2011年9月30日金曜日

沖縄密約判決 密約があったという厳然たる事実は揺るがない

2011年9月30日(金)付 各紙社説

朝日)沖縄密約判決―過去の問題ではない
読売)沖縄密約判決 ずさんな文書管理を指摘した
毎日)沖縄密約文書判決 廃棄疑惑に国は答えよ
日経)説得力ない「密約」控訴審判決


朝日新聞 2011年9月30日(金)付
社説:沖縄密約判決―過去の問題ではない
逆転敗訴とはいえ、国民の「知る権利」に基づき、政府に真相をただし続けた裁判の意義が失われることはない。
1972年の沖縄返還時に、財政負担を日本側が肩代わりするという日米両政府の密約があった。こう訴えて、元毎日新聞記者の西山太吉さんや作家の澤地久枝さんらが、その密約文書の公開を求めていた裁判だ。
東京高裁はきのう、政府に開示を命じた一審判決を取り消す判断を示した。最大の争点は、文書が存在しないので公開できないとしてきた、政府の言い分を認めるかどうかだった。
一審の東京地裁は、政府の文書を見つける努力が不十分で、文書がないとはいえないとして、公開を命じた。
東京高裁は、この判断を変えた。理由は、民主党への政権交代後、岡田克也外相が指示した調査で、米国側の資料などをもとに事実上、密約の存在を認めたことだ。政府が文書を隠さなければいけない理由がなくなったので、文書がないという主張も信じられるというわけだ。
だから、開示命令は取り消されても、密約があったという厳然たる事実は揺るがない。
一方で判決は、01年の情報公開法の施行を前に、密約はないという長年のウソがばれないように、外務省などが文書を「秘密裏に廃棄」した可能性を指摘している。
外務省は、文書がなくなった経緯は確認できないという調査結果を公表しているが、まったく説得力に欠ける。こうした無責任な役所の体質は、これからも問い続ける必要がある。
私たちは、密約が決して過去の問題ではないという現実を忘れてはいけない。
ことしも、驚くべき事実が次々に明らかになっている。ひとつは、日本政府が在日米軍関係者の公務外の犯罪について、重要事件以外は起訴しない方針を米国側に伝えていたことだ。
もう一つは、沖縄県の米海兵隊のグアム移転について、日本側の負担割合を見かけ上減らすために、米政府の支出額や移転人数を、実際より水増ししていたことだ。
外交交渉中の秘密保持は必要でも、こんな国民を欺くようなやり方はいけない。政府に都合の悪い事案も、明らかにして国民を説得するのが筋だ。
民主主義国家の外交・安全保障政策は、国民の幅広い理解と支持の上に成り立つ。
密約訴訟が突きつけたのは、政府の外交が信頼できるか、どうかである。これからも目をこらしていかねばならない。


(2011年9月30日01時12分  読売新聞)
沖縄密約判決 ずさんな文書管理を指摘した(9月30日付・読売社説)
沖縄返還に関わる「密約」の文書は、「秘密裏に廃棄された可能性が否定できない」。東京高裁はそう認定した。
密約関連文書の漏えいに関わったとして、有罪が確定した元毎日新聞記者の西山太吉氏らが起こした民事訴訟の判決だ。
訴訟自体は、「文書は存在しない」と主張した国の逆転勝訴となった。同時に、外務省などによる外交文書のずさんな管理を指摘した判決である。
西山氏らは、米軍用地の原状回復補償費400万ドルや、米短波放送中継局の国外移転費1600万ドルを日本側が肩代わり負担することを日米間で申し合わせた文書などの開示を国に請求した。
しかし、「不存在」を理由に開示されず、訴訟で不開示決定の取り消しなどを求めていた。
1審は、外務省などが文書を十分に探しておらず、「国民の知る権利をないがしろにしている」として、国に開示を命じた。
これに対し、高裁が重視したのは、政権交代後、外務省が実施した密約問題の調査だ。報告書は「密約」の存在を認めたが、文書そのものは見つからなかった。
判決はこの調査を「網羅的で徹底したもの」と評価し、国が文書を「保有していると認めるに足りる証拠はない」と結論付けた。
米側では、問題の文書が確認されている。交渉当事者だった外務省の元局長が、1審の法廷で、肩代わり負担に合意し、関連文書にサインしたと証言した。
それにもかかわらず、日本側に文書が存在しないのは、国の外交文書の管理に重大な落ち度があったことを意味する。元局長は、文書の写しについて「日本側の立場では必要はないので、処分したと思う」とも語っている。
この日の判決は、密約の存在自体は認めた。そのうえで、肩代わり負担を一貫して否定してきた日本政府の立場上、「関連文書を秘匿する意図が強く働いていたことがうかがわれる」との見方を示した。的を射た指摘といえる。
外交には秘密が付きものだ。やり取りの内容が漏れれば、相手国との信頼関係が崩れ、日本の国益を損なうこともある。
だが、一定の年月を経た後、機密文書も公開し、後世の人々が検証できるようにすることが、外交に対する国民の信頼を確保するうえではぜひとも必要である。
外務省は現在、作成から30年を経過した外交文書について、原則的に公開している。密約問題を教訓に、この徹底を求めたい。


