2013年6月2日日曜日

橋本市長の問責決議否決 手を貸した公明党 論点すり替え、責任を転嫁する橋本氏

橋下徹市長の慰安婦をめぐる一連の発言について、問責決議案が否決された。
公明党が一転して問責反対に回ったからだ。

橋本氏の問責決議案の否決を受けての弁は、「自分が言っていることは正しいと思っている」。
あいかわらず、撤回の考えはないと強調した。

道理に合わない論点のすり替えを押し通し、責任を転嫁する姿勢(神奈川新聞)

女性の尊厳をないがしろにするかのような発言をしたうえ、その波紋について責任転嫁しようとする姿勢が、いまも重く問われている。
橋下氏への批判は海外で、さらに広がっている。
国連の人権機関のひとつである拷問禁止委員会は、橋下氏の発言などを問題視し、懸念を表明した。
慰安婦の歴史について「日本の国会議員を含む政治家や地方政府高官による事実の否定が続いている」とし、
こうした言動が再び被害者の苦痛をもたらしていると警告した。(朝日)

朝日新聞)慰安婦発言―橋下氏の責任なお重い(6/1)
神奈川新聞)問われる橋下発言 歴史の否定は通用せぬ(6/1)
京都新聞)橋下氏問責否決  政治は筋を通してこそ(6/1)
西日本新聞)橋下発言と世界の目 「内向きの歴史観」抜け出そう(6/1)
琉球新報)橋下氏問責否決 市民置き去りの党利党略(6/1)
毎日新聞)橋下氏の説明 本質そらす責任転嫁だ(5/28)
産経新聞)慰安婦問題 不当な日本非難に反論を(5/28)
北海道新聞)橋下市長釈明 責任転嫁で解決しない(5/28)
神戸新聞)橋下氏の釈明/責任転嫁では解決しない(5/29)
沖縄タイムス)[橋下氏会見]「不快感」だけが残った(5/28)
琉球新報)橋下氏会見 政治家としての資質を疑う(5/28)

2013-05-17(Fri)
橋下市長―政治家やめるべきだ
日本維新の会 擁護する石原共同代表と幹部 体質あらわ
http://ajimura.blog39.fc2.com/blog-entry-2738.html




朝日新聞 2013年06月01日02時20分
社説:慰安婦発言―橋下氏の責任なお重い
 大阪市議会の騒ぎは、いったい何だったのか。
 日本維新の会の共同代表である橋下徹市長の慰安婦をめぐる一連の発言について、問責決議案が否決された。
 一時は維新以外の会派が一致する見通しだったが、公明党が一転して問責反対に回った。
 維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は、決議が可決されれば、出直し市長選挙に打って出る構えを見せた。参院選とのダブル選は避けたいという議会側の足元が見透かされた。
 橋下氏と議会の駆けひきで、問題の本質から外れた陳腐な政治劇に終わってしまった。
 今回の混乱のきっかけになったのは、大阪市政とは関係のない、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる一連の発言である。
 橋下氏は、米軍の司令官に対し風俗業の利用を促したことは撤回し、米国民に謝罪した。一方で慰安婦についての発言は撤回していない。
 「世界各国の軍が女性を必要としていたと言ったのに、私が容認したと誤報された」とし、自分の価値観とは正反対の人物像が流布してしまった、と矛先をメディアに向けている。
 女性の尊厳をないがしろにするかのような発言をしたうえ、その波紋について責任転嫁しようとする姿勢が、いまも重く問われている。
 橋下氏への批判は海外で、さらに広がっている。国連の人権機関のひとつである拷問禁止委員会は、橋下氏の発言などを問題視し、懸念を表明した。
 慰安婦の歴史について「日本の国会議員を含む政治家や地方政府高官による事実の否定が続いている」とし、こうした言動が再び被害者の苦痛をもたらしていると警告した。
 慰安婦問題については、日本は93年の「河野談話」や、アジア女性基金を創設した95年以降の歴代首相の謝罪文など、一定の実績を積み重ねてきた。
 しかし、橋下氏の発言のような言動がその成果を薄め、国際社会から日本全体の人権感覚に疑いの目を向けられるような残念な傾向が生まれている。
 大阪市議会の動きが不発に終わったからといって、橋下氏の責任が問われる事態は変わっていない。
 市議会の閉会後、橋下氏は「重く受け止めねばならない」と語ったが、ならば、それを行動でしめすべきだ。
 発言の撤回を含め、国民も国際社会も納得できるようなけじめを、自らきちんとつける。それがなければ、この問題はずっと尾を引きつづけるだろう。


