2013年4月13日土曜日

米軍基地返還計画 沖縄だけの犠牲は限界だ 詐術に等しい「負担軽減」


<各紙社説・主張>
沖縄タイムス)[砂上の返還計画]現実と遊離し不可能だ(4/7)
沖縄タイムス)[基地「返還計画」]パッケージ論の復活だ(4/6)
琉球新報)普天間合意17年 国家的詐欺に終止符を(4/12)
琉球新報)基地返還の遅延 人道に反する負担温存策だ(4/8)
琉球新報)基地返還・統合計画 沖縄だけの犠牲は限界だ 詐術に等しい「負担軽減」 (4/6)
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朝日新聞)基地返還計画―可能なところから早く(4/7)
読売新聞)米軍施設返還案 普天間移設と好循環を目指せ(4/6)
毎日新聞)米軍基地返還計画 普天間「切り離し」守れ(4/6)
日経新聞)今度こそ日米合意を守り普天間移設を (4/6)
産経新聞)米軍施設返還 沖縄の抑止機能を守れ 新合意で「普天間」移設実現を(4/6)
東京新聞)沖縄基地返還 条件付きでは進まない(4/6)



沖縄タイムス 2013年4月7日 09時30分
社説[砂上の返還計画]現実と遊離し不可能だ
 小野寺五典防衛相は6日来県し、嘉手納基地よりも南にある普天間飛行場など六つの米軍基地の返還統合計画について、仲井真弘多知事や関係市町村長に説明した。
 今回の返還計画は、地元の反対が根強い中で、(1)実現を担保するものがなく、(2)返還期限の設定もあいまいで、(3)普天間の返還時期が『2022年度またはその後』とされ、事実上、固定化を認める内容になっている。
 さらに、(4)ほとんどが県内移設を前提にし、(5)嘉手納以北の住民からすれば、基地の拠点集約化に伴う大幅な負担増になっており、(6)将来は、嘉手納基地を中心とする中部の基地群と辺野古を中心とする北部の基地群が半永久的に固定化されるような内容だ。
 那覇港湾施設(那覇軍港)は「28年度またはその後」に返還とある。日米が那覇軍港の返還に合意したのは1974年のことである。仮に計画通り実現したとしても、合意から半世紀以上もかかって県内移設することになる。
 県内玉突きによって負担を沖縄内部で完結させようとするこれらの返還計画は、理不尽で、不公平で、無理があり、不条理だ。なぜ本土ではだめなのか、まともな説明を一度も聞いたことがない。
 米国は期限設定に難色を示し続けた。無理に数字をいれさせたのは安倍晋三首相の意向である。安倍首相は日米首脳会談で牧港補給地区の先行返還をオバマ大統領に要請したといわれるが、実現していない。
 この計画は「砂上のプラン」というしかない。
    ■    ■
 96年の普天間返還合意以来、沖縄の人たちは、日米政府の二転三転する計画に振り回され続けてきた。地域が、家族が、親戚が、賛成と反対に分かれていがみ合うこともあった。
 普天間の返還時期はこれまで何度も変わった。ころころ計画が変わっても地元自治体はいつも蚊帳の外。自治体や住民の政府に対する不信感は根深い。
 日米両政府が返還統合計画を発表した5日、名護市では「辺野古埋め立て申請の撤回を求める緊急市民集会」が開かれた。
 返還合意から今年で17年。市民投票や県民投票、各種の首長選挙や国政選挙、ほとんどの選挙で示されたのは移設反対の民意である。
 埋め立て申請を承認するということは、民意に背くだけでなく、過去17年の、県民の血のにじむような叫び、異議申し立てを、何もなかったかのように、水に流すようなものである。あってはならないことだ。
    ■    ■
 普天間飛行場へのオスプレイ配備によって訓練負担が著しく増えた地域の一つは宜野座村城原区である。同区の大嶺自孝区長は言う。
 「北部は無人島じゃない。今以上に増強して『負担軽減』なんて、政府は何を考えているのか。怒りで体がガタガタ震えて止まらない」(6日付社会面)。大嶺さんの叫びは両政府に届くだろうか。