毎日新聞 2011年9月30日 2時30分
社説:沖縄密約文書判決 廃棄疑惑に国は答えよ
「文書はかつて政府が保有していたが、秘密裏に廃棄した可能性を否定できない」--。沖縄返還交渉をめぐる日米密約文書の開示訴訟で、東京高裁はこんな判断を示した。持っていないものは開示できない、との理屈で西山太吉元毎日新聞記者ら原告が求めた開示請求は却下したものの、実質的には国による隠蔽(いんぺい)工作が過去にあった可能性を示す判決である。外務省は廃棄の有無などについて改めて調査し、真実を国民の前に明らかにする責任がある。
原告が開示を求めていたのは、沖縄返還にあたり米国が支払うべき旧軍用地の原状回復費400万ドルを日本側が肩代わりすることなどを示した文書である。昨年4月の1審判決は密約文書の存在を認め、政府の調査は不十分だと指摘。「国民の知る権利をないがしろにする国の対応は不誠実」として、文書の全面開示を命じた画期的なものだった。
一方、今回の高裁判決は同じように密約文書の存在を認めながらも、政権交代後に外務省や財務省が行った探索や歴代幹部の事情聴取でも出てこなかった以上、もはや文書はないのだろう、と結論づけた。
重要なのは、密約文書がないのは存在しなかったからではなく、いつかの時点で「秘密裏に廃棄、ないし保管から外した可能性を否定することができない」と判決が述べたことだ。そこまで言及しながら、不開示決定を適法だとしたのは政府に甘い判決と言わざるを得ないが、1審、2審と司法が相次いで密約文書の存在を認め、その廃棄の可能性にまで言及した事実は極めて重い。
そもそも開示請求対象の文書の写しは米国立公文書館で公開されており、元外務省局長も文書に署名したことを認めている。密約文書はあったというのが国民の抱く常識的感覚だ。「保有していないという従来の政府の主張が認められた」(藤村修官房長官)と言ってすませようとする政府の姿勢は感覚を疑う。
外交文書は30年経過で原則公開されるが、政府に不都合なものは恣意(しい)的に除外されることが多い。外交交渉には秘密がつきものとはいえ、一定の期間が過ぎたらすべてを公にすることは、国民が国家の重要な政策選択について正しい理解と建設的な批判をするため不可欠だ。公文書は役所のものではなく国民の共有財産である、という自覚が、日本の行政には著しく欠けてはいないだろうか。
密約文書の問題に象徴される政府の不誠実な姿勢は、今日に至る沖縄の政府不信につながっている。普天間飛行場問題に解決の糸口が見えないまま、来年は沖縄の本土復帰から40周年の節目だ。野田政権の沖縄への姿勢が改めて問われよう。


日経新聞 2011/9/30付
社説:説得力ない「密約」控訴審判決
徹底的に調べてみつからないと役所が言っているのだからそうなのだろう――一度はあったはずの公文書についてこんな判決が出た。説得力があるだろうか。
沖縄返還をめぐり日米が交わしたいわゆる密約文書の開示などを元新聞記者らが求めた訴訟の控訴審で、東京高裁が原告敗訴の判決を言い渡した。文書の開示など原告の言い分を認めた一審・東京地裁の判決を百八十度ひっくり返す内容である。
原告が開示を求めた文書は米国ではすでに公開されている。一、二審とも、日本側の外務省、大蔵省(当時)にも同様の文書があったことは認めている。だから、裁判ではおもに、「不存在」を理由にして開示しなかった国の対応は妥当なのか、「調査によっても文書はみつからなかった」という国の主張に理があるのかが争われた。その判断が一、二審で正反対に分かれた。
一審は「廃棄されたと国が立証しない限り、文書はまだあると認められる」と指摘。さらに、重要な文書なのだからもし廃棄されたとすれば高い地位の人間がかかわった組織的な決定だったはずで、それはきちんと調べればわかる、と述べた。
ところが、東京高裁の判決は、密約が明るみに出た以上「文書を隠す理由はもうない」としたうえで、こう言った。「民主党への政権交代後に行った文書の探索は網羅的で徹底したものであり、ないという結論の信用性は高い」。また、文書の重要性、秘密性に触れ、「限られた職員が特殊な方法で管理し、秘密裏に廃棄したり役所から持ち出したりした可能性」にも言及した。
何とも国に都合のいい理屈だ。国は「文書はない」というだけで、その理由を説明していない。当然、調査は限られた職員とは誰で、どのように管理、廃棄したのかを突き止めるものでなければならないはずだ。
4月に施行された公文書管理法は、「公文書は健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」だとうたっている。民主党政権は密約問題は政権交代前の話だと考えているのだろうが、「ないものはない」では、国民の財産である公文書が失われた説明にはならず、それをよしとした判決にも納得できない。

0 件のコメント: