道遠い「本土」との平等 「 」県民の手に の進路、自ら決める 脅かされる と
<各紙社説>
以下引用
戦後、米軍政下におかれた が日本に復帰して15日で44年を迎えた。だが は真に「復帰した」と言えるだろうか。
労組や市民団体が集まる「5・15平和行進」に初参加した大阪府の男性(42)は前日、米軍普天間飛行場の移設先、名護市 の米軍キャンプ・シュワブを訪れた。船で埋め立て予定地を視察していると、 防衛局の警備船から立ち入り禁止区域に近づかぬよう警告された。
近くで米軍関係者がカヌーをこいでいたが、彼には何も言わない。「ここは日本じゃないのか」。男性はそう実感した。
米海兵隊は1950年代、山梨や岐阜に駐留していたが、本土の基地反対運動が高まるなかで、米軍政下の へ移った。キャンプ・シュワブもそのころできた基地の一つだ。
復帰直後、全国土面積の0・6%しかない に、米軍専用施設の59%が集中していた。だがいま、その割合は75%近くにまで高まっている。本土の基地が大幅に減る一方で、沖縄の基地の減り方はそれだけ鈍い。
2014年に普天間飛行場の空中給油機を米軍岩国基地(山口県)に移駐したなどの実績もあるが、沖縄県外への基地移転計画は近年も頓挫している。
10年に民主党政権が打ち出した普天間飛行場の鹿児島県徳之島への移設案、15年の米軍オスプレイの佐賀空港暫定移駐案と、政府はともに本土の移設・移駐先の反対で断念した。
政府の対応には本土と沖縄で落差もある。97年、米軍の実弾射撃訓練を沖縄から本土の5演習場に移転した際、当時の防衛施設庁が住宅防音工事の補助金制度を新設した。一方、沖縄ではこの制度は長く知られなかった。キャンプ・シュワブを抱える名護市は今、なぜ沖縄に制度が適用されてこなかったか、政府への不信感を募らせている。
普天間飛行場の 移設計画も、反対の民意にもかかわらず、政府に見直す意思はうかがえない。政府と県の裁判は和解が成立し、埋め立て工事はいったん中断しているが、政府が姿勢を変えなければいずれ再び裁判に立ち戻る公算が大きい。
政府は「普天間か か」の思考停止から脱し、県外移設を含む第三の道を探るべきだ。
「基地なき沖縄」を切望しながらかなわず、復帰後も重い基地負担にあえぐ沖縄。多くの県民にとって、政府の対応が本土と平等とは思えない現状のままで、真の「復帰」への一歩を踏み出すことはできない。
本土の 体、住民も他人事では済まされない。
沖縄県はきょう本土復帰から四十四年の記念日です。県民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な地上戦を経て苛烈な米軍統治へ。今も続く苦難の歴史を振り返ります。
敗戦から四カ月後の一九四五(昭和二十)年十二月、「改正衆議院議員選挙法」が成立し、女性の国政参加が認められました。翌四六(同二十一)年四月には戦後初の衆院選が行われ、日本初の女性議員三十九人が誕生します。
今年は日本で女性が参政権を行使してから七十年の節目でもあります。日本の歴史に新たな一歩を記す一方、このとき国政参加の道が断たれた地域がありました。
◆国政への参政権失う
住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、米軍の支配下に置かれた沖縄県と、戦争末期に参戦した旧ソ連軍が不法に占拠した北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)です。
改正法が付則で、沖縄県と北方四島については、勅令で定めるまでの間、選挙を行わないと決めていたからです。
当然、沖縄県側は反発します。県選出の漢那憲和(かんなけんわ)衆院議員は改正法案を審議する委員会で、県民が先の大戦中、地上戦で多大な犠牲を強いられたことに言及して、こう指摘します。
「沖縄県民といたしましても、帝国議会における県民の代表を失うことは、その福利擁護の上からも、また帝国臣民としての誇りと感情の上からも、まことに言語に絶する痛痕事であります」
しかし、沖縄側の訴えもむなしく法律は成立し、一二(明治四十五)年から選出されていた県選出衆院議員は途絶えてしまいます。
