基地押し付けの論理だ 対話解決を放棄した国 新基地のために何でもありか 指弾されるべきは誰か
<各紙社説・主張>
以下引用
沖縄県の米軍普天間飛行場の 移設をめぐり、安倍政権と県が法廷闘争に入った。
政府は、 埋め立ての承認取り消しを撤回するよう県に指示したが、翁長雄志知事が拒否。そこで福岡高裁那覇支部に知事を したのだ。
1年前の知事選など一連の選挙で反対派が勝利し、 移設拒否の民意は明白である。そこから目をそらし、強引に移設を進めれば、沖縄県民に、日本国民に分断を生む。
沖縄の声になぜ耳を傾けないのか。不毛な政治のありようと言うほかない。
■二者択一を超える
改めて考える。 移設は安全保障上、唯一の選択肢か。
答えは、否である。
政府は「 が唯一の選択肢だ」と繰り返す。だが実際には、 しかないという安全保障上の理由はない。むしろ、米国との再調整や、関係自治体や住民との話し合いなど、代替策の検討に入った場合に生じる政治的な軋轢(あつれき)を避けようとする色彩が濃い。
辺野古移設か、普天間の固定化か――。その二者択一を超えて、政府と沖縄、そして米国が納得しうる「第三の道」を探るべきときだ。
まず大事なのは、軍事技術の進展や安全保障環境の変化に応じて、日本を含む西太平洋地域全体の安保戦略を描き直すことだ。米軍と自衛隊の役割・任務・能力を再検討しながら抑止力をどう維持、強化していくか。そのなかで、沖縄の基地をどう位置づけるかを日米両政府が議論する必要がある。
たとえば、知日派の米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は「中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱(ぜいじゃく)になった」と指摘している。中国に近い沖縄に米軍基地を集中させる発想は、かえって危ういという意見だ。
すでに米海兵隊は、ハワイやグアム、豪州、フィリピンへの巡回配備で対応を進めている。南シナ海での中国の海洋進出への対応を重視するなら、フィリピンなどに代替施設を造る選択肢もあり得るだろう。
■負担を分かち合う
そうした再検討のなかで、日本全体で安全保障の負担を分かち合うことも、いっそう真剣に検討する必要がある。
政府はこれまで、沖縄県外への機能移転を具体的に検討してきた。普天間の空中給油機部隊は岩国基地(山口県)に移ったし、新型輸送機オスプレイの佐賀空港への暫定移駐案が浮かんだこともある。
航続距離の長いオスプレイが、いつも沖縄にいる必然性はない。現実に訓練は本土でも行われている。
辺野古の代替施設が絶対に必要だとも言えない。横須賀基地(神奈川県)や三沢基地(青森県)の米海空軍を増強することにより、日本全体の抑止力が高まり、在沖縄海兵隊の削減につながるという指摘もある。
2011年には米上院のマケイン議員らが、沖縄・嘉手納基地の空軍の戦闘機部隊を三沢基地などに分散したうえで、普天間の海兵隊を嘉手納に移す案を示したことがある。
その後、仲井真弘多(ひろかず)前知事が辺野古の埋め立てを承認したため立ち消えになったが、日本全体や周辺を見渡せば、対案の組み合わせはほかにも考え得るだろう。当面は普天間の平時の運用停止を急ぎ、その代わり有事の際の使用は認める案もある。
■日本が決める問題
国土の0・6%の沖縄に、全国の73・8%もの米軍専用施設を押しつける異常事態を正すためにも、この際、日本政府として辺野古移設を白紙に戻す決断を求めたい。
そのことこそ、より説得力をもって「日本全体での負担の分担」を自治体や住民に働きかける力になるはずだ。
いまは「辺野古移設を支持する」と繰り返す米国の政策も、不変とは限らない。
来年11月に選ばれる米国の次期大統領が、違う選択肢を探る可能性もある。
実際、米国の駐日大使経験者からは柔軟な見方が相次ぐ。
19年前、橋本龍太郎首相と普天間返還を発表したモンデール氏は最近、沖縄の基地について「これは日本で決めるべき、日本の問題だ」と語った。前任のアマコスト氏も辺野古移設について「コストと便益を考えると見合わない。海兵隊基地の戦略的価値はどれほどあるのか」と疑問を投げかけている。
日本政府が辺野古に固執し続ければ、沖縄の民意はますます硬化し、結局、普天間の固定化による危険が続く可能性が大きい。周辺住民に支持されない基地に安定的な運用は望めず、長期的に見れば、日本の安保環境を損ねかねない。
まさに悪循環である。
辺野古をめぐる法廷闘争は、むしろ基地問題の解決を遠ざける。日米の政治の構想力と実行力が問われている。
沖縄の基地問題をめぐる国と県の対立は、法廷に持ち込まれる異例の事態となった。
米軍普天間飛行場の移設計画で、翁長雄志(おなが・たけし)知事が名護市辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対し、国は福岡高裁那覇支部に を起こした。国が知事に代わって取り消し処分を撤回する ができるよう求めている。本来は話し合いで解決すべき問題であり、法廷闘争に発展したのは極めて残念だ。
裁判では、前知事による埋め立て承認は適正だったのか、翁長知事が承認を取り消したのは適法か、といった行政手続きの適否が直接の争点になるだろう。だが、この裁判が真に問いかけているのは、国の基地政策そのものや、国と地方自治体の関係のあり方と言える。
国は、前知事による埋め立て承認に法的な瑕疵(かし)はなく、翁長知事による取り消し処分は違法と主張する。承認を取り消せば、普天間の危険除去ができず、米国との信頼に亀裂が生じるなど、公益を害すると言う。
県側は、前知事による承認には瑕疵があり、取り消しは適法と主張する。環境保全が不十分で、移設の必要性には根拠が乏しいとも言う。
国は安全保障という「公益」を強調し、沖縄は人権、地方自治、民主主義のあるべき姿を問いかける。その対立がこの問題の本質だろう。
翁長知事は、 を受けた記者会見で「基地を押し付ける政府の対応は、沖縄差別の表れだ」と述べた。