 辺野古移設を前提とする限り、返還統合計画は袋小路から抜け出せないだろう。


沖縄タイムス 2013年4月6日 09時55分
社説[基地「返還計画」]パッケージ論の復活だ
 安倍晋三首相とルース駐日米大使は5日夕、官邸で会談し、米軍嘉手納基地より南にある普天間飛行場と5基地の「返還計画」を了承した。
 時期を盛り込んだのが特徴だが、いずれも「○年度またはその後」という表現を使い、注釈で「遅延する場合がある」と言及している。これで時期を明記したといえるのだろうか。何も言っていないのと同じではないか。
 時期の明記は、安倍首相が強くこだわった。沖縄の過重な基地負担の軽減をイメージさせ、普天間の辺野古移設を進めたい狙いがある。
 5基地を13地区に細分化し3段階に分けて返還する計画だが、普天間を含めた計1048ヘクタール余りのうち、条件なし返還はわずか約55ヘクタール。県内移設というのが正確だ。
 民主党政権時代の2012年4月、在日米軍再編の見直しに関する日米安全保障協議委員会(2プラス2)で、普天間移設と在沖海兵隊の国外移転、嘉手納より南の5基地のパッケージを切り離した。5基地の先行返還を可能にするものと受け止められた。
 今回の合意で、普天間については辺野古移設を前提に「22年度またはその後」と明記した。移設までの期間は埋め立て着工から8~10年とされており、早期着工を念頭に「22年度」という時期が出てきたものとみられる。
 牧港補給地区は「25年度またはその後」、那覇港湾施設は「28年度またはその後」。5基地の返還は普天間移設以降である。先行返還の考えを放棄し、自民党政権時代の06年に日米合意したパッケージ論に事実上、先祖返りした。12年合意より、むしろ後退したのではないか。
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 計画は3年ごとに見直すこととされ、「砂に書いたラブレター」のようなものだ。
 基地の返還で重要なことは地元の意向を聞き、跡地利用の観点からいつ、どれだけの面積かを早期に示すことだ。米軍の一方的な都合による細切れ返還では跡地利用を困難にする。
 今回の合意で、移設を条件としない返還は、宜野湾市にあるキャンプ瑞慶覧の西普天間住宅地区(約52ヘクタール)で、時期は「14年度またはその後」とされている。同地区は、傾斜地が多く国道58号とアクセスできない。宜野湾市と地主会は跡地利用に支障を来すとして、国道58号につながるインダストリアル・コリドー地区と一体的な返還を求めたが、計画に反映されなかった。
 牧港補給地区の北側進入路と第5ゲート付近の計3ヘクタールも条件は付かず「13年度、14年度またはその後」とされたが、細切れで使いようがない。
    ■    ■
 普天間返還合意から間もなく17年がたつが、進まない。辺野古移設が前提だからだ。
 那覇港湾施設は1974年に日米で返還合意している。40年近いが返還が実現していない。今回「28年度」と言われても現実味がない。
 移設先の浦添市で移設反対を掲げた松本哲治市長が誕生。翁長雄志那覇市長も遊休化を理由に移設条件と切り離した返還を求めている。地元の意向を無視した計画は混乱と分裂を引き起こすだけだ。


琉球新報 2013年4月12日            
社説:普天間合意17年 国家的詐欺に終止符を
 1996年に日米両政府が、米軍普天間飛行場の全面返還を電撃的に発表してから、12日で満17年を迎えた。
 返還はおろか、危険性の除去さえままならない現状を見る限り、「失われた17年」と言っても過言ではない。政府はいいかげん不毛な歳月から教訓を学ぶべきだ。
 当初、返還までの期限は「5~7年」とされたが、いまだ迷走を続けているのはなぜか。県内移設の“条件付き返還”が足かせになっているからにほかならない。
 歴代政権は「沖縄の負担軽減を図る」としながらも、沖縄だけに基地を押し込めようと腐心してきた。昨年12月に政権奪還後、名護市辺野古移設を強行に推し進める安倍晋三政権もしかりだ。