五二(昭和二十七)年四月二十八日に発効したサンフランシスコ平和条約により、沖縄県が正式に米国の施政権下に置かれる前に、沖縄県民は日本の国政から切り離されてしまったのです。
◆苛烈な米軍統治下に
戦後初の衆院選は、日本の未来を切り開く新 を審議する議員を選ぶ選挙でもありましたが、その「制憲議会」に沖縄県選出議員の姿はありませんでした。
国民主権、平和主義、基本的 の尊重。明治 に代わる新しい日本国 の理念、基本原理は軍国主義によって戦禍を強いられた当時の日本国民にとって輝かしいものだったに違いありません。
ただ沖縄県は日本国 の枠外に置かれ、日本の独立回復後も、苛烈な米軍統治下に置かれます。
米軍は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強権的手法で、民有地を強制収用し、軍事基地を次々と建設、拡張しました。県民は米軍の事故や米兵らの事件・事故の被害にも苦しめられます。
県民の「 」組織である琉球政府の上には、現地軍司令官の軍事権限に加えて行政、司法、立法の三権を有する琉球列島統治の最高責任者として高等弁務官が君臨しました。米陸軍軍人だったポール・キャラウェイ高等弁務官は「(沖縄の) は神話であり、存在しない」とまで言い放ちます。
無視の米軍統治は の理念には程遠い世界でした。沖縄県民にとって七二(同四十七)年五月十五日の本土復帰は「日本国憲法への復帰」でもあったのです。
しかし、沖縄県では憲法の理念が完全に実現したとは、いまだに言えません。「憲法の埒(らち)外」「憲法番外地」とも指摘されます。
沖縄県には在日米軍専用施設の約74%が集中し、さらに普天間飛行場(宜野湾市)の返還と引き換えに名護市 沿岸部に新しい基地を造ろうとしています。有事には出撃拠点となる基地の過剰な存在は憲法の平和主義や法の下の平等と相いれません。
県内に多くの米軍基地がある限り、爆音被害や事故、事件はなくならない。憲法よりも米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先され、県民の基本的 は軽んじられているのが現状です。
県民が衆院選や県知事選、名護市長選など選挙を通じて、 移設に反対する民意を繰り返し表明しても、日本政府は「唯一の解決策」との立場を変えようとしない。沖縄では国民主権さえ空洞化を余儀なくされているのです。
◆改正より理念の実現
安倍晋三首相は夏の参院選で勝利し、自民党結党以来の党是である憲法の自主的改正に道を開きたいとの意欲を隠そうとしません。
国民から改正論が澎湃(ほうはい)と沸き上がる状況ならまだしも、世論調査で反対が半数を超す状況で改正に突き進むのなら強引です。憲法擁護義務を課せられた立場なら、憲法理念が実現されていない状況の解消が先決ではないのか。
沖縄県民の民意や基本的 が尊重され、米軍基地負担も劇的に軽減される。沖縄で憲法の理念が実現すれば、国民が憲法で権力を律する立憲主義が、日本でも揺るぎないものになるはずです。
44年という歳月は沖縄に何をもたらしのだろうか。1972年、県民が願ったのは平和憲法への復帰であり、 の確立だった。
現状を振り返ると、米軍基地の重圧は変わらず、米軍関係者による事件・事故も絶えない。憲法が保障する「平和的生存権」が沖縄では軽んじられている。
基地問題では、名護市 での新基地建設といった沖縄の主体性を無視した政府の強権的な姿勢も目立つ。
44年間、沖縄への構造的差別を温存しただけとは思いたくない。44回目の「復帰の日」、改めて沖縄の進路は自ら決める「自立の日」として足元を見詰め直したい。
当然の願望
復帰運動の先頭に立った屋良朝苗氏は復帰についての思いを次のように述べた。
「簡単明瞭に言いますと、“人間性の回復”を願望しているのです。きわめて当然な願望であり要求です」(「沖縄はだまっていられない」エール出版1969年)
米統治27年間の課題を洗い出した「屋良建議書」は(1)政府の対策は県民福祉を第一義(2)明治以来、 が否定された歴史から地方自治は特に尊重(3)何よりも戦争を否定し平和を希求する(4)平和憲法下の 回復(5)県民主体の経済開発-を日本政府に求めた。