米軍基地問題で国と沖縄県が裁判で争うのは、1995年に米軍用地の強制使用の代理署名を拒んだ当時の大田昌秀知事を国が して以来だ。翌年、国が勝訴した。高裁判決まで3カ月半、上告棄却まで全体で8カ月半のスピード裁判だった。
今回、異なるのは、当時は国と地方が法的に上下関係にあったのに対し、2000年の地方分権改革により国と地方は対等・協力関係と位置づけられたことだ。
国と地方が対等になった現在の制度のもとでも、 は認められているが、例外的な措置だ。制度の趣旨に照らせば、まず国が対話解決の努力をし、万策が尽きて初めて、 が選択肢になり得るのではないか。
辺野古移設計画をめぐる安倍政権のやり方には、強引な姿勢がますます目立つようになっている。
国は とは別の行政手続きにより、すでに翁長知事による取り消し処分の執行を停止し、埋め立てに向けた本体工事にも着手している。
国と地方の意見が対立した場合、それを調整する政治の力量が試される。国による は、対話決着の放棄である。国の貧困な基地政策が見てとれる。
住民の思いは踏みにじられ、在日米軍基地の新設手続きが進む。国家権力で住民をねじ伏せるのは民主主義の正しい在り方とは言えず、憲法に定める法の下の平等や地方自治の本旨にも反する。
政府がきのう、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への「県内移設」計画をめぐり、翁長雄志知事を福岡高裁那覇支部に提訴した。埋め立て承認を取り消した知事の処分を、知事に代わって国が撤回する「 」に向けた である。
十二月二日に第一回口頭弁論が開かれ、政府側が勝訴すれば、埋め立てを進める、という。
政府が沖縄県知事を提訴するのは一九九五年、米軍用地強制使用の代理署名を拒んだ大田昌秀知事(当時)を、当時の村山富市首相が訴えて以来二十年ぶりである。国と県との異例の法廷闘争に、重大な危惧を抱かざるを得ない。
普天間飛行場の危険性除去は喫緊の課題だが、同時に、問題の根源が、狭い県土に在日米軍専用施設の約74%が集中し、県民に過重な を強いていることにあることを忘れてはならない。
米軍への基地提供を日本の義務とする日米安全保障条約体制が日本と極東の平和と安全に不可欠なら、その は日本国民ができる限り等しく負うべきである。
しかし、政府は沖縄県民の をほかの都道府県民と同等レベルにまで軽減するために、どこまで死力を尽くしたというのか。
根拠薄弱とも指摘される米海兵隊の抑止力を錦の御旗に、沖縄県内で基地を「たらい回し」するのは、政治の怠慢にほかならない。
翁長知事が埋め立て承認を取り消したのは、直近の国政、地方両方の選挙を通じて県内移設反対を示した沖縄県民の民意に基づく。
安全保障は国の責務だが、政府が国家権力を振りかざして一地域に過重な米軍 を強いるのは、民主主義の手続きを無視する傲慢(ごうまん)だ。憲法が保障する法の下の平等に反し、地方の運営は住民が行う、という、憲法に定める「地方自治の本旨」にもそぐわない。
地元住民や自治体の理解が得られず、基地が敵意で囲まれることになれば、基地提供という安保条約上の義務も円滑に果たせなくなるのではないか。
菅義偉官房長官はきのう記者会見で「わが国は法治国家」と提訴を正当化したが、法治国家だからこそ、最高法規である憲法を蔑(ないがし)ろにする安倍内閣の振る舞いを看過するわけにはいかない。
沖縄の米海兵隊普天間基地(宜野湾市)に代わる名護市辺野古の新基地建設問題で、翁長雄志知事が辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消したことについて、安倍晋三政権は、知事に代わって取り消し処分を撤回する「 」に向けた を福岡高裁那覇支部に起こしました。沖縄県をはじめ圧倒的多数の県民が反対している新基地建設をなにがなんでも押し付けるため、国家権力によって民主主義と地方自治を乱暴に踏みにじろうとする許し難い暴挙です。
国家権力の無法な乱用
昨年11月の知事選で圧勝した翁長知事は、仲井真弘多前知事の辺野古沿岸部の埋め立て承認について第三者委員会の検証結果を受け、今年10月に「取り消すべき瑕疵(かし)」があると結論付けました。普天間基地の辺野古「移設」に合理的な説明・根拠がないことや、自然環境・住民生活への大きな被害、沖縄の過重な の固定化などが理由です。知事の取り消し処分が適法かつ正当であることは言うまでもありません。
今回の提訴は、翁長知事の埋め立て承認取り消しを「違法」だとして撤回を求めた安倍政権の「是正勧告」や「是正指示」に知事が従わなかったからだというものです。しかし、知事の道理ある決定を覆し、新基地建設を強行するため、法制度の無法な乱用、悪用を重ねてきたのは安倍政権です。
その典型が、公権力による違法・不当な処分から国民の権利・利益を守ることを目的にした行政不服審査法の悪用です。
防衛省沖縄防衛局が一般の“私人”になりすまし、翁長知事による埋め立て承認取り消しの“被害者”を演じ、所管の国土交通相に知事の決定の不服審査請求と執行停止を申し立てました。しかし、辺野古新基地は日米両政府の合意に基づき米海兵隊基地キャンプ・シュワブとその沿岸部に最新鋭の強大な基地を建設するという沖縄防衛局による国の事業です。“私人”であるはずがありません。
国交相は沖縄防衛局の執行停止の申し立てを認めました。辺野古の新基地建設が「唯一の解決策」だという安倍政権の方針の下、防衛局の申し立てを受け内閣の一員である国交相が執行停止を決定するなどというのは極めて姑息(こそく)な“一人芝居”です。国民の権利・利益を守るための制度を国家権力が基地を押し付けるために使うなど法治国家にあるまじき行為です。
安倍政権がこんなやり方をとったのは、知事決定を執行停止しないで「代執行」の裁判に入っても、判決が出るまで新基地建設の工事を進めることはできないためです。“私人”を装った行政不服審査法の悪用で知事の取り消し決定を執行停止にして工事を続行できるようにし、それが可能になったとたん“私人”の仮面を脱ぎ捨て、今度は国家権力の正体をむき出しに、「代執行」の裁判を起こし翁長知事の権限を奪い去ろうとしているのです。理不尽の極みです。