 国土面積のわずか0・6%の沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中する。繰り返しの主張になるが、安全保障の過重な負担を強いる現状を放置し続けることは、沖縄への「構造的差別」にほかならず、日本は民主国家たり得ない。
 ましてや振興策というアメを駆使し、沖縄の理解を求める補償型の基地維持政策はとうに破綻しており、時代錯誤も甚だしいと嘆息せざるを得ない。
 96年の日米特別行動委員会(SACO)合意や、2006年の在日米軍再編計画の進捗状況を見れば分かるが、普天間に限らず、那覇港湾施設や牧港補給地区など、移設条件付きの施設区域の返還は実現していない。
 日米両政府は、県民世論に反する計画自体が頓挫している現実を直視すべきだ。
 普天間飛行場には昨年10月、墜落事故を繰り返し「未亡人製造機」とやゆされるMV22オスプレイが強行配備された。負担軽減どころか、危険性を増大させる暴挙と言うほかない。
 日米両政府が5日に合意した嘉手納基地より南の5基地の返還・統合計画では、普天間は22年度以降と再び先延ばしされた。5~7年で返還のはずが、早くても26年を要することになる。もとより県内移設が条件では、国家による“信用詐欺”の疑いが極めて濃厚だ。
 普天間返還・移設問題の迷走は政治の貧困さの象徴であり、不毛な漂流を続けることはもはや許されない。政府が返還計画の実現を真に願うならば、直ちに県外移設に方針を転換すべきだ。


琉球新報 2013年4月8日            
社説:基地返還の遅延 人道に反する負担温存策だ
 嘉手納基地より南の六つの米軍基地の返還・統合計画の虚飾をまとった内実が、返還基地を抱えたり、機能を移される市町村長らの反応から浮かび上がってきた。
 「返還・統合」に名を借りた新たな基地負担の嘉手納以北への集中・温存である。基地被害との決別を望む民意に背を向けた、人道に反する施策だ。県内移設条件付き返還の問題点が噴出している。
 遊休化が指摘されている那覇軍港の移設時期は浦添市への移設条件が付いたために、「2028年度またはその後」とされた。1974年の日米合意から最短でも54年を要する。履行に半世紀以上かかる国家間の約束事は基地問題以外にあるまい。異常さが際立つ。
 那覇軍港が象徴的に示すように、明記された六つの基地の返還時期は総じて遅く、実現の担保を伴わない。政治情勢で簡単に先送りされる恐れも拭えない。
 来県した小野寺五典防衛相が、返還・統合計画を説明した。まず、沖縄に集中する米軍専用基地の割合は73・8%から73・1%と、わずか0・7%の縮小にとどまることが正式に示された。普天間飛行場の名護市辺野古移設だけが先行した場合、縮小幅は0・3%だ。
 「本土の方は基地返還が相当進むと思うだろうが、良かったとは口が裂けても言えない」
 翁長雄志那覇市長の反応は、基地返還計画の実現性の乏しさに強い不信感を抱く大部分の県民の受け止め方を代弁していよう。
 最大懸案である普天間返還まで早くても9年かかることに、仲井真弘多知事は「その間、固定化されるのと一緒だ」と突き放した。
 最低でも9年間、危険機種オスプレイが普天間飛行場を拠点に沖縄の空を飛び交うことに、不安を抱かない県民はいまい。もし、墜落などの重大事故が起きた場合、その全責任を日本政府が負わねばならないと警告しておきたい。
 普天間を含め、返還対象の基地面積の約8割は、県内へのたらい回しだ。牧港補給地区の倉庫群の移設先に挙がった沖縄、嘉手納、読谷の首長は、新たな基地負担は受け入れられないとの認識をはっきり表明した。グアムなどに主力の歩兵部隊が移る海兵隊の駐屯基地がそのまま残ることへの説明もなされていない。
 安倍政権がなすべきは、在沖基地の閉鎖、県外・国外への移設だ。それこそが本物の負担軽減である。


琉球新報 2013年4月6日            
社説:基地返還・統合計画 沖縄だけの犠牲は限界だ 詐術に等しい「負担軽減」
