇と並行して、独裁政権下で鬱積(うっせき)した民衆の怒りを結集した広範なネット上の若い世代の輪が広がっていたことを物語っています。
 東欧革命では衛星テレビが、イラン革命ではカセットテープが同様の役割を担ったとされます。
 イランの最高指導者ハメネイ師は、今回の民衆革命をイスラム革命の波及だとし、「イスラムの覚醒」を訴えていますが、二年前の大統領選挙に際して起きたネットによる体制批判の大衆運動に対しては厳しい規制で臨んでいます。グローバルな情報共有が時代の流れだとすれば、今後大きな逆風に晒(さら)されるでしょう。
 東欧民主化の象徴ともいえるベルリンの壁崩壊では、月曜日ごとに旧東独ライプチヒの教会周辺で行われた市民集会が大きな役割を果たしました。今回の中東民衆革命は回を重ねるごとに規模を拡大した金曜礼拝が十八日間の集会継続の大きな支えとなりました。
◆グローバル化の新たな壁
 ともに民衆自ら民主化を求めながら、一方ではキリスト教、他方ではイスラム教の伝統が基層を成している点で、根本的な違いも際立たせています。
 東欧革命によって資本主義と共産主義が対峙(たいじ)した東西の壁は崩壊しました。しかし、続いて国際的潮流となったグローバル化のなかで、新たな見えざる壁が世界の分断を先鋭化させています。経済に見られる南北格差と反欧米主義を唱えるイスラム原理主義の広がりはその最たるものでしょう。エジプトの民衆革命には、その両方が投影されています。
 米国のバーナード・ルイス元プリンストン大学教授は、テロを論じた著書のなかで、アラブ諸国・地域の国内総生産(GDP)の総計が、欧州中堅国一国の規模にも満たなかった米中枢同時テロ当時のデータを引いています。
 チュニジア革命後に緊急招集されたアラブ連盟首脳会議で、経済成長の必要性が問われ、一層の生活水準向上に取り組むことで合意したのはその危機感の表れです。エジプト政府が官民の賃金アップなどを打ち出したように、周辺諸国も対応策を模索し始めていますが、弥縫策(びほうさく)では何の解決にもならないことはもはや明らかです。
 オバマ米大統領は声明の中で、ベルリンの壁にも言及しながらエジプト人の非暴力的な民主化への変革を称賛しましたが、中東地域の独裁政権を支持し続けてきた欧米社会に対しては根深い反感、憎悪があることも忘れてはなりません。
 ルイス元教授は、「イスラムの怒りの根源」と題した別の論考で一神教をめぐる宗教的背景を大前提としながら、アラブを中心とするイスラム圏の反米思想の系譜を辿(たど)っています。ナチスの反米思想、ソ連東欧の社会主義、戦後の第三世界論の流れを経て、詰まるところその源泉は「西欧の世俗主義と近代化の二つ」に帰する、というのです。
 いずれも、イスラム過激派からは邪悪で否定されるべきものとされます。エジプト最大の野党勢力であるムスリム同胞団が、この反米の流れを背負いながら、民主化プロセスに参加してゆけるのか。中東最大の不安定要因である対イスラエル問題も絡み今後の中東民主化の大きな鍵となるでしょう。
◆世俗社会との共存モデル
 ムスリム同胞団創始者アルバンナーの孫に当たるオックスフォード大学のタリク・ラマダン教授(イスラム学)は、最近の英字紙で「現在の同胞団は多様化しており、若い世代は開放、改革的でトルコなどの例を肯定的にとらえ始めている」と述べています。
 エジプトの民衆革命が帰すべきところは、エジプト人自身が決めるほかありません。テロを放棄し、欧米世俗社会と共存するアラブの民主的国家モデルを築くことができるのか。世界が第二幕に入った革命を見守っています。

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