新基地許さぬ声を全国で
安倍政権に沖縄を「違法」と訴える資格はありません。問われるべきは、民意を押しつぶし、民主主義と地方自治の破壊を推し進める安倍政権の強権・無法の姿勢です。新基地建設をきっぱり拒否している沖縄に連帯するたたかいを全国でさらに大きく広げようではありませんか。
いったい誰が誰を訴えるべきなのか。理非曲直を考えれば、本末転倒の感を否めない。
米軍普天間飛行場の移設先となる辺野古新基地問題で、翁長雄志知事の埋め立て承認取り消し処分は違法だとして政府は処分撤回へ向け代執行 を起こした。政府と沖縄県との対立はいよいよ法廷闘争の局面に入った。
それにしても政府が知事を訴えるとは噴飯物だ。行政不服審査法を恣意(しい)的に解釈して法の原則に反し、沖縄の選挙結果を無視して民主制にも背いたのは誰か。指弾されるべきはむしろ政府の方だ。
居直り
訴状で政府は、知事の承認取り消しによる不利益と取り消しをしないことによる不利益とを比較している。そして「航空機事故や騒音被害といった普天間飛行場周辺住民の生命・身体に対する重大な危険は現実化している」と強調し、辺野古移設を正当化する。
しかし1996年に米側が海兵隊の沖縄撤退を打診したのに対し、逆に日本政府が引き留めたという事実を、当時のモンデール駐日大使がつい先日証言したばかりだ。現在の辺野古新基地計画を決めた2005年の在日米軍再編交渉の際も、米側が海兵隊の九州や関東への移転を打診しても日本政府の方が取り合わなかった事実を、米側当事者が証言している。
そして深夜・未明の飛行禁止を定めた嘉手納・普天間両基地の騒音防止協定を結んだ後も、未明の爆音発生を許容し続け、抗議一つしなかったのも日本政府だ。前知事との約束である「普天間基地の5年内運用停止」を米側に持ち掛けてすらいないのも政府である。
それなのに飛行機事故で沖縄の人の生命が失われるのを心配していると言うのである。沖縄の騒音被害を危ぶんでいると言うのである。片腹痛いとはこのことだ。
訴状はさらに、移設作業が中断すれば「日米の信頼関係が崩壊しかねず、外交などに計り知れない不利益」と主張する。だが当の米国のエレンライク在沖総領事は移設計画が滞っても「(日米関係に)影響は全くない」と述べている。政府の主張は言ったそばから否定されているのだ。
その上、既に工事で473億円も支払ったから、承認が取り消されれば「全くの無駄金」とも主張する。工事の中止要求を無視していたずらに税金を投じてきたのはいったい誰か。居直るのもたいがいにしてもらいたい。
目に入らぬ被害
一方で訴状は「承認を取り消さないことによる不利益」も考慮に入れる。だがそれを辺野古周辺の騒音被害と環境問題に限定する。沖縄全体がさらされる墜落や爆音の被害、基地がなければ存在しない米兵による事件の被害も、政府の目には見えないようだ。
新基地は米国防総省の報告書で耐用年数200年と想定する。埋め立てなので国有地である。沖縄が手出しできない基地が半永久的に存在していくのだ。これが巨大な不利益でなくて何であろう。
そもそもこの両方向の「不利益」は、沖縄の基地負担軽減に照らしてどちらが不利益かという観点が主である。それなら判定する主体は沖縄であるべきだ。そうであれば、結果はもうはっきり出ている。県民は再三再四、選挙でこれ以上ないほど明瞭に新基地は不要と判定しているのである。
政府は行政不服審査法に基づく承認取り消し執行停止の際は「私人」となり、今回の は国として提訴した。都合よく立場を使い分けるのは、多くの行政法学者が指摘するように違法であろう。翁長知事が会見で述べた通り、県が政府に「違法と決めつけられるいわれはない」のである。
このように政府の主張は矛盾、自家撞着(どうちゃく)、非合理で埋め尽くされている。大手メディアは政府の勝訴間違いなしと報じるが、果たしてそうか。裁判所が論理的に判断すれば、少なくとも政府の主張の矛盾は見抜けるのではないか。
政府は訴状の結論で「瑕疵(かし)があるか否かにかかわらず」、翁長雄志知事が「承認処分を取り消すことは許されない」とまで言い切っている。
驚くばかりの強圧的な発言だ。基地建設については黙って従え、とでも言うのだろうか。翁長知事は政府のそういった姿勢を繰り返し問題にしてきたのである。
名護市辺野古の新基地建設をめぐり、翁長知事が埋め立て承認を取り消したことに対し、石井啓一国土交通相は知事の承認取り消し処分を取り消すための代執行を求め、福岡高裁那覇支部に提訴した。
翁長知事は、国交相による勧告、指示の手続きをいずれも拒否。政府が県を訴える法廷闘争に発展した。
訴状で政府は処分の取り消しによって生じる不利益について「普天間飛行場の周辺住民の生命・身体の危険除去ができなくなる」と主張する。
だが、本来、普天間の危険性除去と辺野古新基地建設は別問題だ。実際には辺野古への固執が普天間の危険性除去を遅らせているのである。仲井真弘多前知事も、在任中に指摘していたことだ。
埋め立て承認した仲井真前知事の事実上の条件だった普天間の5年以内の運用停止も具体的な動きはなく、政府は「辺野古が唯一の選択肢」と繰り返すばかりである。
■ ■
訴状は「公有水面埋立法に基づいて一定範囲の権限を与えられたにすぎない知事が米軍基地の配置場所など国防や外交に関する事項について、その適否を審査したり、判断する権限はないことは明らかである」と主張するが、ピントがずれている。
知事は軍事施設の適否の審査をしているのではない。公有水面埋立法に基づき、埋め立てが妥当かどうかを判断するのは知事の権限であり、埋め立て承認の取り消しも知事の権限の範囲内の行為だ。
軍事施設といえども地元の自治体や住民の意向を無視して一方的に建設できるわけではない。これまた民主国家では自明な話である。