屋良建議書の要求は現代にも共通する。逆に言えば「当然の願望」がいまだ実現していない。
象徴的なのが辺野古の新基地建設を巡る県と国の対立だ。選挙で示された新基地建設に反対する民意を政府は平然と無視し、地方自治を侵害している。
裁判所の和解に基づいて現在は工事が中断しているが、国は事あるごとに「辺野古は唯一の解決策」と繰り返す。沖縄の自治、民意、自己決定権といった当然の権利に対する敬意が全く見えない。
平和的生存権を脅かす事件も相変わらずなくならない。3月にはキャンプ・シュワブ所属の米兵が那覇市内で女性暴行事件を起こした。
深夜外出や飲酒を規制する米軍の対策に何ら実効性がないことも分かった。
基地の過重負担も政府は放置したままだ。西普天間住宅地区(約51ヘクタール)の返還をもって政府は「沖縄の負担軽減」を強調するが、本土では2014年以降に345ヘクタールの米軍専用施設が返還されている。結果的に在日米軍専用施設に占める沖縄の負担は14年時点の73・8%から74・46%に微増した。
見せ掛けだけの「負担軽減」はもうやめてもらいたい。
基地は阻害要因
高校教科書検定での事実誤認問題に象徴されるように、沖縄経済が「基地に依存する」という神話は県外になおはびこる。沖縄の基地関連収入が県経済に占める割合は1972年度は15・5%だったが、13年度現在5・1%だ。
44年間の経験から明らかなのは、米軍基地は経済の阻害要因でしかなく、返還地利用によって沖縄は飛躍的に発展したことだ。
軍用地料の収入や基地従業員の所得など返還前に得ていた経済取引額と、製造業の売上高といった返還後の経済取引額を比較した「直接経済効果」は北谷町の桑江・北前地区で108倍、那覇新都心地区で32倍と跳ね上がった。
安倍政権は地方創生を掲げ「多様な支援と切れ目のない施策」を打ち出すという。ならば沖縄の自治を尊重し、「平和を希求する」島づくりにこそ手を貸すべきではないか。
国内外から多くの観光客が訪れ、アジアの玄関口として物流拠点としても期待される沖縄なら、日本経済のけん引役となり得る。いつまでも「基地の島」であることを県民は望んでいない。
安倍政権は集団的自衛権の行使容認をはじめ、憲法を骨抜きにしている。民意を顧みない姿勢は沖縄への強権的態度と通じる。こうした時代だからこそ、屋良建議書が重視した「自治」を県民の手に取り戻すきっかけの日としたい。
沖縄の施政権が米国から日本に返還され、44年。復帰っ子といわれる1972年生まれは子育てに仕事に忙しい世代となり、その親たちは定年し高齢者と呼ばれる世代となった。県の人口構成比は、復帰前世代と復帰後世代がほぼ同数となっている。
本土との格差を是正しようと始まった沖縄振興計画の中心は、社会資本の整備と産業振興だった。
すっかりきれいになった街並みや観光地のにぎわいは格差是正を実感させるが、「箱物」中心の振興と生活への目配りを欠いた計画が、社会の弱い部分を直撃している、と感じることが増えている。
昨年から今年にかけて県民の関心が急速に高まっているのは、自分ではどうすることもできない状況に置かれた子どもたちの貧困である。県の調査で、3人に1人が貧困状態にあることが明らかになった。
しかし深刻なのは子どもだけではない。ひとり親世帯の相対的貧困率は約6割と高く、働く人のおよそ2人に1人が非正規雇用で、経済的に不安定な生活を送っている。
切実なのは高齢者も一緒だ。県内高齢者の生活保護受給割合が全国で2番目に高いのは、米軍統治下にあった影響で年金制度への加入が遅れたことと深く関係している。
子は親を支えきれず、親も子を頼れない。
子世代、親世代、祖父母世代と、貧困が沖縄社会に「面」として広がる現実は、沖縄振興計画に、その視点が乏しかったことを物語る。
■ ■
地域の経済力を示す1人当たり県民所得は、復帰時に41万9千円で、2013年度は210万2千円と大きく増加している。全国平均の57・8%から73・9%まで差を縮めたのは、県経済の成長と県民の努力によるものだ。
それでも全国最下位から脱出できないのは、労働生産性の低さなどが要因とされるが、気になるのは高所得層との間に広がる県民間の所得格差である。総務省の全国消費実態調査(2009年)によると、沖縄は貧富の差を示す「ジニ係数」が全国一高い。