 これはまさに「沖縄の基地負担温存政策」ではないか。県外に行く基地は一つもない。沖縄だけを犠牲にする政策がもはや限界だと、なぜ気付かないのか。
 日米両政府が嘉手納基地より南の5基地の返還・統合計画を発表したが、5基地返還は2005年に合意したことで、今回はその時期を示したにすぎない。それを、さも安倍政権が努力した「負担軽減」であるかのように言いはやすのは、経緯を知らない国内世論向けの印象操作だ。詐術に等しい。
 沖縄だけに基地を押し込める方策は過去何回も頓挫してきた。政府は過去の失敗に学ぶべきだ。
遊休化との矛盾
 計画を見ると、首をかしげざるを得ない点があまりにも多い。
 牧港補給地区の返還は、各軍の倉庫を嘉手納弾薬庫やトリイ基地、キャンプ・ハンセンに移すのが条件だ。3基地への倉庫新設は基地拡充そのものではないか。
 那覇軍港の返還時期は「2028年度またはその後」だ。ほとんど使われず遊休化した基地を返すのに、なぜ15年もかかるのか。
 キャンプ桑江は海軍病院移設が条件だが、病院は既に移設して稼働している。今すぐ返還できるはずだが、なぜ2025年度以後か。キャンプ瑞慶覧の一部など、こうした例はほかにも枚挙にいとまがない。しかも、ほとんどが「○○年度またはその後」という留保付きである。これでは返還計画どころか、返還延期計画だ。
 米上院のカール・レビン軍事委員長は先月、米公共放送局の番組で在外米軍の縮小を主張した。「特に太平洋地域、とりわけ沖縄」と名指しして兵員を本国に戻すよう求めている。
 大規模な水陸両用戦を展開する旧来型の海兵隊の存在意義は既に薄れたと言われて久しい。軍事技術の発達で緊急展開能力は格段に向上した。海兵隊は本国に常駐し、紛争に応じて装備・兵員を編成して急派する小規模紛争専門となることも十分あり得る。米国の深刻な財政難を考えれば、なおさらだ。
 そんな時代に、米国の有力者ですら必要ないという兵員をなぜ新基地を造ってまでわざわざ沖縄にくぎ付けにするのか。理解できない。
 肝心の普天間飛行場も返還が「2022年度以降」と先延ばしになった。1996年のSACO(日米特別行動委)合意で2003年返還の予定だった基地だ。それが06年の米軍再編で14年に延期し、今回さらに延期した。まして県内移設条件付きである。許しがたい犠牲強要と言うほかない。
「本土並み」の幻
 在沖米軍基地の縮小論議はそもそも、日本本土と沖縄の取り扱いの違いが出発点だった。
 沖縄を米軍の占領統治に差し出していた間に本土の基地は大幅に減り、沖縄へ基地が集中した。海兵隊が移転してきたのが一例だ。
 その上、1968年のいわゆる「関東計画」で首都圏の米軍基地は横田に集約された。1972年の本土復帰以後だけを見ても、本土では約59%も整理縮小が進んだのに、沖縄では19%にとどまっている。「核抜き本土並み」だったはずが、復帰後ですら本土並みではないのだ。
 こうした違いを沖縄側が訴えた結果がSACO合意だったが、普天間も牧港補給地区も那覇軍港も、県内移設の条件がネックになって実現していない。
 安倍政権は閣僚来県や振興策提示など、1997年ごろの「成功体験」を露骨に模倣しているが、過去と今の決定的違いに気付いていない。沖縄は既に、沖縄だけを犠牲にする基地政策は差別そのものだと知っている。もはや差別を甘受する地点には戻れないのだ。
 過去、知事が県内移設に合意した一時期ですら、県内の世論調査で移設反対が過半数を割ったことは一度もない。県内移設にこだわる限り、返還は実現しない。政府はその点からこそ教訓をくみ取るべきだ。

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朝日新聞 2013年04月07日01時16分
社説:基地返還計画―可能なところから早く
 米軍基地が集中する沖縄の負担を減らすため、日米両政府が基地の返還計画をまとめた。
 人口が多い県南部の6基地について、返還の時期や手順を定めた。2013~28年度に、約1千ヘクタールの返還をめざす。