日米地位協定の研究で知られる故本間浩さんは指摘する。「沖縄住民の意思の届かない仕組みの下に沖縄の軍事的利用が決定され、その軍事的利用による地域住民への負担だけが、沖縄住民に被せられている」と。
翁長知事が問題にしているのもまさにそこである。
米軍は沖縄戦さなかから基地建設を始めた。戦後70年も基地の重圧に苦しんできた沖縄に普天間返還のためとはいえ、新基地を建設するのはあまりにも理不尽な政策だ。
訴状は住民の視線を徹頭徹尾欠いている。翁長知事が「沖縄を領土としか見ていない」と言ったことをほとんど理解していない。
訴状はさらに、取り消しによって日米両国の信頼関係に亀裂が入り、計り知れない不利益が生じるという。
普天間返還を要請したのは県だが、県内移設を地元の頭越しに決めたのは日米両政府だ。1996年の合意以来、県へ事前相談もなく方針をクルクル一方的に変え県民や名護市民を振り回してきたのが日米両政府である。
沖縄に基地を集中させることの脆(ぜい)弱(じゃく)性は米政府関係者からも指摘が相次いでいる。
■ ■
納得できないのは、辺野古周辺住民の騒音被害や自然環境への影響を過小評価していることだ。訴状では「国による十分な配慮がされており、その不利益は存在するにしても極めて小さい」と言っている。なぜそのようなことを政府が勝手に判断するのか。
埋め立て予定海域は県の「自然環境の保全に関する指針」で、「自然環境の厳正な保護を図る区域」としてランク1と評価されている。
県は仲井真前知事時代に「承認申請書に示された環境保全措置では不明な点があり、周辺の生活環境や自然環境の保全についての懸念が払(ふっ)拭(しょく)できない」(環境生活部長意見)と指摘していた。
環境保全措置で政府は「必要に応じて専門家の指導・助言を得て必要な措置を講じる」と表明しているが、担保は何もない。
訴状からは、巨大な軍事基地を建設するのに環境への多少の影響はやむを得ないとの本音すら感じられる。
国と県が基地問題をめぐって再び、法廷で争う。他県ではおよそ考えられない異常な事態である。
名護市辺野古の新基地建設で、翁長雄志知事が埋め立て承認を取り消したことに対し、政府は17日、知事の取り消し処分を取り消すための代執行を求め、福岡高裁那覇支部に提訴する。
「承認の取り消しを放置すれば、著しく公益を害する」というのが提訴の理由だ。
未契約米軍用地の強制使用問題で土地調書・物件調書への署名押印を拒否した大田昌秀知事に対し、村山富市首相が職務執行命令訴訟を提起したのは1995年12月のことである。あれから20年。基地問題をめぐって国が県を訴えるという基本的な構図は、今回も変わらない。
なぜ、このような事態が沖縄で相次ぐのか。
本来、復帰の際に処理すべきであった基地をめぐる諸問題が、復帰後も未解決のまま残った。「本土並み」という言葉は、こと基地政策に関して言えば、言葉のまやかしであった。
裁かれるべきは国の理不尽な基地政策である。
■ ■
復帰の際、政府は安保条約と地位協定が沖縄にも適用されることを強調し、「本土並み」の返還だと喧伝(けんでん)した。事実上の軍事植民地といわれた沖縄には確かに、安保も地位協定も適用されていなかった。
だが、ここには県民さえ気づかない大きな「落とし穴」があった。米国が返還交渉で最後まで求め続けたのは、復帰前と同じ「基地の自由使用」であった。
政府は米側の要求を受け入れた。あの膨大な基地群が復帰後も維持され、部隊の運用や基地の排他的管理、事件事故の処理など、あらゆる局面で地位協定が適用されることになった。
このことは、復帰によって獲得したはずの憲法と国内法に基づく主権が、地位協定に阻まれ、著しい制約を受けることを意味する。
地位協定と関連取り決めの束が、どれほど憲法・国内法をがんじがらめにし、地方自治や特に女性の人権を脅かしてきたか。本土からはその実相が見えにくい。
米兵による暴行事件や沖縄国際大学へのヘリ墜落事故などが起きたとき、米軍優先の屈辱的な日米合意が白日の下にさらされ、県民の激しい反発を招いた。
政府は今も、米国に対して卑屈なほど従属的である。
主権を回復したはずの日本政府にとって、この現実は国民に見せたくない「不都合な真実」だ。不意の来客にあわてて、汚れ物を押し入れに隠すように、基地を沖縄に押し込め、「不都合な真実」を見えにくくしているのである。 だが、このような理不尽な基地政策はもう限界だ。
■ ■
政府は、契約に応じない地主の土地を復帰後も継続して使用するため、復帰前年の71年、公用地暫定使用法を制定した。返還を求める地主の主張は受け入れられず、未契約地の5年の強制使用が認められたのである。
沖縄だけに適用される法律であるにもかかわらず、憲法で定められた住民投票は実施されなかった。
5年後の77年になっても多くの未契約地主が残ったため、政府は沖縄の地籍明確化と未契約地の強制使用を抱き合わせた「木に竹をついだ」ような地籍確定法案を国会に提出した。
同法案は公用地法の期限が切れる5月15日になっても成立せず、18日に可決されるまでの間、「法的な空白」が生じてしまった。
大田元知事が代理署名を拒否したときも、強制使用の裁決手続きが間に合わず、読谷村の楚辺通信所(象のオリ)で不法占拠状態が起きている。
政府のなりふり構わない基地維持政策は、安倍政権になって一気にエスカレートしてきた。行政不服審査制度の乱用に象徴される法制度の強引な解釈。警視庁機動隊の投入に象徴される辺野古現地での強権的な警備。政府は一体、いつまで理不尽な基地政策を続けるつもりか。
工事を強行すれば公益は著しく損なわれるだろう。
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<各紙社説・主張>
以下引用
朝日新聞 2015年11月18日05時00分
(社説)政権、 を 「第三の道」を探るとき
沖縄県の米軍普天間飛行場の 移設をめぐり、安倍政権と県が法廷闘争に入った。