経済的に優位にある層から貧困は見えにくく、貧困にあえいでいる人ほどSOSを出しにくい。互いに助け合う「ゆいまーる」精神がうまく機能しなくなっていることが、格差の広がりに拍車をかける。
家族に頼れず、地域からも孤立した状況に、今の貧困問題の深刻さがある。
■ ■
復帰後の沖縄振興計画に、子どもへの視点が欠けていたことの指摘が強まり、本年度、沖縄振興予算に子ども貧困対策事業が盛り込まれた。沖縄戦から続く米軍統治の歴史と基地問題が影を落とす「格差と貧困」対策に国がようやく動きだした。
県独自の調査で、子どもの貧困の実態を可視化してきたように、地続きにあるワーキングプアや高齢者の貧困問題の全体像を正確に把握する必要がある。
世代間連鎖が進む貧困問題を、21世紀ビジョン基本計画後期の優先課題に位置付けるべきだ。
憲法が適用されていなかった米軍政下の沖縄に初めて、「憲法記念日」が設けられたのは51年前の1965年5月3日のことである。「日本国憲法の沖縄への適用を期する」という沖縄住民の切実な願いが込められていた。
» 社説[学校空調補助廃止]事前説明なく一方的だ
72年の施政権返還によって憲法とともに、日米地位協定も本土並みに適用されるようになり、米軍基地が集中する沖縄は、「憲法体系」と「安保体系」が日常的に摩擦を起こすようになった。
施政権返還からきょうで44年。その現実は今も変わらない。その象徴が「辺野古」である。
名護市辺野古沖で沖縄防衛局発注の海上警備を請け負う民間の警備会社が、新基地建設に反対し抗議行動を展開する市民の名前を特定し、行動を記録していることが分かった。
約60人分の顔写真や名前を記したリストが存在するというから驚きだ。警備員は船やカヌーに乗った市民をカメラに収め、画像をリストと照らし合わせ、行動を記録していたという。
沖縄市にあるこの警備会社は、沖縄防衛局から警備業務を受注している会社(東京)の100%子会社。防衛局はそのようなことまで指示したのだろうか。この行為は表現の自由に重大な萎縮効果を及ぼすだけでなく、肖像権やプライバシーの侵害行為にあたる可能性も強い。
「安保体系」が優先され、人権や地方自治を定めた「憲法体系」が脅かされている現実を浮き彫りにした事例だ。
■ ■
陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派遣に反対する人たちを監視し、個人情報を収集していたことが問われた訴訟で、仙台高裁は今年2月、自衛隊による国民監視の事実を認め、原告男性1人のプライバシー侵害を認めた。
防衛省は上告を断念、違法判決が確定している。情報収集を当然視する自衛隊に対し、司法が警鐘を鳴らしたのである。
69年12月に出た京都府学連事件の最高裁判決は、憲法13条を根拠に肖像権を認めた初の判決となった。デモ行進に参加している人たちであっても「みだりにその容貌・姿態…を撮影されない自由」を認めたのである。
今回の辺野古のケースは、過去の各種判例から判断しても違法性が強い。
沖縄で「憲法体系」と「安保体系」のきしみが耐え難いほどひどくなったのは、軍政下に米軍によって一方的に建設された普天間飛行場を、民意に反して強引に県内に移設しようとするからだ。
■ ■
憲法が保障する人権や地方自治を本土並みに享受する。安保が必要だと言うなら全国で負担を分かち合う。沖縄の主張の最大公約数は、実に慎ましやかなものだ。
米軍基地を沖縄に押しつけるだけでは、問題は何も解決しない。
米軍を法的にコントロールするため米軍に国内法を適用し、政治的にコントロールするため日米合同委員会を国会が監視し統制する。その仕組みづくりがほんとうの「主権回復」に向けた第一歩だ。
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<各紙社説>
以下引用
朝日新聞 2016年5月17日05時00分
(社説) 44年 道遠い「本土」との平等
戦後、米軍政下におかれた が日本に復帰して15日で44年を迎えた。だが は真に「復帰した」と言えるだろうか。