神奈川新聞 2013年6月1日
問われる橋下発言 歴史の否定は通用せぬ
 日本維新の会共同代表、橋下徹大阪市長は従軍慰安婦をめぐる発言に関して「自分が言っていることは正しいと思っている」と述べ、撤回の考えはないと強調した。大阪市議会の問責決議案の否決を受けての弁である。
 事ここに至り、なお正当性を言い募る姿に、わが国の政治の表舞台に登場して久しい歴史修正主義者たちの典型を見る。道理に合わない論点のすり替えを押し通し、責任を転嫁する姿勢は、日本外国特派員協会での釈明会見でも露呈している。
 慰安婦に対する強制性をめぐる主張が象徴的だ。女性を力ずくで連れ去ったことを裏付ける証拠はないと述べ、元慰安婦の証言については「信憑(しんぴょう)性に議論がある」と疑問を呈した。
 だが、橋下氏の言う証拠がないことと強制連行がなかったことはイコールではない。政府が調べた資料の中に強制連行を示す記述が見当たらなかっただけである。誘拐、拉致の事実は隠蔽(いんぺい)が図られたと推測するのが自然だろう。
 そうした背景を無視し、身を切るような元慰安婦の言葉を虚言のように扱う態度では、女性の尊厳や過去を直視する大切さを世界に向けて訴えたところで相手にされまい。
 問われているのは本人の意に反して受けた性暴力だ。そこに人集めの際の強制性の問題を持ち込み、疑義を差し挟むことは犯罪性を矮小(わいしょう)化するためのすり替え、責任逃れにしか映らない。
 発端となった発言を思い出したい。「慰安婦は必要だった」は、こう続いた。「韓国などの宣伝でレイプ国家と見られていることが一番問題だ」
 だが、欧米やアジア諸国は、日本をレイプ国家とみなして非難しているのではない。都合よく歴史を書き換えようという動きがやまないから非難されているのだ。それを、言いがかりをつけられているかのように反論する姿には対立をつくりたい意図すら感じる。
 橋下氏はツイッターに「日本の責任は認める。しかし外国の責任も指摘する。日本だけが不当に侮辱を受けることに抗議する。この論理に反論して欲(ほ)しい」と書き込んだ。
 では、問う。一連の発言で「誤解」は解けたのか。効果があるどころか、逆効果ではなかったのか。
 「レイプ国家」との批判はいよいよ高まろう。それは、繰り返された「証拠はなかった」という発言による「セカンドレイプ」によってである。