 在日米軍基地の73・8%が沖縄にあり、計画が実現しても73・1%に下がるだけだ。わずかではあるが、負担が減るなら意味はある。着実な進展を望む。
 ただ、返還時期の書きぶりには首をかしげる。「22年度またはその後」とされた普天間をはじめ、いずれも「またはその後」がついている。
 仲井真弘多知事はきのう、説明のため沖縄を訪れた小野寺五典防衛相に「いつになるかわからない、としか読めない」と疑義を呈した。防衛相は、あいまいにしたわけではないと強調したが、納得しがたい。
 なぜこんな表現になるのか。背景には、返還計画の大半が代替施設の整備を前提にしていることがある。返還対象の約1千ヘクタールのうち、県内の別の場所に機能を移した後に返還するとされたのは841ヘクタールにも及ぶ。
 その移設先の自治体には、防衛相がきのう初めて計画を説明した。市長らからは「困る」といった声が相次いだ。
 どうやって返還を進めるのか。留保をつけたとはいえ、時期を示した以上、「書いただけ」では済まされない。政府は、みずから努力を尽くす義務を負ったといえよう。
 481ヘクタールと計画全体の半分近くを占める普天間の返還は、従来どおり名護市辺野古への移設が前提とされた。
 知事はきのう記者団に、22年度以降では「普天間に固定化するのと同じ」と語り、県外移設を改めて主張した。県内全市町村が反対する辺野古への移設は依然、現実味に乏しい。
 とはいえ、普天間を理由に、ほかの基地の返還を遅らせてはならない。可能なものは計画を前倒ししてでも返還すべきだ。
 日米両政府は昨春、普天間移設と、ほかの基地の返還は切り離すことで合意した。ところが、米政府内からは再び「海兵隊のグアム移転と普天間移設の前進によって、嘉手納基地以南の多くの土地の返還が可能になる」(国防総省報道官)といった発言が聞かれる。
 そんなやり方では何も進まないのが、この間の教訓だ。膠着(こうちゃく)状態が続けば県民の反発はさらに強まり、米軍の駐留が難しくなるおそれすら出てこよう。
 東アジア情勢が不安定さを増すなか、日米両国とも、そんなことは望んでいないはずだ。


(2013年4月6日01時24分  読売新聞)
米軍施設返還案 普天間移設と好循環を目指せ(4月6日付・読売社説)
 沖縄の過重な米軍基地負担を軽減するうえで、画期的な意義を持つと高く評価したい。
 日米両政府は、沖縄県南部の米軍6施設の返還計画を発表した。
 普天間飛行場は、名護市辺野古への移設を前提に、「2022年度またはその後」に返還が可能と明記した。地元の返還要望が強い牧港補給地区は、25年度にも返還できるとしている。
 キャンプ瑞慶覧、那覇港湾施設など他の4施設は、22~28年度の返還完了を目指すと記載した。
 6施設の返還面積は計1000ヘクタール超にも上る。人口の多い県南地域の広大な土地の返還期限と手順が明示された意味は大きい。
 跡地を有効利用すれば、様々な地域振興が可能になるだろう。特に、牧港補給地区は、那覇市と近いなど、立地条件が良い。
 政府と沖縄県、関係自治体は、各施設の跡地利用策について、建設的な協議を行い、信頼関係を深めることが重要である。
 一方で、返還には、代替施設の整備や在沖縄海兵隊のグアム移転などの前提条件が付いている。
 例えば、那覇港湾施設は、1974年に日米が返還に合意しながら、浦添市への移設が進まず、今なお返還が実現していない。
 今後、計画通りに各施設の返還を進めるには、日米両政府と自治体が従来以上に緊密に協力し、代替施設の建設などの返還条件を満たす地道な努力が求められる。
 政府は、計画策定を、普天間飛行場の辺野古移設に必要な公有水面の埋め立てに関する沖縄県の許可を得る一助としたい考えだ。
 日米両政府は昨年春、普天間移設と海兵隊のグアム移転を切り離して進めることで合意した。普天間移設の停滞がグアム移転を遅らせる「悪循環」を防ぐための、やむを得ない措置だった。