労組や市民団体が集まる「5・15平和行進」に初参加した大阪府の男性(42)は前日、米軍普天間飛行場の移設先、名護市 の米軍キャンプ・シュワブを訪れた。船で埋め立て予定地を視察していると、 防衛局の警備船から立ち入り禁止区域に近づかぬよう警告された。
近くで米軍関係者がカヌーをこいでいたが、彼には何も言わない。「ここは日本じゃないのか」。男性はそう実感した。
米海兵隊は1950年代、山梨や岐阜に駐留していたが、本土の基地反対運動が高まるなかで、米軍政下の へ移った。キャンプ・シュワブもそのころできた基地の一つだ。
復帰直後、全国土面積の0・6%しかない に、米軍専用施設の59%が集中していた。だがいま、その割合は75%近くにまで高まっている。本土の基地が大幅に減る一方で、沖縄の基地の減り方はそれだけ鈍い。
2014年に普天間飛行場の空中給油機を米軍岩国基地(山口県)に移駐したなどの実績もあるが、沖縄県外への基地移転計画は近年も頓挫している。
10年に民主党政権が打ち出した普天間飛行場の鹿児島県徳之島への移設案、15年の米軍オスプレイの佐賀空港暫定移駐案と、政府はともに本土の移設・移駐先の反対で断念した。
政府の対応には本土と沖縄で落差もある。97年、米軍の実弾射撃訓練を沖縄から本土の5演習場に移転した際、当時の防衛施設庁が住宅防音工事の補助金制度を新設した。一方、沖縄ではこの制度は長く知られなかった。キャンプ・シュワブを抱える名護市は今、なぜ沖縄に制度が適用されてこなかったか、政府への不信感を募らせている。
普天間飛行場の 移設計画も、反対の民意にもかかわらず、政府に見直す意思はうかがえない。政府と県の裁判は和解が成立し、埋め立て工事はいったん中断しているが、政府が姿勢を変えなければいずれ再び裁判に立ち戻る公算が大きい。
政府は「普天間か か」の思考停止から脱し、県外移設を含む第三の道を探るべきだ。
「基地なき沖縄」を切望しながらかなわず、復帰後も重い基地負担にあえぐ沖縄。多くの県民にとって、政府の対応が本土と平等とは思えない現状のままで、真の「復帰」への一歩を踏み出すことはできない。
本土の 体、住民も他人事では済まされない。
東京新聞 2016年5月15日
【社説】週のはじめに考える 沖縄は の埒外か
沖縄県はきょう本土復帰から四十四年の記念日です。県民を巻き込んだ凄惨(せいさん)な地上戦を経て苛烈な米軍統治へ。今も続く苦難の歴史を振り返ります。
敗戦から四カ月後の一九四五(昭和二十)年十二月、「改正衆議院議員選挙法」が成立し、女性の国政参加が認められました。翌四六(同二十一)年四月には戦後初の衆院選が行われ、日本初の女性議員三十九人が誕生します。
今年は日本で女性が参政権を行使してから七十年の節目でもあります。日本の歴史に新たな一歩を記す一方、このとき国政参加の道が断たれた地域がありました。
◆国政への参政権失う
住民を巻き込んだ激しい地上戦の末、米軍の支配下に置かれた沖縄県と、戦争末期に参戦した旧ソ連軍が不法に占拠した北方四島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)です。
改正法が付則で、沖縄県と北方四島については、勅令で定めるまでの間、選挙を行わないと決めていたからです。
当然、沖縄県側は反発します。県選出の漢那憲和(かんなけんわ)衆院議員は改正法案を審議する委員会で、県民が先の大戦中、地上戦で多大な犠牲を強いられたことに言及して、こう指摘します。
「沖縄県民といたしましても、帝国議会における県民の代表を失うことは、その福利擁護の上からも、また帝国臣民としての誇りと感情の上からも、まことに言語に絶する痛痕事であります」
しかし、沖縄側の訴えもむなしく法律は成立し、一二(明治四十五)年から選出されていた県選出衆院議員は途絶えてしまいます。
五二(昭和二十七)年四月二十八日に発効したサンフランシスコ平和条約により、沖縄県が正式に米国の施政権下に置かれる前に、沖縄県民は日本の国政から切り離されてしまったのです。
◆苛烈な米軍統治下に
戦後初の衆院選は、日本の未来を切り開く新 を審議する議員を選ぶ選挙でもありましたが、その「制憲議会」に沖縄県選出議員の姿はありませんでした。