[京都新聞 2013年06月01日掲載]
社説:橋下氏問責否決  政治は筋を通してこそ
 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長に対し、市議会の野党会派が提出した問責決議案は、可決の見通しから一転、否決された。可決されれば市長は辞職するという維新側の揺さぶりで野党の腰が砕け、結束できなかったからだ。
 旧日本軍の従軍慰安婦を「必要だった」とし、米軍に風俗店利用を勧めた橋下氏の発言には今なお内外から厳しい非難が相次ぐ。チェック機能を果たすべき議会が、人権感覚を欠く一連の発言にノーを突き付けられないとは情けない。
 出直し市長選となれば、7月の参院選と同日が見込まれた。しかし、各党とも準備が整わない選挙を戦いたくない。しかも橋下人気は根強く、肝心の参院選で維新の会を利することになりかねない-そんな計算も働いたようだ。
 市民感覚とかけ離れた、政治の世界でしか通じない論理である。傍聴席の市民が「ばかにするな」と声を荒らげたのも分かる。
 問責決議案は自民党、民主系、共産党の3会派が提出した。「市長としての職責を全うしているとは言い難い」とし「自らの政治責任を自覚した言動」を求めた。
 これに対し、維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は「可決は辞めろということ」と、橋下氏の辞職と出直し選挙をほのめかした。この強気の姿勢に、市長選を避けたい各党が動揺してしまった。
 鍵となったのは、大阪で維新の会と協力関係にある公明党だ。問責決議案に賛同する当初の方針を撤回、タイトルを替えただけの別の決議案を出した。結果的に、いずれの決議も通らなかった。
 議会後、橋下氏は「中身の同じ決議案への賛成が過半数に達したことは重く受け止める」とした。その一方で「(発言を)誤解したのは報道機関」「自分の言っていることは正しい」と開き直るありさまだ。これでは反省どころか、勝利宣言にさえ聞こえる。
 発言記録から浮かび上がるのは橋下氏の人権感覚のずれである。発言が問題化してから、さまざまな言い訳やメディア批判を繰り返しているが、女性を兵士の性的欲求を満たす手段として肯定した事実は覆らない。その意味で、慰安婦発言と風俗発言は一連といえる。
 にもかかわらず、問責決議案は橋下発言の中身を非難するのではなく、市政混乱の責任を追及しただけだ。超党派で結束するための妥協の産物だが、それにも失敗しては無残だ。市議会には気骨を示してほしかった。
 選挙にらみの駆け引きが最優先の政治に、民意と良識を反映した良き統治は期待できまい。猛省すべきは、橋下氏も、市議会もだ。

西日本新聞 2013年6月1日 10:39
社説: 橋下発言と世界の目 「内向きの歴史観」抜け出そう
 ■月のはじめに考える■
 5月27日、日本維新の会の橋下徹共同代表が東京・有楽町の日本外国特派員協会で行った記者会見には、内外の記者約400人が詰めかけ、一部は会場からあふれるほどでした。
 どうして、これほど特派員たちの関心を集めたのでしょうか。
 従軍慰安婦に関する橋下氏の発言が、単に一政治家の失言ではなく、日本の政界全体の歴史認識に関わる問題をはらんでいる-と海外から受け止められたからでしょう。
 会見で橋下氏は、慰安婦を容認したと報じられた自らの発言について「慰安婦問題を相対化しようとか、正当化しようという意図はない」と説明するとともに「かつて日本兵が女性の人権を蹂躙(じゅうりん)したことは痛切に反省し、謝罪しなければならない」と語りました。
 その一方で、橋下氏は「米英も現地の女性を利用した。ドイツにも韓国にもそういう施設があった」と述べ、「日本以外の国も女性の人権を蹂躙した」との持論を繰り返しました。
 この日は攻撃的な物言いを封印し、慎重な発言に終始した橋下氏でしたが、2時間半に及んだ会見からは「どうして日本だけが批判されるのか」という不満がにじみ出ていました。
 ▼被害者意識を募らせ
 歴史認識の問題で物議を醸しているのは、橋下氏だけではありません。
 昨年12月の衆院選で自民党が政権に復帰して以来、安倍晋三首相や自民党幹部などから、日本の戦争責任の見直しを求める声が相次いでいます。
 特に安倍首相は、かねて従軍慰安婦に関する1993年の河野洋平官房長官談話の見直しを唱え、95年に村山富市内閣で決定した「戦後50周年談話(村山談話)」にある「侵略」の表現についても、「侵略の定義は定まっていない」と疑問を投げかけました。
 両談話とも日本の責任を認め、関係国や当事者に謝罪する内容です。その見直しに言及した安倍首相に対しては、中国や韓国が「戦争責任の否定だ」と反発したのはもちろん、同盟国の米国からも懸念の声が上がりました。
 日本国内の一部には、先の戦争や植民地支配に関わる日本の加害行為が、国際社会で実態より過大に受け止められている、という不満があります。
 そのために、日本の歴史認識に関する他国からの批判に、強く反発する心理が働きます。「日本だけが不当に攻撃されている」という一種の被害者意識を募らせているようです。
 安倍首相や橋下氏の言動は、こうした日本社会の潮流を反映しています。安倍首相は閣僚の靖国神社参拝を中国や韓国に批判されると、「どんな脅かしにも屈しない」と反論しました。批判を「脅かし」と捉えるのは被害者意識の強さの表れではないでしょうか。
 しかし、こうした論理は、たとえ日本国内で一定の理解を得られても、国際社会の共感は呼んでいません。
 元外交官の東郷和彦氏は、著書の中でこんな体験を紹介しています。
 東郷氏が米国でのシンポジウムで、従軍慰安婦に関し「強制連行を直接示す資料はない」とする日本政府の見解をめぐる議論について説明したら、米国人から「問題の本質は強制連行の有無ではない。米国人がこの問題について考えるのは『自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか』の一点のみだ」と指摘された、というのです。
 東郷氏は「世界がこの問題を見る目がどこにあるかを知るうえで、青天のへきれきだった」と記しています。
 ▼国際社会の信頼感
 そもそも私たちは、何のために歴史を学び、歴史を語るのでしょうか。
 理由はいくつもあるでしょうが、最も重要な目的は、先人たちの成功や失敗の経緯と原因を検証し、将来道を誤らないよう教訓とすることでしょう。
 私たちがしばしば戦争や侵略など、自らの歴史の過ちについて詳しく語るのは、成功より失敗の方に学ぶものが多いからです。これは「自虐」などではなく、建設的な姿勢なのです。
 しかし現在の日本では、経済低迷の中で失った自信を取り戻し、国民の一体感を高めるために、歴史を語ろうという傾向が強まっているように感じられます。そうした風潮にあっては、得てして成功体験が強調され、失敗は小さく見積もられがちです。
 こうした「内向きの歴史観」の中に安住するのは、ある意味で心地よいかもしれません。しかしそれでは、日本人が描く歴史の自画像と、国際社会が見てきた日本の歴史とは、懸け離れていくばかりでしょう。そして、そのギャップは、国際社会における日本の信頼を、少しずつ損なっていきます。
 日本人が歴史をより深く知るためには、自分たちが書きつづってきた歴史に、他者が見た日本の姿を絶えず投影し、その自画像を修正していく必要があるのです。そのためにも、近現代史で周辺国の住民が体験したことを、率直に見つめなければなりません。
 橋下氏の発言をめぐる一連の騒動は、日本人が歴史にどう向き合うべきかについて、あらためて考えるきっかけになりました。この体験を生かすか無駄にするかは、私たち次第です。