 今回の計画に返還時期を明示できたのは、安倍首相が埋め立て申請に踏み切り、普天間移設に本気で取り組む姿勢を示したことに、米側が呼応したためだ。普天間問題の進展が、海兵隊移転に伴う施設返還を後押ししたと言える。
 普天間移設、海兵隊移転、施設返還という三つの要素が前向きの「好循環」を生むよう、日米両政府と自治体がきちんと連携・協調することが大切である。
 北朝鮮の核・ミサイルによる軍事的威嚇や中国の尖閣諸島周辺での示威活動などで、在沖縄米軍の抑止力の重要性は高まっている。沖縄の基地負担軽減と米軍の抑止力維持の両立が重要である。


毎日新聞 2013年04月06日 02時33分
社説:米軍基地返還計画 普天間「切り離し」守れ
 日米両政府は、沖縄の米軍嘉手納基地以南の6施設・区域の返還計画で合意し発表した。焦点の普天間飛行場も合意文書に盛り込み、同県名護市辺野古への移設を前提に「2022年度またはそれ以降」とした。
 各施設・区域返還は沖縄県が強く求めてきたものである。返還時期を示せば、跡地利用の計画づくりが可能となる。時期の明示は前進だ。
 しかし、各施設の返還時期は具体的年度「またはその後」との表現になっている。遅れる可能性を織り込んでいることが気になる。沖縄県内での代替施設確保を返還の前提にしている施設が多く、移設先の自治体の反対で返還が遅れてきたのがこれまでの経緯だ。両政府に実現に向けた本格的取り組みを求めたい。
 何より懸念されるのは、普天間移設を文書に盛り込んだことで、移設が進まなかった場合、他の5施設・区域返還が連動して遅れることだ。小泉政権時代の06年の日米合意では嘉手納以南の施設・区域返還と普天間の辺野古移設はパッケージとなっていたが、昨年4月、野田政権がこれを切り離し、普天間移設が進まなくても他の施設等の返還を進めることで米政府と合意した。今回の合意で両者のリンクが事実上、復活したとすれば後退と言わざるを得ない。
 日米合意発表後、安倍晋三首相は早期の返還実現に努力する考えを表明した。政府は、公式には、昨年の「切り離し」合意は有効であるとの考えを明らかにしている。ぜひ、普天間移設の進展に関係なく、5施設等の返還を進めてもらいたい。
 政府は先月下旬、辺野古への移設に必要な「公有水面埋め立て」許可申請を仲井真弘多知事に提出した。知事の判断には10カ月程度かかる。沖縄では、普天間の県内移設に反対する声が大勢であり、知事も県外移設を主張している。辺野古への移設が進む見通しは立っていない。
 5施設等の返還と引き換えに普天間の辺野古への移設を迫るということになれば、沖縄の反発を招くだけだろう。政府は「切り離し」の姿勢を最後まで貫くべきだ。
 また、普天間移設が政府の計画通り進んだとしても、移設までに9年以上かかる。この間、普天間周辺住民の危険性は放置されたままなのだろうか。安倍政権は移設実現までの危険性除去・軽減の対策を示していない。普天間の機能分散を進めるために早急に米政府と協議するよう求める。
 沖縄には在日米軍の施設面積全体の約74%が集中しているが、普天間を除く5施設等が返還された後も、その数値は約72%と、わずか2ポイント下がるだけだ。「過重な基地負担」は変わらない。政府は引き続き、負担軽減策を検討すべきである。


日経新聞 2013/4/6付
社説:今度こそ日米合意を守り普天間移設を
 難しい問題を打開し、解決への道筋をつけようと思っても、掛け声だけでは何も進まない。何をどれくらい、いつまでに実現するのか、時間表が必要になる。
 その意味で、沖縄県内の米軍施設・区域の返還計画をめぐり、日米両政府が合意に達したことを評価したい。
 安倍政権にかぎらず、歴代の政権はこぞって沖縄の基地負担の軽減をかかげてきた。だが、目に見える成果が出ているとは言い難く、地元の不満は募っている。
 今回の合意ではあいまいな努力目標ではなく、できる限り明確な年限を示し、負担軽減に取り組む姿勢を示したのが特徴だ。
 米軍嘉手納基地より南にある5施設・区域のうち、とりわけ地元の要望が強い牧港補給地区(浦添市)は、2013年度以降に一部の返還を始めるという。