国民主権、平和主義、基本的 の尊重。明治 に代わる新しい日本国 の理念、基本原理は軍国主義によって戦禍を強いられた当時の日本国民にとって輝かしいものだったに違いありません。
ただ沖縄県は日本国 の枠外に置かれ、日本の独立回復後も、苛烈な米軍統治下に置かれます。
米軍は「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる強権的手法で、民有地を強制収用し、軍事基地を次々と建設、拡張しました。県民は米軍の事故や米兵らの事件・事故の被害にも苦しめられます。
県民の「 」組織である琉球政府の上には、現地軍司令官の軍事権限に加えて行政、司法、立法の三権を有する琉球列島統治の最高責任者として高等弁務官が君臨しました。米陸軍軍人だったポール・キャラウェイ高等弁務官は「(沖縄の) は神話であり、存在しない」とまで言い放ちます。
無視の米軍統治は の理念には程遠い世界でした。沖縄県民にとって七二(同四十七)年五月十五日の本土復帰は「日本国憲法への復帰」でもあったのです。
しかし、沖縄県では憲法の理念が完全に実現したとは、いまだに言えません。「憲法の埒(らち)外」「憲法番外地」とも指摘されます。
沖縄県には在日米軍専用施設の約74%が集中し、さらに普天間飛行場(宜野湾市)の返還と引き換えに名護市 沿岸部に新しい基地を造ろうとしています。有事には出撃拠点となる基地の過剰な存在は憲法の平和主義や法の下の平等と相いれません。
県内に多くの米軍基地がある限り、爆音被害や事故、事件はなくならない。憲法よりも米兵らの法的特権を認めた日米地位協定が優先され、県民の基本的 は軽んじられているのが現状です。
県民が衆院選や県知事選、名護市長選など選挙を通じて、 移設に反対する民意を繰り返し表明しても、日本政府は「唯一の解決策」との立場を変えようとしない。沖縄では国民主権さえ空洞化を余儀なくされているのです。
◆改正より理念の実現
安倍晋三首相は夏の参院選で勝利し、自民党結党以来の党是である憲法の自主的改正に道を開きたいとの意欲を隠そうとしません。
国民から改正論が澎湃(ほうはい)と沸き上がる状況ならまだしも、世論調査で反対が半数を超す状況で改正に突き進むのなら強引です。憲法擁護義務を課せられた立場なら、憲法理念が実現されていない状況の解消が先決ではないのか。
沖縄県民の民意や基本的 が尊重され、米軍基地負担も劇的に軽減される。沖縄で憲法の理念が実現すれば、国民が憲法で権力を律する立憲主義が、日本でも揺るぎないものになるはずです。
琉球新報 2016年5月15日 06:01
<社説>きょう復帰44年 「 」県民の手に 沖縄の進路、自ら決める
44年という歳月は沖縄に何をもたらしのだろうか。1972年、県民が願ったのは平和憲法への復帰であり、 の確立だった。
現状を振り返ると、米軍基地の重圧は変わらず、米軍関係者による事件・事故も絶えない。憲法が保障する「平和的生存権」が沖縄では軽んじられている。
基地問題では、名護市 での新基地建設といった沖縄の主体性を無視した政府の強権的な姿勢も目立つ。
44年間、沖縄への構造的差別を温存しただけとは思いたくない。44回目の「復帰の日」、改めて沖縄の進路は自ら決める「自立の日」として足元を見詰め直したい。
当然の願望
復帰運動の先頭に立った屋良朝苗氏は復帰についての思いを次のように述べた。
「簡単明瞭に言いますと、“人間性の回復”を願望しているのです。きわめて当然な願望であり要求です」(「沖縄はだまっていられない」エール出版1969年)
米統治27年間の課題を洗い出した「屋良建議書」は(1)政府の対策は県民福祉を第一義(2)明治以来、 が否定された歴史から地方自治は特に尊重(3)何よりも戦争を否定し平和を希求する(4)平和憲法下の 回復(5)県民主体の経済開発-を日本政府に求めた。
屋良建議書の要求は現代にも共通する。逆に言えば「当然の願望」がいまだ実現していない。
象徴的なのが辺野古の新基地建設を巡る県と国の対立だ。選挙で示された新基地建設に反対する民意を政府は平然と無視し、地方自治を侵害している。