政府は、 埋め立ての承認取り消しを撤回するよう県に指示したが、翁長雄志知事が拒否。そこで福岡高裁那覇支部に知事を したのだ。
1年前の知事選など一連の選挙で反対派が勝利し、 移設拒否の民意は明白である。そこから目をそらし、強引に移設を進めれば、沖縄県民に、日本国民に分断を生む。
沖縄の声になぜ耳を傾けないのか。不毛な政治のありようと言うほかない。
■二者択一を超える
改めて考える。 移設は安全保障上、唯一の選択肢か。
答えは、否である。
政府は「 が唯一の選択肢だ」と繰り返す。だが実際には、 しかないという安全保障上の理由はない。むしろ、米国との再調整や、関係自治体や住民との話し合いなど、代替策の検討に入った場合に生じる政治的な軋轢(あつれき)を避けようとする色彩が濃い。
辺野古移設か、普天間の固定化か――。その二者択一を超えて、政府と沖縄、そして米国が納得しうる「第三の道」を探るべきときだ。
まず大事なのは、軍事技術の進展や安全保障環境の変化に応じて、日本を含む西太平洋地域全体の安保戦略を描き直すことだ。米軍と自衛隊の役割・任務・能力を再検討しながら抑止力をどう維持、強化していくか。そのなかで、沖縄の基地をどう位置づけるかを日米両政府が議論する必要がある。
たとえば、知日派の米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は「中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱(ぜいじゃく)になった」と指摘している。中国に近い沖縄に米軍基地を集中させる発想は、かえって危ういという意見だ。
すでに米海兵隊は、ハワイやグアム、豪州、フィリピンへの巡回配備で対応を進めている。南シナ海での中国の海洋進出への対応を重視するなら、フィリピンなどに代替施設を造る選択肢もあり得るだろう。
■負担を分かち合う
そうした再検討のなかで、日本全体で安全保障の負担を分かち合うことも、いっそう真剣に検討する必要がある。
政府はこれまで、沖縄県外への機能移転を具体的に検討してきた。普天間の空中給油機部隊は岩国基地(山口県)に移ったし、新型輸送機オスプレイの佐賀空港への暫定移駐案が浮かんだこともある。
航続距離の長いオスプレイが、いつも沖縄にいる必然性はない。現実に訓練は本土でも行われている。
辺野古の代替施設が絶対に必要だとも言えない。横須賀基地(神奈川県)や三沢基地(青森県)の米海空軍を増強することにより、日本全体の抑止力が高まり、在沖縄海兵隊の削減につながるという指摘もある。
2011年には米上院のマケイン議員らが、沖縄・嘉手納基地の空軍の戦闘機部隊を三沢基地などに分散したうえで、普天間の海兵隊を嘉手納に移す案を示したことがある。
その後、仲井真弘多(ひろかず)前知事が辺野古の埋め立てを承認したため立ち消えになったが、日本全体や周辺を見渡せば、対案の組み合わせはほかにも考え得るだろう。当面は普天間の平時の運用停止を急ぎ、その代わり有事の際の使用は認める案もある。
■日本が決める問題
国土の0・6%の沖縄に、全国の73・8%もの米軍専用施設を押しつける異常事態を正すためにも、この際、日本政府として辺野古移設を白紙に戻す決断を求めたい。
そのことこそ、より説得力をもって「日本全体での負担の分担」を自治体や住民に働きかける力になるはずだ。
いまは「辺野古移設を支持する」と繰り返す米国の政策も、不変とは限らない。
来年11月に選ばれる米国の次期大統領が、違う選択肢を探る可能性もある。
実際、米国の駐日大使経験者からは柔軟な見方が相次ぐ。
19年前、橋本龍太郎首相と普天間返還を発表したモンデール氏は最近、沖縄の基地について「これは日本で決めるべき、日本の問題だ」と語った。前任のアマコスト氏も辺野古移設について「コストと便益を考えると見合わない。海兵隊基地の戦略的価値はどれほどあるのか」と疑問を投げかけている。
日本政府が辺野古に固執し続ければ、沖縄の民意はますます硬化し、結局、普天間の固定化による危険が続く可能性が大きい。周辺住民に支持されない基地に安定的な運用は望めず、長期的に見れば、日本の安保環境を損ねかねない。
まさに悪循環である。
辺野古をめぐる法廷闘争は、むしろ基地問題の解決を遠ざける。日米の政治の構想力と実行力が問われている。
毎日新聞 2015年11月18日 02時34分
社説:辺野古で 対話解決を放棄した国
沖縄の基地問題をめぐる国と県の対立は、法廷に持ち込まれる異例の事態となった。
米軍普天間飛行場の移設計画で、翁長雄志(おなが・たけし)知事が名護市辺野古の埋め立て承認を取り消したことに対し、国は福岡高裁那覇支部に を起こした。国が知事に代わって取り消し処分を撤回する ができるよう求めている。本来は話し合いで解決すべき問題であり、法廷闘争に発展したのは極めて残念だ。
裁判では、前知事による埋め立て承認は適正だったのか、翁長知事が承認を取り消したのは適法か、といった行政手続きの適否が直接の争点になるだろう。だが、この裁判が真に問いかけているのは、国の基地政策そのものや、国と地方自治体の関係のあり方と言える。
国は、前知事による埋め立て承認に法的な瑕疵(かし)はなく、翁長知事による取り消し処分は違法と主張する。承認を取り消せば、普天間の危険除去ができず、米国との信頼に亀裂が生じるなど、公益を害すると言う。
県側は、前知事による承認には瑕疵があり、取り消しは適法と主張する。環境保全が不十分で、移設の必要性には根拠が乏しいとも言う。
国は安全保障という「公益」を強調し、沖縄は人権、地方自治、民主主義のあるべき姿を問いかける。その対立がこの問題の本質だろう。
翁長知事は、 を受けた記者会見で「基地を押し付ける政府の対応は、沖縄差別の表れだ」と述べた。
米軍基地問題で国と沖縄県が裁判で争うのは、1995年に米軍用地の強制使用の代理署名を拒んだ当時の大田昌秀知事を国が して以来だ。翌年、国が勝訴した。高裁判決まで3カ月半、上告棄却まで全体で8カ月半のスピード裁判だった。