 対象になっている施設には、那覇軍港のように約40年前から返還が決まっているものもある。これらも最優先で実現すべきだ。
 米軍施設の跡地を、地元振興に最大限に生かすための配慮も欠かせない。再開発にはまとまった土地が必要だ。小さな土地を細切れに返還しても、利用されず、放置されることにもなりかねない。そうならないよう、政府は沖縄側と緊密に調整してほしい。
 肝心なのは地元の基地負担を減らすなかで、最大の懸案である米軍普天間基地の移設についても、沖縄の理解を得ていくことだ。
 普天間基地は県内の名護市辺野古への移設案が決まっているが、地元の反対から実現のめどが立っていない。このため、日米合意では普天間の返還時期を22年度以降とするにとどまった。
 返還時期を明記して実行できなければ、移設がさらに遠のいてしまう。こんな判断から、あえて時期をぼかしたのだろう。
 だが、政府としてはあくまでも22年度に移設を実現するつもりで、全力を尽くしてもらいたい。最悪の結末は普天間が行き場を失い、いまの街中にとどまることだ。その影響をいちばん受けるのは、地元の人たちである。
 政府だけでなく、与党である自民、公明両党、政権当時に現行案を踏襲した民主党の役割も大きい。沖縄県選出の国会議員や県議の多くは県内移設に反対している。これらの議員に働きかけ、現行案への理解を得られるよう、努力する義務がある。



産経新聞 2013.4.6 03:11 (1/3ページ)[主張]
【主張】米軍施設返還 沖縄の抑止機能を守れ 新合意で「普天間」移設実現を
 また一歩、米軍普天間飛行場の移設問題で前進が図られた。
 普天間の返還時期と嘉手納基地以南の米軍5施設・区域の返還計画をめぐり、日米両政府が具体的な時期などで合意したことだ。
 普天間の名護市辺野古への移設を加速するだけでなく、沖縄県の負担軽減にもつながる意義のある決定といえる。
 政府と県には、これを弾みとして普天間問題への一層の進展を求めたい。
 あらためて考えなければならないのは、尖閣諸島への攻勢をかけ続ける中国、核・ミサイル開発で暴走する北朝鮮から日本を守る上で、沖縄の安全保障上の意義がいっそう高まっていることだ。
 ≪首相は強い信念を貫け≫
 日米の抑止力の拠点が機能しなければ、日本の平和と安全は確保されないからだ。そのためには米軍再編を円滑に進めなければならない。
 安倍晋三首相は「普天間の固定化は断固あってはならない」と繰り返してきた。
 辺野古への移設が決着せず、返還時期が不透明となって「固定化」への懸念が出ていたなかで、「2022年度またはその後」という時期を明示できたことは成果だった。首相は合意について、「日米の信頼の絆がゆらいでいないことを示せた」と語った。
 嘉手納基地以南の施設返還は、仲井真弘多知事や地元が強く要求していたものだ。返還の実現によって将来、商業施設建設などの地域活性化が期待できる。米軍基地が集中する沖縄の負担軽減の重要な一環といえよう。
 首相は辺野古移設に向け就任1カ月と少しで沖縄を訪問した。
 民主党政権が誕生した際、鳩山由紀夫首相(当時)が訪沖したのは就任8カ月後だった。
 安倍内閣の対応は、それに比べるとはるかに迅速だ。今後も沖縄振興策への手当てなど可能な限りの支援を行い、粘り強く受け入れの説得をしてほしい。
 首相にとっても、普天間問題をめぐる今の状況を解きほぐす作業は容易ではない。新たな施設返還をめぐる合意は、県民の理解を得ることによって、知事が埋め立て申請を容認しやすい環境をつくる意味合いも大きい。
 何よりも、首相が辺野古移設の実現に向けた強い信念を維持することが大事だ。政府の腰が定まらなければ地元も決断できまい。
 政府はすでに、辺野古沿岸部の公有水面の埋め立て申請を県に提出している。許可権限を持つ仲井真知事は、辺野古移設への反対論の広がりから「県外移設の方が早い」との見解を示している。