裁判所の和解に基づいて現在は工事が中断しているが、国は事あるごとに「辺野古は唯一の解決策」と繰り返す。沖縄の自治、民意、自己決定権といった当然の権利に対する敬意が全く見えない。
平和的生存権を脅かす事件も相変わらずなくならない。3月にはキャンプ・シュワブ所属の米兵が那覇市内で女性暴行事件を起こした。
深夜外出や飲酒を規制する米軍の対策に何ら実効性がないことも分かった。
基地の過重負担も政府は放置したままだ。西普天間住宅地区(約51ヘクタール)の返還をもって政府は「沖縄の負担軽減」を強調するが、本土では2014年以降に345ヘクタールの米軍専用施設が返還されている。結果的に在日米軍専用施設に占める沖縄の負担は14年時点の73・8%から74・46%に微増した。
見せ掛けだけの「負担軽減」はもうやめてもらいたい。
基地は阻害要因
高校教科書検定での事実誤認問題に象徴されるように、沖縄経済が「基地に依存する」という神話は県外になおはびこる。沖縄の基地関連収入が県経済に占める割合は1972年度は15・5%だったが、13年度現在5・1%だ。
44年間の経験から明らかなのは、米軍基地は経済の阻害要因でしかなく、返還地利用によって沖縄は飛躍的に発展したことだ。
軍用地料の収入や基地従業員の所得など返還前に得ていた経済取引額と、製造業の売上高といった返還後の経済取引額を比較した「直接経済効果」は北谷町の桑江・北前地区で108倍、那覇新都心地区で32倍と跳ね上がった。
安倍政権は地方創生を掲げ「多様な支援と切れ目のない施策」を打ち出すという。ならば沖縄の自治を尊重し、「平和を希求する」島づくりにこそ手を貸すべきではないか。
国内外から多くの観光客が訪れ、アジアの玄関口として物流拠点としても期待される沖縄なら、日本経済のけん引役となり得る。いつまでも「基地の島」であることを県民は望んでいない。
安倍政権は集団的自衛権の行使容認をはじめ、憲法を骨抜きにしている。民意を顧みない姿勢は沖縄への強権的態度と通じる。こうした時代だからこそ、屋良建議書が重視した「自治」を県民の手に取り戻すきっかけの日としたい。
沖縄タイムス 2016年5月16日 05:00
社説:[復帰44年 格差と貧困]世代間連鎖断ち切ろう
沖縄の施政権が米国から日本に返還され、44年。復帰っ子といわれる1972年生まれは子育てに仕事に忙しい世代となり、その親たちは定年し高齢者と呼ばれる世代となった。県の人口構成比は、復帰前世代と復帰後世代がほぼ同数となっている。
本土との格差を是正しようと始まった沖縄振興計画の中心は、社会資本の整備と産業振興だった。
すっかりきれいになった街並みや観光地のにぎわいは格差是正を実感させるが、「箱物」中心の振興と生活への目配りを欠いた計画が、社会の弱い部分を直撃している、と感じることが増えている。
昨年から今年にかけて県民の関心が急速に高まっているのは、自分ではどうすることもできない状況に置かれた子どもたちの貧困である。県の調査で、3人に1人が貧困状態にあることが明らかになった。
しかし深刻なのは子どもだけではない。ひとり親世帯の相対的貧困率は約6割と高く、働く人のおよそ2人に1人が非正規雇用で、経済的に不安定な生活を送っている。
切実なのは高齢者も一緒だ。県内高齢者の生活保護受給割合が全国で2番目に高いのは、米軍統治下にあった影響で年金制度への加入が遅れたことと深く関係している。
子は親を支えきれず、親も子を頼れない。
子世代、親世代、祖父母世代と、貧困が沖縄社会に「面」として広がる現実は、沖縄振興計画に、その視点が乏しかったことを物語る。
■ ■
地域の経済力を示す1人当たり県民所得は、復帰時に41万9千円で、2013年度は210万2千円と大きく増加している。全国平均の57・8%から73・9%まで差を縮めたのは、県経済の成長と県民の努力によるものだ。
それでも全国最下位から脱出できないのは、労働生産性の低さなどが要因とされるが、気になるのは高所得層との間に広がる県民間の所得格差である。総務省の全国消費実態調査(2009年)によると、沖縄は貧富の差を示す「ジニ係数」が全国一高い。