琉球新報 2013年6月1日            
社説:橋下氏問責否決 市民置き去りの党利党略
 従軍慰安婦発言問題をめぐる橋下徹大阪市長(日本維新の会共同代表)への問責決議案が大阪市議会で否決された。党利党略に走り、法的拘束力のない決議すらできない議会の対応はふがいない。
 決議案は自民、民主系、共産、公明の賛成で可決の見通しだった。松井一郎大阪府知事(維新幹事長)が30日午前、橋下市長が辞職して出直し市長選を実施するとの見通しを表明。これを受けて公明が出直し選挙回避を優先し反対に転じたため、問責決議案は反対多数で否決された。「問責」の文言を削除した公明案も否決された。
 各党派には参院選とのダブル選挙を準備する余裕がない、橋下氏への有力対抗馬をすぐに出せない事情があるのだろう。だが党利党略が優先し、有権者の疑問や不満が顧みられないのは理不尽だ。
 公明幹部は「出直し選挙になれば橋下氏が息を吹き返す可能性もあった。今回は勇気ある撤退を選んだ」と述べた。苦しい弁明だ。市民は「市民不在だ。ばかにするな」と反発している。橋下氏も議会も市民を置き去りにしてはならない。
 否決後の橋下氏の発言には驚いた。慰安婦発言に関し誤解を招いたとして市民に陳謝する一方で、「自分が言っていることは正しいと思っている。国際問題などを気にしては政治はできない」と述べ、自らの非を認めていないのだ。
 問責決議案は、橋下氏が在日米軍に風俗業活用を求めた発言について米軍と米国民に謝罪しながら「市民への謝罪は一切無く、誠意が全く感じられない。職責を全うしているとは言い難い」と批判。「国際問題に発展し、大阪市の国際交流の歴史を傷つけた」ことへの猛省を促し、政治的責任を自覚した言動を強く求めていた。
 問責決議案は、辞職勧告までは踏み込んでいないものの、趣旨はまっとうだった。否決で市議会が議会の権威と健全なチェック機能を示す機会を逸したのは極めて遺憾だ。
 決議案否決は「問責というのは辞職勧告だ。民意を問うことになる」との松井知事の議会へのけん制が奏功した形だが、この発言は恣意(しい)的な法解釈で噴飯ものだ。
 維新が出直し選挙という“奇策”をぶつけ勝利した気分になっているのならお門違いだ。橋下氏は国民から依然、厳しい批判があることを自覚し、自ら政治家としてのけじめをつけるべきだ。