 鳩山元首相が県外移設を掲げた揚げ句、その実現を断念する無責任な対応をとったため、日米関係は悪化し、普天間問題は迷走した。辺野古案を容認しにくい立場にある仲井真知事もこの際、沖縄の戦略的重要性などを考慮して、大局的見地に立って国と覚悟を共有してほしい。
 ≪論外な沖縄領有権主張≫
 菅義偉官房長官が3日に沖縄を訪問した際、自民党沖縄県連の幹部から「参院選では県外移設を掲げたい」との考えを伝えられた。政権与党としての一貫性を欠いており、一刻も早く解決しなければならない。
 沖縄の重要性を考えるうえで看過できない問題は、中国側で尖閣にとどまらず沖縄の領有権に関する言及が相次いでいることだ。
 民主党の山口壮元外務副大臣は3月の国会質問で、昨年8月に中国の傅瑩(ふえい)外務次官と会談した際、沖縄本島を含む琉球諸島について中国の領有権を主張する発言があったことを示唆した。
 中国の学者、軍人らの主張の中に戦後の沖縄返還には根拠がないといったものがあったが、中国外交当局の高官が日本の主権を認めないなら重大問題である。
 中国側が沖縄の戦略的な重要性を認識しているともいえるが、日本として抑止力の要となる沖縄自体を守り抜く努力をさらに重ねなければならない。
 今回の合意をもってしても、沖縄側がなお辺野古への移設に反対だとなれば、米軍は身動きがとれなくなり、むしろ普天間の固定化が進むだろう。
 住宅密集地にある普天間の危険性を取り除くことはできず、沖縄にとっても不幸であることを、知事や県民もあらためて考えてもらいたい。


東京新聞 2013年4月6日
【社説】沖縄基地返還 条件付きでは進まない
 日米両政府が沖縄県にある六つの米軍基地の返還可能な時期を発表した。普天間飛行場を含め、多くが県内に代替施設を造る条件付きだ。これでは返還は進まず、県民の基地負担も軽減されない。
 同じ島の中で米軍基地の場所を変えたとしても、島全体の負担は減らない。日米両政府はまず、この当然のことを前提として議論を始めるべきではなかったか。
 今回、返還可能な時期が示されたのは米空軍嘉手納基地(嘉手納町など)より南にある六つの米軍基地。普天間飛行場(宜野湾市)は「二〇二二年度またはその後」としている。
 市街地が迫り、世界で最も危険とされる基地が早ければ二二年度中に閉鎖されることになるが、あくまでも名護市辺野古への「県内移設」実現が前提である。
 返還対象のほかの基地も、多くが県内に米軍機能を移転する県内移設条件付きだ。普天間を含めて返還対象面積の約八割は県内でたらい回しされるにすぎない。
 返還と言いながら在日米軍基地の約74%が集中する沖縄県に基地を押しつける構図に変わりない。
 安倍内閣は、嘉手納より南の人口密集地にある米軍基地の返還計画を示すことで、辺野古移設-普天間返還に向けて沖縄県側の軟化を促す腹づもりなのだろう。
 しかし、米軍基地を過重な負担に苦しむ沖縄から国外・県外に移す抜本的な負担軽減策を講じなければ、県民の納得は得られまい。
 仲井真弘多知事をはじめ多くの県民が反対する中、なぜ県内移設を強行できるのか。時期を示して県側に受け入れを迫るような恫喝(どうかつ)的手法をとるべきではない。
 そもそも返還可能な時期を示すことに意味があるのか。例えば普天間返還は「二二年度またはその後」と遅れることを織り込み済みだ。一九九六年の返還合意以降、「五~七年以内」「一四年まで」などと度々期限を区切りながら、実現できなかった経緯もある。
 日米は昨年四月、嘉手納より南の返還を、遅々として進まない普天間返還と切り離すことに合意した。にもかかわらず、今回の合意では嘉手納より南の返還が軒並み普天間返還後になっているのはどうしたことか。
 日米両政府が県内移設に拘泥する限り、沖縄県民の基地負担の抜本的軽減にはつながらない。
 日本政府が今すべきは返還時期を示すことでない。沖縄米軍基地の国外・県外移設の提起へと、勇気を持って舵(かじ)を切ることだ。

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