今回、異なるのは、当時は国と地方が法的に上下関係にあったのに対し、2000年の地方分権改革により国と地方は対等・協力関係と位置づけられたことだ。
国と地方が対等になった現在の制度のもとでも、 は認められているが、例外的な措置だ。制度の趣旨に照らせば、まず国が対話解決の努力をし、万策が尽きて初めて、 が選択肢になり得るのではないか。
辺野古移設計画をめぐる安倍政権のやり方には、強引な姿勢がますます目立つようになっている。
国は とは別の行政手続きにより、すでに翁長知事による取り消し処分の執行を停止し、埋め立てに向けた本体工事にも着手している。
国と地方の意見が対立した場合、それを調整する政治の力量が試される。国による は、対話決着の放棄である。国の貧困な基地政策が見てとれる。
東京新聞 2015年11月18日
【社説】 を提訴 を強いる傲慢
住民の思いは踏みにじられ、在日米軍基地の新設手続きが進む。国家権力で住民をねじ伏せるのは民主主義の正しい在り方とは言えず、憲法に定める法の下の平等や地方自治の本旨にも反する。
政府がきのう、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への「県内移設」計画をめぐり、翁長雄志知事を福岡高裁那覇支部に提訴した。埋め立て承認を取り消した知事の処分を、知事に代わって国が撤回する「 」に向けた である。
十二月二日に第一回口頭弁論が開かれ、政府側が勝訴すれば、埋め立てを進める、という。
政府が沖縄県知事を提訴するのは一九九五年、米軍用地強制使用の代理署名を拒んだ大田昌秀知事(当時)を、当時の村山富市首相が訴えて以来二十年ぶりである。国と県との異例の法廷闘争に、重大な危惧を抱かざるを得ない。
普天間飛行場の危険性除去は喫緊の課題だが、同時に、問題の根源が、狭い県土に在日米軍専用施設の約74%が集中し、県民に過重な を強いていることにあることを忘れてはならない。
米軍への基地提供を日本の義務とする日米安全保障条約体制が日本と極東の平和と安全に不可欠なら、その は日本国民ができる限り等しく負うべきである。
しかし、政府は沖縄県民の をほかの都道府県民と同等レベルにまで軽減するために、どこまで死力を尽くしたというのか。
根拠薄弱とも指摘される米海兵隊の抑止力を錦の御旗に、沖縄県内で基地を「たらい回し」するのは、政治の怠慢にほかならない。
翁長知事が埋め立て承認を取り消したのは、直近の国政、地方両方の選挙を通じて県内移設反対を示した沖縄県民の民意に基づく。
安全保障は国の責務だが、政府が国家権力を振りかざして一地域に過重な米軍 を強いるのは、民主主義の手続きを無視する傲慢(ごうまん)だ。憲法が保障する法の下の平等に反し、地方の運営は住民が行う、という、憲法に定める「地方自治の本旨」にもそぐわない。
地元住民や自治体の理解が得られず、基地が敵意で囲まれることになれば、基地提供という安保条約上の義務も円滑に果たせなくなるのではないか。
菅義偉官房長官はきのう記者会見で「わが国は法治国家」と提訴を正当化したが、法治国家だからこそ、最高法規である憲法を蔑(ないがし)ろにする安倍内閣の振る舞いを看過するわけにはいかない。
しんぶん赤旗 2015年11月18日(水)
主張:政府の沖縄県提訴 新基地のために何でもありか
沖縄の米海兵隊普天間基地(宜野湾市)に代わる名護市辺野古の新基地建設問題で、翁長雄志知事が辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消したことについて、安倍晋三政権は、知事に代わって取り消し処分を撤回する「 」に向けた を福岡高裁那覇支部に起こしました。沖縄県をはじめ圧倒的多数の県民が反対している新基地建設をなにがなんでも押し付けるため、国家権力によって民主主義と地方自治を乱暴に踏みにじろうとする許し難い暴挙です。
国家権力の無法な乱用
昨年11月の知事選で圧勝した翁長知事は、仲井真弘多前知事の辺野古沿岸部の埋め立て承認について第三者委員会の検証結果を受け、今年10月に「取り消すべき瑕疵(かし)」があると結論付けました。普天間基地の辺野古「移設」に合理的な説明・根拠がないことや、自然環境・住民生活への大きな被害、沖縄の過重な の固定化などが理由です。知事の取り消し処分が適法かつ正当であることは言うまでもありません。
今回の提訴は、翁長知事の埋め立て承認取り消しを「違法」だとして撤回を求めた安倍政権の「是正勧告」や「是正指示」に知事が従わなかったからだというものです。しかし、知事の道理ある決定を覆し、新基地建設を強行するため、法制度の無法な乱用、悪用を重ねてきたのは安倍政権です。
その典型が、公権力による違法・不当な処分から国民の権利・利益を守ることを目的にした行政不服審査法の悪用です。
防衛省沖縄防衛局が一般の“私人”になりすまし、翁長知事による埋め立て承認取り消しの“被害者”を演じ、所管の国土交通相に知事の決定の不服審査請求と執行停止を申し立てました。しかし、辺野古新基地は日米両政府の合意に基づき米海兵隊基地キャンプ・シュワブとその沿岸部に最新鋭の強大な基地を建設するという沖縄防衛局による国の事業です。“私人”であるはずがありません。
国交相は沖縄防衛局の執行停止の申し立てを認めました。辺野古の新基地建設が「唯一の解決策」だという安倍政権の方針の下、防衛局の申し立てを受け内閣の一員である国交相が執行停止を決定するなどというのは極めて姑息(こそく)な“一人芝居”です。国民の権利・利益を守るための制度を国家権力が基地を押し付けるために使うなど法治国家にあるまじき行為です。
安倍政権がこんなやり方をとったのは、知事決定を執行停止しないで「代執行」の裁判に入っても、判決が出るまで新基地建設の工事を進めることはできないためです。“私人”を装った行政不服審査法の悪用で知事の取り消し決定を執行停止にして工事を続行できるようにし、それが可能になったとたん“私人”の仮面を脱ぎ捨て、今度は国家権力の正体をむき出しに、「代執行」の裁判を起こし翁長知事の権限を奪い去ろうとしているのです。理不尽の極みです。