毎日新聞 2013年05月28日 02時30分
社説:橋下氏の説明 本質そらす責任転嫁だ
 これで本当に沈静化するのだろうか。旧日本軍のいわゆる従軍慰安婦問題をめぐる発言について日本維新の会の橋下徹共同代表が「容認は誤報」とする見解を文書で公表、日本外国特派員協会で記者会見した。
 不適切な前言をメディアへの責任転嫁で取り繕い、全面撤回しない対応ははなはだ疑問である。発言が日本のイメージを損ねる悪影響も含め、ことの重大さと本質の理解をなお欠いていると言わざるを得ない。
 「戦場と性の問題はタブー視され、表立った議論は一切なかった」。海外メディアにこう語り、他国の例を挙げる橋下氏の言動は日本の責任回避と受け取られかねない危ういものだった。
 橋下氏は13日「精神的に高ぶっている集団に休息を与えようとすると慰安婦が必要なのは誰だって分かる」と発言、問題化した。沖縄の在日米軍に風俗業の活用を促した発言とあいまって女性の人権を侵害した言動が批判を浴びたのである。
 だが、橋下氏は新見解で「(慰安婦を)私が容認していると誤報された」と主張、一方で旧日本軍による慰安婦についても「女性の尊厳と人権を蹂躙(じゅうりん)し、決して許されない」と認めた。
 戦時のレイプ対策を理由に「慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ」とも述べていた13日の発言と今回の見解の落差は明らかである。事実上修正しながら「誤報」と主張し、「風俗業発言」以外撤回しないのでは反省とは言えまい。
 また、橋下氏は会見で「軍が作ったか、民間かは関係ない」と指摘、複数の国の名を挙げ「戦争と性の問題」を提起した。いくら「慰安婦を正当化する意図はない」と強調しても「責任論を分散しようとしているのではないか」との疑念を広げるおそれがある。
 慰安婦問題をめぐる1993年の河野洋平官房長官談話を「おおむね事実」と認めつつ「明確化すべきだ」と主張したが、慰安婦問題の決着に向け積み上げられた談話をないがしろにすべきではない。橋下氏が見解で国際社会での評価を認めた「女性のためのアジア平和国民基金」は河野談話を踏まえた措置である。
 米国議会は安倍内閣や日本の政治家の歴史認識に警戒を強めている。対中、北朝鮮をめぐる情勢が不安定な中で「価値観の共有」という日米同盟の基盤を揺るがしてはならない。国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会も橋下氏の発言を重視している。収拾を急がねばならない。
 野党第2党の党首の言動が「戦争と性の問題に鈍感な国」というイメージを拡大しかねない。橋下氏はその深刻さを一層、自覚すべきだ。