経済的に優位にある層から貧困は見えにくく、貧困にあえいでいる人ほどSOSを出しにくい。互いに助け合う「ゆいまーる」精神がうまく機能しなくなっていることが、格差の広がりに拍車をかける。
家族に頼れず、地域からも孤立した状況に、今の貧困問題の深刻さがある。
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復帰後の沖縄振興計画に、子どもへの視点が欠けていたことの指摘が強まり、本年度、沖縄振興予算に子ども貧困対策事業が盛り込まれた。沖縄戦から続く米軍統治の歴史と基地問題が影を落とす「格差と貧困」対策に国がようやく動きだした。
県独自の調査で、子どもの貧困の実態を可視化してきたように、地続きにあるワーキングプアや高齢者の貧困問題の全体像を正確に把握する必要がある。
世代間連鎖が進む貧困問題を、21世紀ビジョン基本計画後期の優先課題に位置付けるべきだ。
沖縄タイムス 2016年5月15日 05:00
社説:[復帰44年 辺野古では]脅かされる自治と
憲法が適用されていなかった米軍政下の沖縄に初めて、「憲法記念日」が設けられたのは51年前の1965年5月3日のことである。「日本国憲法の沖縄への適用を期する」という沖縄住民の切実な願いが込められていた。
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72年の施政権返還によって憲法とともに、日米地位協定も本土並みに適用されるようになり、米軍基地が集中する沖縄は、「憲法体系」と「安保体系」が日常的に摩擦を起こすようになった。
施政権返還からきょうで44年。その現実は今も変わらない。その象徴が「辺野古」である。
名護市辺野古沖で沖縄防衛局発注の海上警備を請け負う民間の警備会社が、新基地建設に反対し抗議行動を展開する市民の名前を特定し、行動を記録していることが分かった。
約60人分の顔写真や名前を記したリストが存在するというから驚きだ。警備員は船やカヌーに乗った市民をカメラに収め、画像をリストと照らし合わせ、行動を記録していたという。
沖縄市にあるこの警備会社は、沖縄防衛局から警備業務を受注している会社(東京)の100%子会社。防衛局はそのようなことまで指示したのだろうか。この行為は表現の自由に重大な萎縮効果を及ぼすだけでなく、肖像権やプライバシーの侵害行為にあたる可能性も強い。
「安保体系」が優先され、人権や地方自治を定めた「憲法体系」が脅かされている現実を浮き彫りにした事例だ。
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陸上自衛隊の情報保全隊が、イラク派遣に反対する人たちを監視し、個人情報を収集していたことが問われた訴訟で、仙台高裁は今年2月、自衛隊による国民監視の事実を認め、原告男性1人のプライバシー侵害を認めた。
防衛省は上告を断念、違法判決が確定している。情報収集を当然視する自衛隊に対し、司法が警鐘を鳴らしたのである。
69年12月に出た京都府学連事件の最高裁判決は、憲法13条を根拠に肖像権を認めた初の判決となった。デモ行進に参加している人たちであっても「みだりにその容貌・姿態…を撮影されない自由」を認めたのである。
今回の辺野古のケースは、過去の各種判例から判断しても違法性が強い。
沖縄で「憲法体系」と「安保体系」のきしみが耐え難いほどひどくなったのは、軍政下に米軍によって一方的に建設された普天間飛行場を、民意に反して強引に県内に移設しようとするからだ。
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憲法が保障する人権や地方自治を本土並みに享受する。安保が必要だと言うなら全国で負担を分かち合う。沖縄の主張の最大公約数は、実に慎ましやかなものだ。
米軍基地を沖縄に押しつけるだけでは、問題は何も解決しない。
米軍を法的にコントロールするため米軍に国内法を適用し、政治的にコントロールするため日米合同委員会を国会が監視し統制する。その仕組みづくりがほんとうの「主権回復」に向けた第一歩だ。
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