新基地許さぬ声を全国で
安倍政権に沖縄を「違法」と訴える資格はありません。問われるべきは、民意を押しつぶし、民主主義と地方自治の破壊を推し進める安倍政権の強権・無法の姿勢です。新基地建設をきっぱり拒否している沖縄に連帯するたたかいを全国でさらに大きく広げようではありませんか。
琉球新報 2015年11月18日 06:01
<社説>代執行提訴 指弾されるべきは誰か 片腹痛い政府の主張
いったい誰が誰を訴えるべきなのか。理非曲直を考えれば、本末転倒の感を否めない。
米軍普天間飛行場の移設先となる辺野古新基地問題で、翁長雄志知事の埋め立て承認取り消し処分は違法だとして政府は処分撤回へ向け代執行 を起こした。政府と沖縄県との対立はいよいよ法廷闘争の局面に入った。
それにしても政府が知事を訴えるとは噴飯物だ。行政不服審査法を恣意(しい)的に解釈して法の原則に反し、沖縄の選挙結果を無視して民主制にも背いたのは誰か。指弾されるべきはむしろ政府の方だ。
居直り
訴状で政府は、知事の承認取り消しによる不利益と取り消しをしないことによる不利益とを比較している。そして「航空機事故や騒音被害といった普天間飛行場周辺住民の生命・身体に対する重大な危険は現実化している」と強調し、辺野古移設を正当化する。
しかし1996年に米側が海兵隊の沖縄撤退を打診したのに対し、逆に日本政府が引き留めたという事実を、当時のモンデール駐日大使がつい先日証言したばかりだ。現在の辺野古新基地計画を決めた2005年の在日米軍再編交渉の際も、米側が海兵隊の九州や関東への移転を打診しても日本政府の方が取り合わなかった事実を、米側当事者が証言している。
そして深夜・未明の飛行禁止を定めた嘉手納・普天間両基地の騒音防止協定を結んだ後も、未明の爆音発生を許容し続け、抗議一つしなかったのも日本政府だ。前知事との約束である「普天間基地の5年内運用停止」を米側に持ち掛けてすらいないのも政府である。
それなのに飛行機事故で沖縄の人の生命が失われるのを心配していると言うのである。沖縄の騒音被害を危ぶんでいると言うのである。片腹痛いとはこのことだ。
訴状はさらに、移設作業が中断すれば「日米の信頼関係が崩壊しかねず、外交などに計り知れない不利益」と主張する。だが当の米国のエレンライク在沖総領事は移設計画が滞っても「(日米関係に)影響は全くない」と述べている。政府の主張は言ったそばから否定されているのだ。
その上、既に工事で473億円も支払ったから、承認が取り消されれば「全くの無駄金」とも主張する。工事の中止要求を無視していたずらに税金を投じてきたのはいったい誰か。居直るのもたいがいにしてもらいたい。
目に入らぬ被害
一方で訴状は「承認を取り消さないことによる不利益」も考慮に入れる。だがそれを辺野古周辺の騒音被害と環境問題に限定する。沖縄全体がさらされる墜落や爆音の被害、基地がなければ存在しない米兵による事件の被害も、政府の目には見えないようだ。
新基地は米国防総省の報告書で耐用年数200年と想定する。埋め立てなので国有地である。沖縄が手出しできない基地が半永久的に存在していくのだ。これが巨大な不利益でなくて何であろう。
そもそもこの両方向の「不利益」は、沖縄の基地負担軽減に照らしてどちらが不利益かという観点が主である。それなら判定する主体は沖縄であるべきだ。そうであれば、結果はもうはっきり出ている。県民は再三再四、選挙でこれ以上ないほど明瞭に新基地は不要と判定しているのである。
政府は行政不服審査法に基づく承認取り消し執行停止の際は「私人」となり、今回の は国として提訴した。都合よく立場を使い分けるのは、多くの行政法学者が指摘するように違法であろう。翁長知事が会見で述べた通り、県が政府に「違法と決めつけられるいわれはない」のである。
このように政府の主張は矛盾、自家撞着(どうちゃく)、非合理で埋め尽くされている。大手メディアは政府の勝訴間違いなしと報じるが、果たしてそうか。裁判所が論理的に判断すれば、少なくとも政府の主張の矛盾は見抜けるのではないか。
沖縄タイムス 2015年11月18日 05:30
社説:[辺野古代執行 ]基地押し付けの論理だ
政府は訴状の結論で「瑕疵(かし)があるか否かにかかわらず」、翁長雄志知事が「承認処分を取り消すことは許されない」とまで言い切っている。
驚くばかりの強圧的な発言だ。基地建設については黙って従え、とでも言うのだろうか。翁長知事は政府のそういった姿勢を繰り返し問題にしてきたのである。
名護市辺野古の新基地建設をめぐり、翁長知事が埋め立て承認を取り消したことに対し、石井啓一国土交通相は知事の承認取り消し処分を取り消すための代執行を求め、福岡高裁那覇支部に提訴した。
翁長知事は、国交相による勧告、指示の手続きをいずれも拒否。政府が県を訴える法廷闘争に発展した。
訴状で政府は処分の取り消しによって生じる不利益について「普天間飛行場の周辺住民の生命・身体の危険除去ができなくなる」と主張する。
だが、本来、普天間の危険性除去と辺野古新基地建設は別問題だ。実際には辺野古への固執が普天間の危険性除去を遅らせているのである。仲井真弘多前知事も、在任中に指摘していたことだ。
埋め立て承認した仲井真前知事の事実上の条件だった普天間の5年以内の運用停止も具体的な動きはなく、政府は「辺野古が唯一の選択肢」と繰り返すばかりである。
■ ■
訴状は「公有水面埋立法に基づいて一定範囲の権限を与えられたにすぎない知事が米軍基地の配置場所など国防や外交に関する事項について、その適否を審査したり、判断する権限はないことは明らかである」と主張するが、ピントがずれている。
知事は軍事施設の適否の審査をしているのではない。公有水面埋立法に基づき、埋め立てが妥当かどうかを判断するのは知事の権限であり、埋め立て承認の取り消しも知事の権限の範囲内の行為だ。