産経新聞 2013.5.28 03:27 (1/2ページ)[歴史認識]
【主張】慰安婦問題 不当な日本非難に反論を
 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は日本外国特派員協会で会見し、慰安婦問題に絡んで在日米軍幹部に「風俗業を活用してほしい」などと述べた発言を撤回、謝罪した。当然である。
 橋下氏が13日に大阪市役所で述べた発言は明らかに女性の尊厳を損ない、米軍や米国民をも侮辱した不適切な表現だった。これに対し、特派員協会での橋下氏は、出席者に配った「私の認識と見解」と題する見解文書も含め、慎重な言い回しに終始した。
 橋下氏は「国家の意思として組織的に女性を拉致したことを裏付ける証拠はない」とも述べ、慰安婦問題に関する平成5年の河野洋平官房長官談話について「否定しないが、肝心な論点が曖昧だ」と指摘した。
 河野談話は、根拠なしに慰安婦の強制連行を認めたものだ。橋下氏は以前、「河野談話は証拠に基づかない内容で、日韓関係をこじらせる最大の元凶だ」と主張していた。これこそまさしく正論だ。後退させる必要はない。
 橋下氏の発言で、再び国際社会で誤解が広がりつつあるのが心配だ。国連の拷問禁止委員会は「慰安婦の強制連行があったのは歴史的に明白だ」とし、教育の徹底が必要だと指摘した。
 だが、第1次安倍晋三内閣は平成19年、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による強制連行を直接示す記述は見当たらなかった」との政府答弁書を閣議決定している。同委員会の指摘は明らかに間違いである。
 また、中国の李克強首相はドイツでの演説で、日本が受諾したポツダム宣言(1945年)を持ち出し、尖閣諸島を念頭に「日本が盗み取った」と主張した。中国が尖閣の領有権を言い出したのは1968年、国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)が「付近の海底は石油資源埋蔵の可能性が高い」と発表してからだ。ポツダム宣言とは何の関係もない。
 菅義偉官房長官が「あまりにも歴史を無視した発言だ」と批判したのは当たり前である。
 最近、米ニューヨーク州やニュージャージー州議会などで、慰安婦の「強制連行」を既成事実として決めつけた対日非難決議が相次いでいる。韓国系米国人らの反日活動の影響とみられる。
 安倍政権はいわれなき日本非難には、きちんと反論すべきだ。


北海道新聞 2013年5月28日
社説:橋下市長釈明 責任転嫁で解決しない(5月28日)
 報道や政府に責任を転嫁しても理解されまい。
 従軍慰安婦問題をめぐる発言で批判を浴びた日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が、日本外国特派員協会で会見し「本意と正反対に受け止められ、報道された」と釈明した。
 沖縄の在日米軍に風俗業利用を勧めた発言は撤回し、米軍と米国民に謝罪した。だが「従軍慰安婦制度は必要だった」との発言は撤回も謝罪もしない姿勢だ。
 発言は明らかに女性の尊厳を傷つけた。弁明の言葉を費やすよりも、率直に誤りを認め、わびるべきだ。
 維新の会からはその後も元慰安婦らに追い打ちをかける発言が相次いでおり、反省はうかがえない。女性の人権を軽視する姿勢では、党としての存在が問われよう。
 橋下氏は自身の発言について「戦時においては」「世界各国の軍が」女性を必要としたとの趣旨なのに、自らが「必要と考える」「容認している」と誤報された、と主張した。
 「必要なのは誰だって分かる」と発言すれば「自らも必要と考える」としか受け取れまい。誤報だとの主張は苦し紛れにしか聞こえない。
 戦時に軍が必要としたとの主張だとしても、戦争や軍は今も存在する。だからこそ橋下氏は在日米軍に風俗業利用を勧めたのだろう。
 会見では「女性の尊厳のじゅうりんは許されない。過去の過ちを徹底して反省しなければならない」と述べた。それが真意なら「必要だった」との発言にはならなかったはずだ。
 質疑でも、慰安婦制度の強制性を認めた河野洋平官房長官談話があいまいだと問題点をすり替え、政府を批判した。国家の意思だったか証明されていないとの主張に寄りかかっていては、反省は伝わらない。
 維新の会では西村真悟衆院議員が「韓国人がいたら『おまえ、慰安婦やろ』と言ってやったらいい」などと発言し、党を除名された。平沼赳夫代表代行も「慰安婦は『戦地売春婦』だと思う」と述べた。
 さらに中山成彬元文部科学相は、橋下氏との面会を拒んだ元慰安婦に「化けの皮が剥がれるところだったのに残念」とツイッターで発言した。
 面会できない環境をつくったのは橋下氏の発言だ。橋下氏をいさめるどころか、女性を蔑視する政治家の集団となっている。
 安倍晋三首相も責任を感じるべきだ。橋下氏の発言に対し「立場が異なる」と人ごとのような態度だが、首相が河野談話を見直そうとしたことに端を発している。
 日本の国際的な信用を守るため、戦争中の行為についてしっかりした反省の上に立って政治を進める姿勢を内外に示すべきだ。


神戸新聞 2013/05/29
社説:橋下氏の釈明/責任転嫁では解決しない
 一度失った信頼は、責任転嫁では取り戻せない。
 日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が旧日本軍の従軍慰安婦をめぐる発言に関し日本外国特派員協会で釈明した。
 メディアが発言の一部を抜き取って報じたのが騒動のきっかけとし、「慰安婦を正当化しようとは思っていない」と強調した。「日本兵が女性の人権を蹂躙(じゅうりん)したことは痛切に反省し、謝罪しなければならない」と述べる一方で、「皆さんも過去を直視してほしい」などとし、問題提起が本来の趣旨だったと説明した。
 高まる批判を誤解や各国共通の問題にすり替える論法といえる。海外メディアの多くが冷ややかなのも当然だろう。海外の批判を和らげ、事態収拾を図ろうという狙いは上滑りに終わった印象だ。
 一方で、旧日本軍の関与と強制性を認めた1993年の河野洋平官房長官談話は「肝心な点が不明確で、日韓関係が改善しない最大の原因」と重ねて非難した。旧日本軍に強制連行されたとする元慰安婦の女性の証言についても信ぴょう性に疑問を呈した。
 反省や謝罪の言葉を連ねながら、慰安婦に関する自身の認識は変わっていない。これでは発言の「真意」をいっそう分かりにくくしただけではないか。
 発端となった13日の発言では、慰安婦について「銃弾が飛び交う中、精神的に高ぶっている猛者集団に必要なのは誰だって分かる」などと述べている。「疑念なく女性の尊厳を大切にしている」人物が口にする言葉とは思えない。
 その後撤回はしたが、在日米軍への「風俗業活用の勧め」も同じだ。
 橋下氏は参院選に敗北すれば共同代表辞任もあり得る、と進退にも言及した。だが訪米中止などの影響が出ている大阪市長としての責任には触れなかった。自分が立候補しない選挙をみそぎの場とするのは筋が違う。民意に委ねるのでなく、自身で判断すべきだろう。
 人ごとのような安倍政権の対応も懸念される。一連の騒動は安倍晋三首相が河野談話見直しや侵略の定義に言及したのがきっかけだった。こうした認識が日本に広がっていると見られかねない。
 歴史認識をめぐる摩擦で国際社会から孤立する事態を国民は望んでいない。安倍首相は、あらためて過去の反省に立ち国際社会の価値観を共有する姿勢を示す必要がある。
 政治のリーダーは個人的な意見を声高に主張するのでなく、広い視野で冷静に歴史を語るべきだ。