軍事施設といえども地元の自治体や住民の意向を無視して一方的に建設できるわけではない。これまた民主国家では自明な話である。
日米地位協定の研究で知られる故本間浩さんは指摘する。「沖縄住民の意思の届かない仕組みの下に沖縄の軍事的利用が決定され、その軍事的利用による地域住民への負担だけが、沖縄住民に被せられている」と。
翁長知事が問題にしているのもまさにそこである。
米軍は沖縄戦さなかから基地建設を始めた。戦後70年も基地の重圧に苦しんできた沖縄に普天間返還のためとはいえ、新基地を建設するのはあまりにも理不尽な政策だ。
訴状は住民の視線を徹頭徹尾欠いている。翁長知事が「沖縄を領土としか見ていない」と言ったことをほとんど理解していない。
訴状はさらに、取り消しによって日米両国の信頼関係に亀裂が入り、計り知れない不利益が生じるという。
普天間返還を要請したのは県だが、県内移設を地元の頭越しに決めたのは日米両政府だ。1996年の合意以来、県へ事前相談もなく方針をクルクル一方的に変え県民や名護市民を振り回してきたのが日米両政府である。
沖縄に基地を集中させることの脆(ぜい)弱(じゃく)性は米政府関係者からも指摘が相次いでいる。
■ ■
納得できないのは、辺野古周辺住民の騒音被害や自然環境への影響を過小評価していることだ。訴状では「国による十分な配慮がされており、その不利益は存在するにしても極めて小さい」と言っている。なぜそのようなことを政府が勝手に判断するのか。
埋め立て予定海域は県の「自然環境の保全に関する指針」で、「自然環境の厳正な保護を図る区域」としてランク1と評価されている。
県は仲井真前知事時代に「承認申請書に示された環境保全措置では不明な点があり、周辺の生活環境や自然環境の保全についての懸念が払(ふっ)拭(しょく)できない」(環境生活部長意見)と指摘していた。
環境保全措置で政府は「必要に応じて専門家の指導・助言を得て必要な措置を講じる」と表明しているが、担保は何もない。
訴状からは、巨大な軍事基地を建設するのに環境への多少の影響はやむを得ないとの本音すら感じられる。
沖縄タイムス 2015年11月17日 05:30
社説:[国、きょう県を提訴]裁くべきは基地政策だ
国と県が基地問題をめぐって再び、法廷で争う。他県ではおよそ考えられない異常な事態である。
名護市辺野古の新基地建設で、翁長雄志知事が埋め立て承認を取り消したことに対し、政府は17日、知事の取り消し処分を取り消すための代執行を求め、福岡高裁那覇支部に提訴する。
「承認の取り消しを放置すれば、著しく公益を害する」というのが提訴の理由だ。
未契約米軍用地の強制使用問題で土地調書・物件調書への署名押印を拒否した大田昌秀知事に対し、村山富市首相が職務執行命令訴訟を提起したのは1995年12月のことである。あれから20年。基地問題をめぐって国が県を訴えるという基本的な構図は、今回も変わらない。
なぜ、このような事態が沖縄で相次ぐのか。
本来、復帰の際に処理すべきであった基地をめぐる諸問題が、復帰後も未解決のまま残った。「本土並み」という言葉は、こと基地政策に関して言えば、言葉のまやかしであった。
裁かれるべきは国の理不尽な基地政策である。
■ ■
復帰の際、政府は安保条約と地位協定が沖縄にも適用されることを強調し、「本土並み」の返還だと喧伝(けんでん)した。事実上の軍事植民地といわれた沖縄には確かに、安保も地位協定も適用されていなかった。
だが、ここには県民さえ気づかない大きな「落とし穴」があった。米国が返還交渉で最後まで求め続けたのは、復帰前と同じ「基地の自由使用」であった。
政府は米側の要求を受け入れた。あの膨大な基地群が復帰後も維持され、部隊の運用や基地の排他的管理、事件事故の処理など、あらゆる局面で地位協定が適用されることになった。
このことは、復帰によって獲得したはずの憲法と国内法に基づく主権が、地位協定に阻まれ、著しい制約を受けることを意味する。
地位協定と関連取り決めの束が、どれほど憲法・国内法をがんじがらめにし、地方自治や特に女性の人権を脅かしてきたか。本土からはその実相が見えにくい。
米兵による暴行事件や沖縄国際大学へのヘリ墜落事故などが起きたとき、米軍優先の屈辱的な日米合意が白日の下にさらされ、県民の激しい反発を招いた。
政府は今も、米国に対して卑屈なほど従属的である。
主権を回復したはずの日本政府にとって、この現実は国民に見せたくない「不都合な真実」だ。不意の来客にあわてて、汚れ物を押し入れに隠すように、基地を沖縄に押し込め、「不都合な真実」を見えにくくしているのである。 だが、このような理不尽な基地政策はもう限界だ。
■ ■
政府は、契約に応じない地主の土地を復帰後も継続して使用するため、復帰前年の71年、公用地暫定使用法を制定した。返還を求める地主の主張は受け入れられず、未契約地の5年の強制使用が認められたのである。
沖縄だけに適用される法律であるにもかかわらず、憲法で定められた住民投票は実施されなかった。
5年後の77年になっても多くの未契約地主が残ったため、政府は沖縄の地籍明確化と未契約地の強制使用を抱き合わせた「木に竹をついだ」ような地籍確定法案を国会に提出した。
同法案は公用地法の期限が切れる5月15日になっても成立せず、18日に可決されるまでの間、「法的な空白」が生じてしまった。
大田元知事が代理署名を拒否したときも、強制使用の裁決手続きが間に合わず、読谷村の楚辺通信所(象のオリ)で不法占拠状態が起きている。
政府のなりふり構わない基地維持政策は、安倍政権になって一気にエスカレートしてきた。行政不服審査制度の乱用に象徴される法制度の強引な解釈。警視庁機動隊の投入に象徴される辺野古現地での強権的な警備。政府は一体、いつまで理不尽な基地政策を続けるつもりか。
工事を強行すれば公益は著しく損なわれるだろう。
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