沖縄タイムス 2013年5月28日 09時29分
社説[橋下氏会見]「不快感」だけが残った
 旧日本軍の「慰安婦」制度を容認するものと受け止められた日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の当初の発言は、いったい何だったのだろうか。
 国際的な批判を浴びている渦中の橋下氏が27日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見した。前日に「私の認識と見解」と題する日本語版と英語版の文書を公表した橋下氏は、外国特派員らに向けてあらためて文書を読み上げ、「発言の一部が文脈から切り離され、断片のみが伝えられた」とメディア批判を繰り返した。
 橋下氏は当初の発言内容から大きく軌道修正した。
 今月13日、記者団に囲まれ、次のように語った。「銃弾の雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていくときに、そりゃ精神的に高ぶっている集団、やっぱりどこかで休息じゃないけども、慰安婦制度っていうのは必要だということは誰だってわかるわけですよ」
 これに対し27日の会見で読み上げた文書では「戦場の性の問題は、旧日本軍だけが抱えた問題ではありません。『戦時においては』『世界各国の軍が』女性を必要としていたのではないかと発言したところ、『私自身が』必要と考える、『私が』容認していると誤報されてしまいました」とメディアに責任転嫁した。「誤報」と言い募る姿勢に説得力があるだろうか。
 橋下発言の引き金になったのは歴史認識をめぐる安倍晋三首相の一連の発言である。
 安倍首相はこの際、旧日本軍の関与と強制性を認めた1993年の「河野談話」に対する考えをあらためて国民に明らかにすべきである。
    ■    ■
 橋下氏が共同代表を務める日本維新の会の国会議員らからは元「慰安婦」に対する暴言がやまない。
 来日中の韓国人の元「慰安婦」2人が橋下氏との面談を政治利用されることを懸念して取りやめた。中山成彬代議士会長はツイッターで「化けの皮が剥がれるところだったのに残念」と書き込んだ。
 平沼赳夫代表代行は講演で「従軍慰安婦と言われている人たちは『戦地売春婦』だ」と述べた。
 西村真悟衆院議員(除名処分)は「日本には韓国人の売春婦がうようよいる」と発言した。
 共同代表の石原慎太郎氏は「橋下氏は間違ったことは言っていない」といち早く擁護に回った。
 聞くに堪えないような言葉が党幹部の口から次々に飛び出す。人権感覚、国際感覚が欠けていると言わざるを得ない。
    ■    ■
 橋下氏は13日、米軍普天間飛行場の司令官に「もっと風俗業を活用してほしい」と進言したことを明らかにした。27日の会見では「米軍のみならず米国民を侮辱することにもつながり不適切な表現だった」と撤回し、謝罪した。
 「在日米軍の綱紀粛正を徹底してもらいたい」というのが真意だと釈明したが、これまで何度、綱紀粛正という言葉が繰り返されてきたことか。沖縄の問いかけには何も答えていない。


琉球新報 2013年5月28日            
社説:橋下氏会見 政治家としての資質を疑う
 日本維新の会の橋下徹共同代表が日本外国特派員協会で一連の発言について釈明した。自らの見解を英語と日本語で公表。海外メディアに「真意」を訴えて事態の収拾を図ったようだが、その人間性があらためて問われたのではないか。
 橋下氏は在沖米軍に風俗業活用を求めた発言について「米軍、米国民を侮辱することにもつながる不適切な表現だった」と正式に撤回すると表明。「謝罪を米軍と米国民の皆さまが受け入れてくださいますことを願います」とわびた。
 だが県民や女性たちへの謝罪はついに聞かれなかった。米軍犯罪の防止を沖縄の風俗業に求める差別的な発想や女性を「モノ」として扱うような人権感覚に、今後も無自覚であり続けるのだろうか。
 「米軍の犯罪被害に苦しむ沖縄の問題を解決したいとの思いが強すぎて誤解を招いた」と、沖縄のためを思っての発言だったというが、苦しい弁明だ。「県民の基本的人権が尊重されるよう、米軍が実効性ある取り組みを開始することを切に望む」とも述べたが、大型連休中に来県した際、県などが長年求めている日米地位協定の抜本改定を「市民運動的」と酷評していたことを指摘しておきたい。
 一方、橋下氏は旧日本軍の従軍慰安婦制度は「必要だった」との発言は撤回せず、「真意と正反対の報道が世界中を駆け巡った」と説明。「一つのワードを抜き取られて報じられた」とマスコミ批判を展開したが、果たしてそうか。
 最初の発言は「精神的に高ぶっている猛者集団に慰安婦制度が必要なことは誰だって分かる」だ。翌日のツイッターには、自身に批判的な新聞も「発言を比較的正確に引用してくれた」と書き込んだが、非難が殺到すると態度を一変。「大誤報」「日本人の読解力不足」と責任を転嫁するさまは見苦しく、政治家としての資質さえ疑う。
 発言の修正を重ねて臨んだこの日の会見では「女性の尊厳と人権を普遍的価値として重視している」と最初とはまるで別人だったが、慰安婦に関しては、「利用」した日本は悪かったとしつつ、外国軍も同様のことを行ったと重ねて主張した。
 問題解決への向き合い方が問われている自身の責任は棚に上げ、「他も同じことをやっている」と反論を繰り返していることが、海外の日本批判をさらに強めていることにもいい加減気付くべきだ。


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